こねこね錬金、クッキーで政務を救え! — 冷徹錬金卿と菓子妖精の末裔 —

星乃和花

文字の大きさ
2 / 11

第1話 本日の議題は、クッキーです(誠実味の爆誕)

しおりを挟む
 錬金省の扉を押した瞬間、甘い香りが襟首にまとわりついた。
 アッシュ・ヴェルは眉をひとつ動かすにとどめ、淡々と告げた。

「要点だけを。君が“感情の味”を焼けるというのは事実か?」

「はいっ!」
 両腕でボウルを抱えた少女が、蜂蜜色の瞳をきらきらさせる。
「菓子妖精の家系でして。素直味、勇気味、謝罪味、和解味……お好みで!」

「従順味は?」

 少女——ミル・サブレは、ほんの少し考えた。
「似たのなら、誠実味があります。みんな正直になって、ちゃんと話し合えます!」

「……それは従順とは別物だ」
 アッシュは机の上の評議会資料に目を落とす。
「本日、反対派の票を軟化させる必要がある。従順味を、焼け」

「は、はい! “じゅう——」
「従順だ」

「じょ……じょ、誠実!」
「違う」

 副官エリンがそっと囁く。「卿、語感が似てまして」
 アッシュは短く息を吐いた。「ならばラベルを作れ」

 即席の厨房が錬金省の一角に整う。窓から射す白光、並ぶ瓶。
 ミルは袖をくるりと捲り、リズムよく素材を量る。

「小麦、砂糖、卵、バター、そして——」

「アイシング符は私が書く」
 アッシュが羽根ペンを取る。銀の粒子を溶かし、砂糖言語で〈従順〉を描く。筆圧は均一、線は迷いなく美しい。

「きれい……」ミルが感嘆の声を漏らした。「卿の字、味がします」

「味はしない。するのは効果だ」
 アッシュは符を渡す。「焼け」

 こねこね。ぱたぱた。
 ミルの手の中で生地が息をする。ハートでも星でもない、きちんと丸いクッキー。
 オーブンに入ると、部屋じゅうに優しい匂いが膨らんだ。

「……集中できん」
 アッシュは額に指を当てた。甘い匂いは苦手だ。だが必要な手段ならば飲み込む。

 焼き上がり。
 ミルが皿に並べ、ひとつ差し出す。「毒見、いえ、味見どうぞ!」

「不要だ。副官」

「なぜ毎回ぼくなんですか」エリンは諦めた顔で一口——噛んだ瞬間、目が丸くなる。
「……あ、あの、ぼく、実は先月の出張費の精算、三日遅らせました!」

「報告済みだ。次から遅らせるな」
 アッシュは書類に視線を戻し——ふと顔を上げた。
 エリンの皿のクッキー、表面のアイシング符が微妙に違う。

「これは〈従順〉ではない。……〈誠実〉だ」

「えっ」ミルが自分の手元を見て青ざめる。「えっ、えっ、間違えて並べ替えちゃいました……丸い字が可愛くて……!」

「可愛いは要点ではない」
 アッシュは立ち上がる。「回収しろ。今すぐ——」

 だが遅かった。廊下の書記官がふらふらと入ってくる。お茶菓子と勘違いしたらしい。
 ぽり。もう一口。
「議長のカツラ、予備が議事堂の引き出しに入ってます!」

「誰に向かっての告白だ」アッシュが低く言う。
 書記官ははっとして口を押さえ、涙目で走り去った。

 ミルが両手を合わせる。「……でも、誠実って、良いことですよね?」

「計画の順序としては最悪だ」
 アッシュは速足で評議会室へ向かう。ミルとエリンが慌ててついてくる。

 すれ違う職員が次々とクッキーを摘む。ぽり、ぽり。
「昨日の稟議、読んでません!」
「わたし、同僚の観葉植物をこっそり増やしました!」
「議長の予備カツラは三つあります!」

