こねこね錬金、クッキーで政務を救え! — 冷徹錬金卿と菓子妖精の末裔 —

星乃和花

文字の大きさ
7 / 11

第6話 宰相の影、真実の焼印を押せ

しおりを挟む
 召喚状は、午前の光より硬かった。
 差出人は——宰相府。

「v0.9の運用報告を聞きたい、だそうです」
 副官エリンが封筒を掲げ、胃薬の箱をその上にのせる。
「ついでに“製法の中央管理案”なる同封資料も」

「中央管理、ね」
 アッシュ・ヴェルは短く息を吐き、菓務課の黒板を一瞥した。
 1) 強制なし 2) 公平 3) 可逆 4) 透明。
 その四行は、粉砂糖みたいに白く、くっきりと残っている。

「行く」
 外套を羽織ると、ミル・サブレが缶を胸に抱えた。
「“安心のレシピ v0.9”のサンプルと、湯と、塩と、……あ、真実印の試作も持って行きます」

「真実印?」
 アッシュの眉がわずかに動く。

「はい。砂糖印字の“約束味”を、帳簿用に固めた焼印版です。嘘や改竄があると焦げ斑(しみ)が出るように、塩を少し混ぜました」

「塩は真実を浮かべる」
「はい。甘さは計画的に!」

「……合言葉は忘れないな」



 宰相府の応接は、パン屑厳禁の立札がきりりと立っていた。
 磨き上げられた机。苦い茶。甘い匂いは一切ない。

「よく来た、錬金卿」
 宰相閣下は、淡々とした声の人だった。年齢不詳、灰色の眼差しは薄い雲のように感情を隠す。
 その背後には、黒い帳簿を抱えた男——**宰相の影(かげ)**と呼ばれる筆頭書記。名はグラヴェルというらしい。目は笑っていない。

「“安心のレシピ”は評判のようだ」宰相が言う。「だが甘味は、ともすれば操作の道具にもなる。中央で配布を一元化したい」

「要点だけを申し上げます」
 アッシュは一歩進み、黒板の四行を清書した紙を机に置いた。
「このレシピは、強制しない/誰にでも/戻せる/公開するからこそ機能します。中央独占は原理に反します」

 影の書記グラヴェルが、薄く笑った。
「では問おう。透明と言うなら——港湾税の帳簿をここで検めるのはどうだ? “君たちの砂糖”がどれほどのものか」

 机上に分厚い帳簿が置かれる。
 マルド侯の派閥が触れている形跡のある、ざらついた紙の束。

「受けて立つ」
 アッシュは短く答え、ミルへと顎で合図した。
 ミルは缶を開け、銀粉と塩を小皿に落とす。
「真実印(しんじついん)——アイシング符は〈真〉〈数〉〈途〉。**数が道理に合わないと、印が“焦げて欠ける”**仕様です。
 加えて、湯で可逆。印は湯で溶かして、再検証ができます」

「始めよ」宰相が短く言う。

 アッシュの羽根ペンが、焼印の持ち手に砂糖言語を刻む。線は迷いなく、余計な渦はない。
 ミルが塩をひとつまみ、ほんの少しだけレモン皮を削る。
「酸は、においのバイアスを飛ばします。見たくない数字も見えるように」

 鉄の印に微かな熱。
 アッシュが第一頁の隅に押した。
 ——ぱち。
 白い砂糖の輪郭が浮かび、淡い銀が紙に沈む。

 宰相の灰色の眼が、初めてわずかに動く。
 印影は美しかった。焦げ斑は、なし。

「次」
 二頁、三頁。印は通る。
 四頁目で、砂糖の輪郭が、かすかにひび割れた。

「……ここ」
 アッシュが指先で示すと、グラヴェルが鼻で笑った。
「計算違いでもしたのだろう?」

 ミルは首を振る。
「収入の数字は合っています。でも“通過地点”が印字と違う。港で一度、別の紙に“預けられて”から戻っている」

「横流し」
 エリンが低くつぶやく。
 アッシュは短い息で頷いた。「**道(途)**の符が、道筋の不一致を拾った。——真実印は、額だけでなく“どこを通ったか”も見る」

 影の書記の口角が、さすがにわずかに下がる。
「証拠になると?」

「なる“きっかけ”です」アッシュは即答した。
「印は告発状ではない。再検証の起点だ。湯で溶かして署名者を呼び、連署で経路を再度確定する。強制はしない」

 宰相が面を上げる。「公開は?」

「印の仕様は全公開。領邦にも配布します」
 アッシュは真正面から灰色の眼を受けた。「秘伝は腐る。公開は育つ」

 短い沈黙。
 そして、宰相は指先で机を二度、軽く叩いた。
「よろしい。継いで押せ」



 真実印は、不思議なリズムで真と嘘の境界を照らし続けた。
 十頁目——議長のカツラ代の項で、印がなぜか濃く輝く。
「ここは正当な経費です」ミルが即答し、誰かが小さく吹き出す。
 十二頁目——数字は合うが途の斑点。
 十五頁目——印がふわりと薄くなる。「湯で戻した跡だ」アッシュの声は淡々。

