『呪いのせいで愛妻家になった公爵様は、もう冷徹を名乗れない(天然妻は気づかない)』

星乃和花

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第8話 奥さま救出作戦「逃がすために、手を離す」

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二曲目の前奏が流れる。

弦の音が甘く、軽い。会場の空気はさらに沸いて、貴婦人たちは「続くの!?」と目を輝かせ、貴族たちは「公爵が二曲目!?」と顔を歪め、音楽隊は「本当に続くの!?」と指が震えている。

そして当の本人――レオンハルトだけが、いつも通り無表情だ。

無表情のまま、リリアの手を確保している。

確保、という表現が一番しっくりくる。

「公爵さま……」

リリアが小声で呼ぶと、レオンハルトは一拍置いて言った。

「……大丈夫だ」

「大丈夫、じゃない気がします」

「大丈夫にする」

またそれ。

誓いみたいな声で。

リリアは胸がきゅっとなるのをこらえ、必死で現実を見た。

(糸が熱い)

手首の奥が、ふわふわ熱い。目には見えないのに、そこに“結ばれようとしている”感じがある。

――放置すれば定着する。
――解除条件は、本人が自覚して言葉にする。
――言い換え不可。

つまり。

(このまま定着したら、公爵さまはずっと……“止まれない”ままになる)

本人が一番それを怖がっていた。

リリアは、ここでやっと“天然”の使い方を変えた。

社交界に合わせて無難に振る舞うのではなく。

この場で、レオンハルトを助ける振る舞いをする。

助ける、という言い方すら正しいか分からないけれど――

少なくとも、“暴走させない”方法を探す。

「公爵さま」

「何だ」

「……私、少し休憩したいです」

レオンハルトの目がすっと鋭くなる。

「どこが」

(え、症状みたいに検査するんだ)

リリアは笑いそうになって、我慢した。

「人が多くて、ちょっと息が詰まって」

それは嘘じゃない。

そして、今の彼にとっては“正解の言葉”だった。

レオンハルトの腕が、わずかに緩む。

「……わかった。離れ――」

言いかけて止まる。

離れ、という単語が口に出た瞬間、糸がぴりっと熱く跳ねたのがわかった。

(単語だけで反応するの……!?)

レオンハルトも感じたのか、眉がほんの少し動く。

「……離れない。連れていく」

そう言って、彼はリリアを連れて、ダンスフロアの外――壁際の静かなテラス扉の方へ向かった。

その途中、何度も何度も“障害物”が現れる。

「夫人、先ほどは――」
「公爵、今の踊り――」
「奥さま、ぜひご挨拶を――」

レオンハルトは、全てを切るように短く返す。

「後だ」
「今は無理だ」
「奥方は休む」

そして最後に。

「触るな」

(それ言うと燃えるって……!)

燃えた。案の定燃えた。

会場の噂が一段階上に更新される音がした。

テラス扉の前で、レオンハルトがリリアを背に隠して立ち止まる。

「ここで」

「ここ、寒いです」

「外套を――」

「それは……もう社交界に燃料を足すのでやめてください」

リリアが真顔で言うと、レオンハルトが一瞬だけ“理解したくない”顔をした。

そして、硬派の声で言う。

「……なら、私が壁になる」

「壁になるって……」

レオンハルトは本当に、風の来る方向に立って、リリアを“風から隠す”位置を取った。

(本当に壁になってる……)

その実直さが、可笑しくて、優しくて。

リリアは胸の奥が揺れる。

揺れたぶん、糸がふわっと熱くなる。

(だめ、私が揺れたら糸も揺れる)

リリアは深呼吸して、話題を“解除”へ寄せた。

「公爵さま。さっき、“止まれない”って言いましたよね」

レオンハルトの視線が一瞬だけ落ちる。

「……言った」

「本当に、怖いんですか?」

問いが真っ直ぐすぎた。

契約結婚の妻が、聞いていい問いじゃない。

でも、聞かないと救えない気がした。

レオンハルトは少しだけ黙って、それから低く言った。

「……怖い」

その言葉が、どこか子どもみたいに正直だった。

リリアは胸がきゅっとなる。

「じゃあ、私……」

言いかけて止めた。

“私がなんとかする”と言い切るのは、傲慢だ。

でも、何か言わないと。

言葉が見つからずにいると、背後から軽い声が飛んできた。

「夫人、少しよろしいですか?」

エドワード。

テラスにまで追ってきた。

執念がすごい。

リリアが青ざめるより先に、レオンハルトが前に出る。

「不許可だ」

即答。

エドワードは肩をすくめる。

「公爵、またそれですか。……夫人は“物”ではありません」

「物ではない」

「なら、なぜ許可が必要?」

会話が、火花を散らし始める。

リリアの手首が、また熱くなる。

(これが、嫉妬…?)

