【完結】地獄の釜は閉めたまま

染西 乱

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町の朝は早い。
太陽が昇ると同時に人々は我先にと起き出して、やれ水汲みだ、洗濯だ、朝餉の準備だと忙しい。
特に女はこまごまとした家のことを済ませてしまうと、次には昼食、夕食の準備を迫られいつものお店に足を運んで、どうにかして安い食材で済ませてしまえないものかと献立を考えるのに忙しい。
ある程度大きくなった子供には水汲みの仕事を任せて家を出る。子供達は水を汲み、家の水瓶を満たし終われば我先にと遊びに出かけてしまう。
しかし、任せられた仕事はきちんと終わらせているためお咎めはない。

小さな子供は女に手を引かれ、乳飲み子は紐を使って器用に背中におんぶして、出かける前から大荷物の感のあるものもいる。

男前だし優しいし文句なしに良い男だと近所の女たちから絶大な人気を誇る魚屋のにいちゃんは、「今日の魚は生きがいいよ」と朝とは思えない張りのある声で風呂敷を引っ提げて往来を行く女たちに声を掛ける。
近くに水運として使われている平野川があるおかげか、平野郷には新鮮な魚が入荷していることが多い。


頭に巻いた年季の入ったねじりはちまきの決まった八百屋のおじさんは「今の旬は大根だよ!おでんなんかどうだい!あったまるよ」などど勝手に献立を考えついたままに声をかけている。
だいたい大根だけではおでんなど出来もしないのだが、それはそれ八百屋の向い側右に二つ行けば豆腐屋があり、美味しいがんもどきもあれば、もう三軒向かうには練り物を扱う店がならんでいるのを知っているのだ。

「おっ、いい魚買ってるじゃねぇか! 魚におろし大根なんかどうだい」

魚を買ったと見える客にはすかさず別の話を広げる元気な話術はさすが百戦錬磨のおやじである。 

さて、ここ平野郷は商いで栄えている。

地理的に言えば摂津国住吉郡杭全郷の東部。
難波京と斑鳩・平安京を結ぶ古代道路である渋川道(のちの竜田越奈良街道)が通っており、昔から交通の要所であった。

とまぁ難しいことは置いておいて、とにかく人の通りの多い賑やかな街だ。

人が多ければ当然商いも盛んになる。

街の大通りには様々な店が軒を連ねている。
先ほど例に出した店など数多ある店の一握でしかない。

道ゆく人は、この街の人間もいれば他からやってきた旅人や、商人、ちらほらと腰に立派な刀を差した武家の人間も目についた。

平野郷の中心部には、薬師如来を本尊とする全興寺(せんこうじ)がある。
古くから親しまれている地域に根ざした寺である。

平野郷で生まれ育った孝之介には馴染み深い場所だ。
こじんまりした印象の境内の池には半透明のちいさな魚が泳いでいる。
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