『星花アパルトマンの新婚予告』 — ちゃんとじゃなく、いっしょに。—

星乃和花

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第10話 失言の影

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収穫祭まで、あとひとつ寝る。
王都の朝は、甘い匂いと鐘の音でふくらんでいた。
黒板には大きく——

本日:繁忙モード/正午に“星の処方”実施
四拍=短縮三拍可/HELP札手前/言い直しの余白→最上段

セイランがチョークで「言い直しの余白」を一番上に書き直し、丸を付ける。
わたしは頷いて、ミント眼鏡と飴カサをいつもより数を多めに揃えた。

「吸う三、吐く五」

「うん」

短縮三拍で開店してからの午前は、正確で、早くて、うち基準で順調だった。
——正午。星花スタンドの上で、今日の一輪がひらく。

“キリ”

薄青が空気の拍を整え、花びらの落ちる速さが散歩になる。
読み上げ、怖さ分担宣言、紙飛行機で導線。
ドアの外の人の波が、聴こえるように落ち着く。

「続けます」

セイランの声は今日も正しく、遠くはない……のに、少し離れて聴こえた。



午後、祭りの買い出しで店は満杯。
常連の青年が瓶の前で「セイラン先生、今日もお願いします」と笑って、
次の人がわたしの針目を褒め、
さらに次の人が「彼女さん、可愛い」と口にして、
——胸の奥が、忙しさで見えにくい影を持った。

“コツ、コツン、コツ”

飴が三粒、カウンターの木目で跳ねる。
ミント眼鏡を掛けて、短縮三拍を自分へ。
(いる→見る→小声“おかえり”。自己適用は効く)

その時だった。
窓の外の子どもが転び、泣き声。
わたしの手がHELP札に伸びかけた瞬間、
セイランがカウンター越しに、ひと言——

「大丈夫。今日は……来なくていい日もある」

時間が、薄い紙になって、するどく胸を切った。
過去の痛みと、今の優しさが、同じ形をして見えたから。
頭では“仕事の導線のため”“安全のため”だと、いくらでも言える。
でも、心は先に音を立てる。

“コト、コト、コトコト”

飴雨が、小雨以上。
眼鏡を掛けていても、視界の端がにじむ。
セイランもハッとした顔になった。
胸ポケットの星屑濃度計に伸びかけた指が、途中で止まる。
——測らない、が彼の正しさ。
でも、わたしは今、**“測るより、見る”**が欲しかった。

「ごめん——」

セイランの声は、途中で人の呼び声に飲まれ、
返事の代わりに、札がわたしのほうを見る。
番号札。
手順。
胸の奥の余白が、音もなく薄くなる。

わたしは、紙飛行機を一枚、折った。
“いま言うと、きっと正しいが先に立つ。
だから、読める形で渡す。”
スタンプ台で星を押し、小さく書く。

『わたしは“できない”とき、そばにいてほしい。
 “わからない”を、わからないまま、いっしょに。
 来なくていい日は、わたしたちにはない——うち基準。』

紙は、星花の影をかすめて彼の胸へ。
セイランは会計の手を止めず、それでも目で“間”をくれた。
一拍、二拍、三拍——
わたしはそれを箱に入れて、胸の奥へしまう。
飴雨は小止み。
午後は、そのまま進んだ。



閉店後。
シャッターを半分降ろした店内に、祭りの残り香が漂う。
飴カサを拭き、眼鏡を箱に戻し、二人用ちりとりを壁に掛ける。
セイランがレジを閉め、黒板の前に立った。
チョークがわずかに震える。
わたしは、屋根裏へ行かず、階段途中の踊り場で待った。