「情報が不要に可視化されてゆく……」アッシュはこめかみを押さえた。
「ミル・サブレ、君は以後、私の許可なく焼くな」

「はい! ……でも、これ、逆に使えませんか? 誠実味で、ちゃんと話し合って——」

「政治は“ちゃんと”だけでは動かん」
 そう言いつつ、彼の歩幅はわずかに緩む。甘い匂いが廊下に満ち、呼吸が浅くなる。
 扉の向こう、評議会室からざわめき。

「開けるぞ」
 アッシュが重い扉を押した。

 議長が一枚。ぽり。
「——本日の議案、まだ読んでいません!」

 全員、固まった。
 続けざまに、ぽり、ぽり、ぽり。

「昨日の採決、実は寝落ちしてました!」
「お金より猫が好きです!」
「反対票は上司の顔色でした!」

 正直という名の雪崩が、議場を白く埋めていく。
 アッシュはゆっくりと息を吐いた。計画は初手から崩壊。しかし——

「……いいだろう。ならば“本当”から始めよう」
 彼の声は低く、よく通った。
「誠実であることを、今日は議題にする」

 ミルが隣で小さく拳を握った。「焼けば、なんとか……!」

「焼くな」
 けれど口元は、ほんの少しだけ、緩んでいた。

——つづく——
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

【完結】戸籍ごと売られた無能令嬢ですが、子供になった冷徹魔導師の契約妻になりました

水都 ミナト
恋愛
最高峰の魔法の研究施設である魔塔。 そこでは、生活に不可欠な魔導具の生産や開発を行われている。 最愛の父と母を失い、継母に生家を乗っ取られ居場所を失ったシルファは、ついには戸籍ごと魔塔に売り飛ばされてしまった。 そんなシルファが配属されたのは、魔導具の『メンテナンス部』であった。 上層階ほど尊ばれ、難解な技術を必要とする部署が配置される魔塔において、メンテナンス部は最底辺の地下に位置している。 貴族の生まれながらも、魔法を発動することができないシルファは、唯一の取り柄である周囲の魔力を吸収して体内で中和する力を活かし、日々魔導具のメンテナンスに従事していた。 実家の後ろ盾を無くし、一人で粛々と生きていくと誓っていたシルファであったが、 上司に愛人になれと言い寄られて困り果てていたところ、突然魔塔の最高責任者ルーカスに呼びつけられる。 そこで知ったルーカスの秘密。 彼はとある事件で自分自身を守るために退行魔法で少年の姿になっていたのだ。 元の姿に戻るためには、シルファの力が必要だという。 戸惑うシルファに提案されたのは、互いの利のために結ぶ契約結婚であった。 シルファはルーカスに協力するため、そして自らの利のためにその提案に頷いた。 所詮はお飾りの妻。役目を果たすまでの仮の妻。 そう覚悟を決めようとしていたシルファに、ルーカスは「俺は、この先誰でもない、君だけを大切にすると誓う」と言う。 心が追いつかないまま始まったルーカスとの生活は温かく幸せに満ちていて、シルファは少しずつ失ったものを取り戻していく。 けれど、継母や上司の男の手が忍び寄り、シルファがようやく見つけた居場所が脅かされることになる。 シルファは自分の居場所を守り抜き、ルーカスの退行魔法を解除することができるのか―― ※他サイトでも公開しています

偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています

黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。 彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。 ようやく手に入れた穏やかな日々。 しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。 彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。 そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。 「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。 「いつものことだから、君のせいじゃないよ」 これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。 二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。 心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

辺境国の第三王皇女ですが、隣国に宣戦布告されたので後宮に乗り込んでやりましたが、陰謀に巻き込まれました

ととせ
恋愛
辺境の翠国(すいこく)の第三王女、美蘭(みらん)は突然やってきた焔国(ほむら)の使者の言い分に納得がいかず、侵攻を止める為に単身敵国の後宮に侵入した。 翠国の民だけに代々受け継がれる「魔術」を使い、皇帝に近づこうとするが、思わぬ事態に計画は破綻。 捕まりそうになったその時、次期皇帝を名乗る月冥(げつめい)に助けられ……。 ハッピーエンドのストーリーです。 ノベマ!・小説家になろうに掲載予定です。

処理中です...