こねこね錬金、クッキーで政務を救え! — 冷徹錬金卿と菓子妖精の末裔 —

星乃和花

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第4話 誘拐未遂と、護る手の温度

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 夜の錬金省は、窓明かりが砂糖の粒みたいに点々としていた。
 菓務課の小さな台所では、ミル・サブレが真剣な顔で書見台に向かっている。

「“安心のレシピ”——〈憩う〉〈戻る場所〉〈自分で決める〉、三つまで。詰め込みは焦げる、っと……」

「要点だけを」
 背後から低い声。アッシュ・ヴェルが書見台越しに覗き込む。
 銀粉で描かれた砂糖言語の線は、彼の筆致で直され、余計な渦は削がれていく。

「……いい。これなら、人を縛らず、帰り道だけを照らす」

「やった!」
 ミルの瞳が蜂蜜色に凪ぐ。「試作、焼いてきます。卿の署名、ここに」

 アッシュは羽根ペンを走らせた。
「署名済みレシピ以外は焼くな。帰路は裏門を使え。市場の脇道は避けること」

「はい。甘さは計画的に!」

 ミルはエコ袋を肩に、ぱたぱたと廊下を出た。
 アッシュはしばし、その背中を見送る。甘い匂いが苦手なはずの夜気が、今夜は薄荷砂糖のように澄んで感じられた。



 裏門へ向かう小径は、月の白さが敷き砂のように積もっている。
 角を曲がったところで——

「おや、嬢ちゃん。菓子妖精の末裔さんだって?」
 道の先に、二人組の影。油布で包んだ箱を積んだ小荷車。鼻につく乾いた香り——香辛料だ。

「親方が呼んでる。孤児院の子らに菓子の寄付だとよ。今すぐ、だ」

(孤児院……!)
 ミルの足が半歩、前に出る。が、ポケットの中の紙片が指に触れた。
 境界味の試供——〈線〉〈間合い〉〈適正〉の砂糖言語。アッシュの筆致。

 小さく一口、ぽり。胸の内側に、細い糸がすっと通る。
 ミルは笑顔の輪郭を整えた。

「できません。寄付はぜひしたいけれど、今は署名済みの道順で帰るところ。予定を守ります」

「へぇ、固いお嬢ちゃんだ」
 片方が肩をすくめ、もう片方が手早く合図を送る。屋根の上で紐がざらり、と動いた。

 ——網が落ちる。

 と、同時に、ミルはエコ袋から小瓶を取り出して床にぱちんと割った。
 粉砂糖の星屑がふわりと舞い、路面に薄い光の道を描く。アッシュの署名が入った「道しるべ粉」——砕くと、署名者の羅針盤に“ここ”が矢印で現れる。

「しまっ——」

 網が降りきるより早く、黒い外套が視界をさらった。
 アッシュだ。片腕でミルを抱き寄せ、もう片方で網の縁を掴んで捻る。飴ガラスみたいに固められたアイシング枠が指先に現れ、網の重さを受け止めた。

 ミルの耳元で、心臓の鼓動が重なった。硬いはずの胸板が、思っていたより温かい。
 ——護る手の温度は、甘さじゃないのに、安心の味がした。

「要点だけを言う。逃げる」
 アッシュは網を地面に叩きつけ、粉砂糖の道へ踵を返す。
 だが、路地の向こうからも足音。囲まれる形だ。

 ミルは震える手で、もう一つの瓶を取り出す。
「卿、鳴らない鈴ボーロ、投げていいですか!」

「仕様は?」

「転がると、踏んだ人の足元に『NO』が出ます。音は鳴らないけど、**“いま自分が越えてはいけない線”**が見えるようになる……はず」

「署名——」

「昨日もらった非常許可S-00の欄に、卿が空欄署名してくれてます!」

「よろしい」
 短い許諾。ミルは路面へボーロを転がす。
 追手が踏む——足元にふっと白い線。
「……っ!」 踏み出すつま先が、躊躇の空気に絡まる。人は線を見ると、無意識に止まる。音のない鈴が、静かに境界を鳴らした。