「……面白い」
 宰相の眼差しに、わずかな熱が灯る。「これは“見える化”だな」

「見えてしまえば、人は線を引ける」
 アッシュは焼印を置き、湯を一杯、ミルが差し出すのを受け取った。
「湯がある限り、やり直しもできる」

 そこで、影の書記が静かに口を開いた。
「砂糖は、焦がせる」

 次の束が置かれる。
 新しい帳簿だが、紙の端が妙にしっとりしている。
 ミルは鼻先をひくつかせた。「……カラメル?」

「偽装だ」アッシュが即座に判定する。「焦げ斑を“カラメルの色”で誤魔化すつもりだな」

 影の書記の笑みが深くなる。「砂糖で来るなら、砂糖で返す。器量を見せてくれ、錬金卿」

 アッシュは返事をせず、塩の小瓶を指で弾いた。
「塩試験。——塩は、カラメルに滲みるが、焦げには滲まない」

 ミルがぱらぱらと紙面に塩を振る。
 ——しみ、しみ。
 にじんだのは、偽装された表層のみ。
 本当の焦げ斑の上では、塩がさらりと粒のまま残った。

 静寂。
 宰相が、苦い茶を一口。
「……グラヴェル」

 影の書記の笑みが、消える。
「宰相府は、玩具を求めていない。 線を引く道具を求めている」

 アッシュが短く頷いた。「ならば——真実印の標準化を進めます。湯と塩を前提に、誰でも再現できる仕様で」

「やるがよい」
 宰相は印を見つめたまま言う。「だが忘れるな。線は、人が引き続けねばならない」

「肝に銘じます」



 宰相府を辞した廊下で、ミルは深く息を吐いた。
「はぁぁ……緊張して、口の中がしょっぱ甘いです」

「塩の比率を上げすぎたかもしれない」
 アッシュは自分でもわずかに苦笑した。「いや、思っていることしか言えないから言っておくが——よくやった」

 ミルの頬が、蜂蜜色にきらめく。
「卿の線が、あったから」

 そこへ、窓外の回廊を渡る濃紺の外套。
 マルド侯だ。立ち止まり、こちらを一瞥する。

「宰相が砂糖に興味とはね。人の心など、線で囲えるものか」
 侯は肩をすくめ、意味ありげに笑う。
「——器量、引き続き見物させてもらうよ」

 去っていく背に、エリンが小声で言う。「次は向こうが“人心そのもの”へ来ますね」

「来る。自己呪詛の穴を狙って」
 アッシュの声が低く落ちる。「そこは砂糖では届きにくい」

 ミルが缶を抱きしめ、こくりと頷いた。
「夜、台所で、準備しましょう。卿の“痛いところ”にも効くやつ」

「私の?」

「えへへ……甘くない温度で、ほどくやつです」

 アッシュは一瞬だけ言葉を失い、すぐに視線を逸らした。
「計画書を——」

「出します! 甘さは計画的に!」



 その夜、菓務課。
 黒板の下に、新しい小さな欄が増えた。

— 次の研究メモ —
・自己呪詛に効く“夜の台所”メニュー
  〈聴〉聴かれる感覚/〈名〉名前を呼ぶ/〈居〉いてよい場所
・砂糖の配分:甘<塩、湯で可逆
・署名:連署(卿+ミル)

 エリンが湯を運びながら、にやりと笑う。
「卿、こういうときの言葉は?」

 アッシュは少しだけ考え、静かに言った。
「——いや、思っていることしか言えないから言っておくが。俺は、ここが帰り道だ」

 ミルの目に、砂糖でも塩でもない光が宿った。
「……じゃあ、“ただいま”の味、焼きますね」

「よろしい」
 湯気の向こうで、砂糖言語の細い線が、今夜はどこかやわらかく見えた。

——つづく——
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

辺境のスローライフを満喫したいのに、料理が絶品すぎて冷酷騎士団長に囲い込まれました

腐ったバナナ
恋愛
異世界に転移した元会社員のミサキは、現代の調味料と調理技術というチート能力を駆使し、辺境の森で誰にも邪魔されない静かなスローライフを送ることを目指していた。 しかし、彼女の作る絶品の料理の香りは、辺境を守る冷酷な「鉄血」騎士団長ガイウスを引き寄せてしまった。