レオンハルトの指が、リリアの手をさらに強く握った。

握って――

まるで“絶対に奪われない”と宣言するみたいに。

(だめ、これ以上結ばれたら……)

リリアは、咄嗟にした。

“天然”だからできる、非常識の正解。

彼の手を、両手で包む。

「公爵さま」

低い声で呼ぶ。

レオンハルトの視線が、リリアへ落ちる。

その視線が、鋭いのに、揺れている。

リリアは、笑わずに言った。

「……今、手を離してください」

空気が凍った。

エドワードが目を丸くする。

レオンハルトの瞳が、銀色のまま、ひび割れそうに揺れた。

「……無理だ」

「できます」

「無理だ」

二回目。

(この人、無理って言えるんだ……)

リリアは胸が痛い。

でも、ここで折れたら、呪いに負ける。

「公爵さま。私、ここで倒れそうです」

「……!」

レオンハルトの気配が跳ねる。

(倒れる、に反応するのやめて!)

でもそれは、今だけ必要だった。

「だから、医師……じゃなくて、侍女長を呼んできます。すぐ戻ります。すぐ」

リリアは“すぐ”を二回言った。

大丈夫の魔法みたいに。

「侍女長なら、私が呼ぶ」

「公爵さまが呼ぶと、みんなが注目します」

真顔で言うと、レオンハルトが一瞬だけ固まった。

その固まり方が、ちょっと可愛い。

リリアは続けた。

「だから、私が行きます。……公爵さま、ここで待っててください」

待ってて。

その言葉が、糸を少し落ち着かせた気がした。

“離れる”じゃなく、“待ってて”。

同じ距離でも、意味が違う。

レオンハルトは唇を噛むように結ぶ。

そして、苦しそうに言った。

「……行くな」

「行きます。すぐ戻ります」

「……危険だ」

リリアが小さく笑うと、レオンハルトの目が一瞬だけ緩む。

(今、ちょっとだけ息をした)

その隙に、リリアは決める。

“離す”のではなく、“離される”形にする。

彼の心を守るために。

リリアは、そっと指をほどいた。

――レオンハルトの手から、自分の手を抜いた。

抜いた瞬間。

手首の糸が、きゅうっと熱く締まって、痛いほど光った気がした。

見えないのに、見える。

レオンハルトが、反射で掴み直そうとした。

掴み直しかけて、止まる。

止まったのは――リリアが、まっすぐ見たから。

「大丈夫」

小さく言う。

“あなたが大丈夫じゃないのも知ってるけど”を、全部飲み込んで。

レオンハルトの手が、宙で震えた。

そして、絞るみたいに言った。

「……五分だ」

「はい」

「……四分で戻れ」

「がんばります」

リリアは笑って、くるりと背を向けた。

背を向けた瞬間――

背中に、痛いほどの視線が刺さる。

(公爵さま……)

でも今は振り返らない。

振り返ったら、彼は掴んでしまう。

掴んだら、糸が結ばれてしまう。

リリアは人混みを抜ける。

その背後で、エドワードが小さく息を吐いた。

「……夫人、あなた、すごいですね」

リリアは振り返らず、ただ言った。

「すごくないです。ただ……困ってる人を放っておけないだけです」

そして、心の中で付け足す。

(しかも困ってるのが、公爵さまならなおさら)

 *

一方、テラスに残されたレオンハルトは、手を握りしめていた。

冷たい空気の中で、自分の手だけが熱い。

離した。

離された。

たったそれだけで、胸の奥が軋む。

呪いのせい――と、言い張れるだろうか。

言い張れない。

なぜなら。

離したくなかったのは、呪いだけじゃない。

(……言うな)

自分に命じる。

言ったら、終わる。

“愛している”と言ったら、呪いが解ける。

解けたら――この手は、自分の意思で繋がなければならなくなる。

それが怖い。

怖いから、彼は冷徹を名乗ってきた。

怖いから、鎧を着てきた。

なのに、彼女は――

手を離すことで、自分を助けようとした。

その事実が、矛盾みたいに胸を刺す。

レオンハルトは、誰にも見えないところで、初めて小さく呻いた。

「……くそ」

その瞬間、手首の糸が、遠くで“ひゅん”と引かれる感覚がした。

まるで、彼女が何か危険に近づいたみたいに。

レオンハルトの目が、一瞬で獣になる。

「……リリア」

五分。

四分。

そんなもの、待てるわけがない。

彼は踵を返した。

――“待っていろ”と言われたのに。

そしてその瞬間、会場の空気が裂けるようにざわめいた。

「冷徹公爵が動いた……!」
「奥さまを追ってる……!」
「治安維持(本人談)だ……!」

リリアの考えた救出作戦は手を離すことで成功した。

ーーたぶん。

でも、次に起こる“救出”は、もっと派手で、もっと危険で、もっと――戻れなくなる。

そんな予感を抱えたまま、夜は進んでいった。
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