 その隙に、アッシュはミルの手を引き、粉砂糖の道を駆けた。
 角の先で、濃紺の外套が歩み出る。マルド侯。月光の色をした笑み。

「境界線は、描く者の器量次第だ。——錬金卿」
 侯は軽く腰を折る。「菓子は政治の玩具になる。民の心は、甘さでいかようにも」

「甘さは計画的に」
 アッシュは即座に返した。「塩を忘れる者は、舌が鈍る」

 侯の目が細くなる。合図一つで、屋根の上から砂袋が落ち——
 アッシュはミルを覆うように抱き込み、肩で受けた。衝撃が外套越しに鈍く響く。

「卿!」
 駆け付けたエリンが、衛兵を率いて路地の入口を塞ぐ。
「遅れてすみません。羅針盤が**“ここ”**を指し示しました」

 状況が一気に反転する。追手の一人がわずかに怯み、もう一人が逃げ腰になる。
 ミルは胸の高鳴りを押さえ、アッシュの袖を引いた。

「自首味、一口だけ——」

「強制はするな。選ぶのは本人だ」
 アッシュは短く頷き、粉砂糖の小皿を地面に置く。
「——選ぶなら、最初の一歩を助ける」

 追手のうち若い方が、迷う眼で小皿を見た。ぽり。
「……俺は行く。言い訳をやめて、台帳に戻る。申し訳ありませんでした」

 砂糖の光が、さきほどの白線と交差して消える。
 マルド侯は肩を竦めた。「器量、ね。なるほど。ではこちらも——器量の大きい者を探そう」

「器量の名を借りた搾取は、線の外だ」
 アッシュの声は低い。「境界宣言。次は、砂糖ではなく法で処す」

 侯は笑い、影に溶けた。



 錬金省に戻る道すがら、ミルはようやく息を吐いた。
 足取りがふらつくのを、アッシュの手が支える。指先が、驚くほど静かな熱を持っていた。

「……さっき、ありがとうございます。卿の腕、痛くないですか」

「問題ない」
 即答——のはずが「いや、思っていることしか言えないから言っておくが、少し痛い」
 自分で言って、彼が僅かに目を瞬いた。ミルはうっかり笑ってしまう。

「じゃ、今夜の“安心のレシピ”に、帰ってきた腕の温湿布、入れときます」

「食べ物なのか、それは」

「食べると、帰った気持ちになるんです。腕は——心が温まると、痛みがほどけます」

 台所に戻ると、ミルはてきぱきと材料を並べた。
 砂糖言語は〈憩う〉〈戻る場所〉〈自分で決める〉。
 塩をひとつまみ。レモン皮をほんの少し。
 アッシュの筆致が、最後の一画にやわらぐ。

 焼き上がったクッキーは、ごく控えめな香りだった。
 エリンが恐る恐る一口、ぽり。
「……あ。胸のここらへんが、**“ただいま”**って言いました」

「成功だ」
 アッシュは自分も一口。甘い匂いに弱い体質のはずなのに、頭痛の輪郭が薄く引いていく。
 護る手の熱が、今も掌に残っている。甘さではない温度が、内側から灯る。

「卿」
 ミルが小さく、袖を引く。「あの、怖かったけど、卿の腕があったから、大丈夫でした」

「……よかった」
 だから、と彼は言いかけて、言葉を選ぶ。
「君は計画書を出して、それから勇気を出せ。勇気は、塩が利いているほうが長持ちする」

「はい。甘さは計画的に!」
 ミルは両手で“安心のレシピ”の缶を抱えた。頬に粉がひとつ、白く光る。

 アッシュは指先でそれをそっと払った。
 温度が伝わる。粉砂糖が空気に舞う。
 台所の灯は、砂糖の粒みたいにやわらかかった。

 エリンが咳払いしながら胃薬の箱を掲げる。
「卿、今夜は“安心のレシピ”で頭痛も軽減の予感です。ええと、その、砂糖過多にならない範囲で」

「心配するな」
 アッシュはわずかに口元を緩めた。
「甘さは——」

「計画的に!」
 三人の声が、同時に重なった。

——つづく——
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