【完結】地獄の釜は閉めたまま

染西 乱

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意気揚々余裕綽々。どうせ美知子に袖にされた見知らぬおっさんだ。見に行くにしてもなんの心構えもないので、足取りは軽い。
この胸の高鳴りをなんといおうか。さしずめ見せもの小屋にでも行くかのような期待とわくわくを孕んでいる。

大通りの店はどこも客足が多く、列を作っている店も多い。
目当ての茶屋には、三組ばかり待ち客が並んでいた。
店の店主にこんにちは~などと声をかける不粋はしない。今は忙しいのだから挨拶などされても時間の無駄迷惑なだけ。幼少期より店の中を美知子と、ちょろちょろと歩き回っていたため孝之介は店の内部を知り尽くしている。
勝手知ったる他人の店とばかりに堂々と店の人間かのような顔をして裏口から店内へ入る。

「お、孝之介じゃないか。美知子は今店にいないよ」

声をかけて来たのは、美知子の母の姉の康子である。
頭巾を頭に巻き、美知子と同じ店の名前の入った前掛けをつけている。
裏口を入ってすぐの場所には広い土間があり、そこに大きな鍋を煮込める立派なかまどが二つ並んでいた。
むわっと熱気が孝之介の身体を包む。
康子は紐で袖を縛り、あわや脇まで見えてしまうのではないかと言うほど袖を上げている。裾も帯の中におししこんで捲り上げている。外でこんな格好をすればみっともないと言われるだろうが、熱された釜の前で仕事をするとなるとこのような格好になるのは致し方ない。
甘い豆の匂いと、砂糖の匂い、小麦粉の匂いや抹茶、いろんなものがあわさり「いつも」の店の匂いを作り上げていた。
湯を沸かしているのか、それとも小豆を煮ているのか蓋が閉まっているため判別はつかない。
先ほど薪を足したばかりなのかごうごうと赤い火は鮮やかに身をくゆらせている。
額に汗をかいた康子は左手に腕の半分ほどの長さの竹を持っている。康子の得物のような火吹き棒はすす
がついた竹は年季の入った鈍い薄茶になっている。

「美知子がおらんのはしってる。なぁ、それよりどいつなんや? 美知子に求婚したおっさんってのは」

孝之介がずい、と身を乗り出して康子に迫ると康子は一瞬なにを聞かれたのかわからないと言う顔をしてから、にんまりとした顔に変わった。

「なるほど、敵情視察ってやつ?」

康子のからかいたそうな雰囲気を察して、孝之介は渋面を作った。康子の噂話好きも、色恋に対するおせっかい焼きも知っているからだ。

向かいの店ののり屋の息子の三郎太が康子の余計なお世話で相思相愛の仲良しの婚約者と揉め、店先で大声で婚約者の女に許しを乞い、土下座して謝るという珍事を引き起こしたのは記憶に新しい。

「ちゃうわ。もう美知子が断ってんのは知ってんねん

出来るだけ感情を揺らさないように言葉を選ぶ。

「なんや、知ってんの? じゃぁ何しに来たんよ」

つまらん、と康子の顔に書いてある。
そうだ、それでいい。孝之介は康子に興味を持たれたくない。

「いや、だから……美知子に振られおじさんの顔見に来ただけ」

「なんやそれ、意味わからん」

「別にええやろ、で、どこに座ってるんや?」

「知らんわ。ここで仕事しててんから、知るわけないやろ。店に出てる子にききぃや」

言われてみればその通りだ。

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