好きすぎます!※殿下ではなく、殿下の騎獣が

和島逆
恋愛
「ずっと……お慕い申し上げておりました」 エヴェリーナは伯爵令嬢でありながら、飛空騎士団の騎獣世話係を目指す。たとえ思いが叶わずとも、大好きな相手の側にいるために。 けれど騎士団長であり王弟でもあるジェラルドは、自他ともに認める女嫌い。エヴェリーナの告白を冷たく切り捨てる。 「エヴェリーナ嬢。あいにくだが」 「心よりお慕いしております。大好きなのです。殿下の騎獣──……ライオネル様のことが!」 ──エヴェリーナのお目当ては、ジェラルドではなく獅子の騎獣ライオネルだったのだ。

【完結】戸籍ごと売られた無能令嬢ですが、子供になった冷徹魔導師の契約妻になりました

水都 ミナト
恋愛
最高峰の魔法の研究施設である魔塔。 そこでは、生活に不可欠な魔導具の生産や開発を行われている。 最愛の父と母を失い、継母に生家を乗っ取られ居場所を失ったシルファは、ついには戸籍ごと魔塔に売り飛ばされてしまった。 そんなシルファが配属されたのは、魔導具の『メンテナンス部』であった。 上層階ほど尊ばれ、難解な技術を必要とする部署が配置される魔塔において、メンテナンス部は最底辺の地下に位置している。 貴族の生まれながらも、魔法を発動することができないシルファは、唯一の取り柄である周囲の魔力を吸収して体内で中和する力を活かし、日々魔導具のメンテナンスに従事していた。 実家の後ろ盾を無くし、一人で粛々と生きていくと誓っていたシルファであったが、 上司に愛人になれと言い寄られて困り果てていたところ、突然魔塔の最高責任者ルーカスに呼びつけられる。 そこで知ったルーカスの秘密。 彼はとある事件で自分自身を守るために退行魔法で少年の姿になっていたのだ。 元の姿に戻るためには、シルファの力が必要だという。 戸惑うシルファに提案されたのは、互いの利のために結ぶ契約結婚であった。 シルファはルーカスに協力するため、そして自らの利のためにその提案に頷いた。 所詮はお飾りの妻。役目を果たすまでの仮の妻。 そう覚悟を決めようとしていたシルファに、ルーカスは「俺は、この先誰でもない、君だけを大切にすると誓う」と言う。 心が追いつかないまま始まったルーカスとの生活は温かく幸せに満ちていて、シルファは少しずつ失ったものを取り戻していく。 けれど、継母や上司の男の手が忍び寄り、シルファがようやく見つけた居場所が脅かされることになる。 シルファは自分の居場所を守り抜き、ルーカスの退行魔法を解除することができるのか―― ※他サイトでも公開しています

偽りの呪いで追放された聖女です。辺境で薬屋を開いたら、国一番の不運な王子様に拾われ「幸運の女神」と溺愛されています

黒崎隼人
ファンタジー
「君に触れると、不幸が起きるんだ」――偽りの呪いをかけられ、聖女の座を追われた少女、ルナ。 彼女は正体を隠し、辺境のミモザ村で薬師として静かな暮らしを始める。 ようやく手に入れた穏やかな日々。 しかし、そんな彼女の前に現れたのは、「王国一の不運王子」リオネスだった。 彼が歩けば嵐が起き、彼が触れば物が壊れる。 そんな王子が、なぜか彼女の薬草店の前で派手に転倒し、大怪我を負ってしまう。 「私の呪いのせいです!」と青ざめるルナに、王子は笑った。 「いつものことだから、君のせいじゃないよ」 これは、自分を不幸だと思い込む元聖女と、天性の不運をものともしない王子の、勘違いから始まる癒やしと幸運の物語。 二人が出会う時、本当の奇跡が目を覚ます。 心温まるスローライフ・ラブファンタジー、ここに開幕。

「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」

透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。 そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。 最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。 仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕! ---

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

辺境国の第三王皇女ですが、隣国に宣戦布告されたので後宮に乗り込んでやりましたが、陰謀に巻き込まれました

ととせ
恋愛
辺境の翠国(すいこく)の第三王女、美蘭(みらん)は突然やってきた焔国(ほむら)の使者の言い分に納得がいかず、侵攻を止める為に単身敵国の後宮に侵入した。 翠国の民だけに代々受け継がれる「魔術」を使い、皇帝に近づこうとするが、思わぬ事態に計画は破綻。 捕まりそうになったその時、次期皇帝を名乗る月冥(げつめい)に助けられ……。 ハッピーエンドのストーリーです。 ノベマ!・小説家になろうに掲載予定です。

処理中です...