スポットライトの外で、あなたを選ぶ

星乃和花

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第八話 禁句

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昼過ぎ、雲は薄く、光は灰を一匙だけ含んでいた。
わたしたちは、街の端にある静かな茶亭へ向かった。
演出の白から離れた、音響の海がよく見える場所——角砂糖ほどの小さな庭があり、風がレースのように葉を揺らす。

入ってすぐ、店主は声を低くして「どうぞ、幕間席へ」と案内した。
窓辺の二人掛け。テーブルは古く、木目が指先の話を覚えている。
ルミエルは椅子を引き、俺の声色で短く言う。
「甘くないものを」
「承りました」
温かい白湯と、塩のクッキーが小皿にのってやってくる。
減らすの練習に、店はやさしく寄り添ってくれた。

「エリシア」
彼が砂時計を取り出し、半砂だけ落とす。
「ここでは、君の速度で話してほしい」
わたしは頷き、ポケットの布袋から曇り石の輪を出し、当てるだけ薬指に触れさせた。
光は濁り、皮膚の色が残る。呼吸が少し楽になる。

そこへ、祝福回廊の係らしい人が、鈴のような笑顔で入ってきた。
薄桃の天蓋はないが、衣の裾に金の糸。
「失礼。新婚の記念に一言、“今のお幸せ”をいただけますか」
声量はやわらかいのに、層が厚い。甘さが空気を重ねる。

ルミエルが「今日は——」と言いかけた。
わたしは、彼の袖のほつれに指をかけて、引いた。
その瞬間、胸の海で何かが跳ね、言葉が、岸を越えた。

「“叶った”って、わたし、たまにふりに聞こえるの。
 都合よく辻褄を合わせるための、きれいな台詞みたいに」

言い切った。
店の空気が、一拍、空白になる。
——禁句。
わたしの声が着地した場所で、見えない幕が風もないのに揺れ、天井の光が一筋だけ瞬いた。
遠く、舞台袖の方向からハウリングが細く走って、すぐ消える。

係の人は、台本を探すみたいにまばたきして、それから決め笑いを半歩引いた。
店主が、静かに前へ。銀の小皿に載せた白紙を、そっとテーブルの端へ滑らせる。
紙の片隅には、淡い印。
——『立ち止まりは提供できます。記録は空白で構いません』。
是正のベルは鳴らない。代わりに、白湯の湯気が、やさしくベルの役目をする。

ルミエルは、深く吸って、留めて、吐いた。
声は俺のまま、係へ向く。
「彼女の言葉は、収録ではなく、生活です。今日はこれで」
係は、うなずき、会釈し、音の層をひとつ脱いで店を出ていった。

半砂が尽きる前に、わたしの胸から固い何かがほどけた。
怖かった。
でも、怖さの下に温度があって、その温度は、言い切った自分の体温だった。

「……ごめん」
思わず出たことばに、ルミエルは首を振る。
「ありがとう」
短く、低く。
「君が言った場所に、俺も立てた」

白湯をひと口。水面が小さく震え、湯気の帯が幕みたいに薄く揺れる。
店主が、紙の上に小さな穴を開けた細紐を添えてくれた。
「糸を通して、持ち歩ける空白に」
わたしは頷き、その場で糸を通す。
空白は、わたしの指でお守りに変わった。

帰り道、空は淡く澄み、音響の海は路面電車の遠い響きと、靴裏の砂を鳴らしていた。
角を曲がると、幕がまた、風もないのにひと筋だけ揺れる。
わたしたちは立ち止まる。
立ち止まった“間”に、軒先で誰かが失敗して落とした皿の音がして、すぐに笑い声が続いた。
世界が、自分で笑って直した。

家に着くと、玄関の内側に白い封筒が立てかけてあった。
封はない。中は、また空白。
片隅の印は、細くやさしい字でこう記していた。
——『禁句は、罰ではなく、揺れの報せ。立ち止まりを推奨』。
ルールの中心に余白が用意されている。
わたしは胸の奥で、小さく息を吐いた。

「鳴らす?」
壁の低い位置に掛けたベルを見て、ルミエルが問う。
「……今日は、鳴らさない」
わたしは答える。
鳴らす前に、呼吸で受け取れた。
吸って、留めて、吐く。
声より先に、からだが頷く。

夕餉のあと、テーブルに白紙と、新しく結んだお守りを並べた。
布袋から曇り石の輪を出し、もういちど当てるだけ。
皮膚に残る跡が、言い切った日の輪郭を、静かに指でなぞる。

「エリシア」
ルミエルが袖のほつれを見下ろし、ゆっくり口を開く。
「俺は、“理想どおりの君”を願って、君を見つけた。
 でも今、願いより前に、君がいるのを、嬉しいと思う」
言葉は短い。
けれど、合図のない音が、胸の内側で確かに鳴った。

夜、寝室のドアノブのお守りが微かに触れ合って小さな音を作る。
わたしはその音を合図に、長く息を吐いた。
禁句は、罰を呼ばなかった。
ただ、幕を揺らして、立ち止まる場をひらいただけだった。

目を閉じる。
壁二枚の向こうで、ルミエルの呼吸が同じ拍で進む。
スポットライトの外、わたしたちは、言い切ることをひとつ覚えた。
そして、言い切ったあとに立ち止まることも。
世界は、その“間”に、やさしく自己修復する。
明日、また揺れが来てもいい。
わたしたちは、ベルを鳴らす前に、まず息で受け取る練習を続ける。
——空白は、ちゃんと記録される。
その空白に、新しい好きが、また静かに沈んでいった。
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