「……アリエット」

「うん」

セイランは黒板の『言い直しの余白』に下線を引いた。
そして、こちらへ歩いてくる。
胸の青は、白まじり。
三拍の準備の顔。

「言い直す」

トン(いる。指先が、わたしの手首の脈をそっとさわる)
間(見る。目の温度が、今日の昼より近い)
言う——

「**“来なくていい日もある”**は、仕事の導線を守るための言葉だった。
 でも、君は“いないほうがいい”と聴いた。
 同じ形をしてしまって、ごめん。
 言い直す——
 **“来なくていい日”は、うちにはない。
 **君がいい。**困ってる顔も、僕の仕事。
 **“わからない”は、わからないまま一緒に持つ。
 **君の“まだ”は、僕たちの余白。」

胸の中で、硬い紙が水になって、吸い込まれていく。
薄桃が、一枚。
レモンが、一枚。
空色は、檸檬水に薄まって、踊り場の光に溶けた。

「……わたしも言い直すね」

トン(いる)
間(見る)
言う——

「**“ごめん”じゃなくて、“助けて”**を先に言う。
 札じゃなくて、声で。
 ——助けて。そばにいて」

「いる」

セイランは短く言って、四拍目をくれた。
抱擁。
抱擁版0のメモに、小さく+1が刻まれる音がした。
胸の飴が、へんな嬉しさに変わって、コトンと一粒。

「怖さ分担宣言、改訂」

彼が半歩離れ、息を合わせる。
吸う三、吐く五。
そして、言葉。

「“こわいを半分ください。残り半分は、僕が受け取り、
 “言い直す”まで手を離さない」」

「——うち基準で、強い」

わたしたちは、半分こ飴を割った。
冷たさが、今日の影の縁を丸くする。



屋根裏。
丸机の上の星花は、正午にひらいた一輪のまま、まだ細く揺れていた。
夜は言い直し——召喚はできないが、灯りはある。

セイランはメモ帳の新ページに『言い直しカード(試作)』と書く。
角丸。穴にリボン。
HELP札のとなりに置く予定だ。

言い直しカード(試作)
・最初の言葉:助けて
・三拍:いる→見る→言う
・言い直しの文(例):
 僕「“来なくていい日”は、うちにはない」
 君「“できない”じゃなくて“助けて”」
・夜の儀式:一輪の前で声に出す

「今夜、やる?」

「やる」

わたしは紙飛行機を一枚つくり、星花の影に差し込んだ。
『“正しい”の前に、“そば”を——言い直し続けよう。』
紙は薄く光り、届きましたの印を返す。

セイランが、四拍の形を作る。
いる→ここ→見る→おかえり。
最後の**“おかえり”は、今日いちばんゆっくり**。

「単位は?」

「ふたり。
 それから、権利」

「権利?」

「言い直す権利。
 鍵と同じくらい、大切なやつ」

セイランはうなずき、一輪ログを開いた。
わたしは半分こ飴の残りを舌に乗せ、ミントの冷たさで言葉をゆっくり並べる。

一輪ログ(10日目)
題:しっとり山場②(失言の影)
昼:正午に星の処方→道の“間”整う
事件:「来なくていい日も」発言→飴雨(小雨以上)
対応:紙飛行機で本音投函→夜に三拍で言い直し
言葉(更新):
 僕:“来なくていい日”は、うちにはない/君がいい。困ってる顔も、僕の仕事
 君:“ごめん”より先に“助けて”**
儀式:言い直しカード(試作)
結果:花—薄桃2・レモン1・空色→檸檬水/飴—不安系→へんな嬉しさに転換
所感:“正しい”の手前に“そば”。 言い直しは、ふたりの鍵。

「おかえり」

「ただいま」

言葉が重なって、星花がふわりと頷く。
正式な新居は、明日の夜には鍵穴がわたしたちを待つ。
その扉の前で、もう一度きっと今日の言葉を言い直す。

——来なくていい日は、うちにはない。
——助けて、を先に言う。

ミントの余韻が消えるころ、
コトンと、へんな嬉しさの飴が一粒落ちた。
うち基準で、しあわせは六。
権利が増えたぶん、数字もひとつ増えた。
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