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第8話
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「処刑人、なんですよね」
「はい」
役職名は執行官だが、以前対峙した吸血鬼にそう呼ばれたことがあるので頷いた。隠せていると思ったのは俺だけで、正体はとっくにバレていたのだ。
冷たい空気が満ち、しんという音が聞こえそうなほど静かな部屋。青い顔をした澪さんをベッドに座らせ毛布をかけ、その向かいの床に座った俺は拳を握ってじっと俯いていた。
改めて見ると、出会った時はそれなりに色つやの良かったはずの肌も、まるで枯れ葉のように乾いてしまっていた。もう具合が悪いのを隠す余裕も無くなってしまったのか、苦しそうに肩を上下させる澪さん。
俺はどうして気が付かなかったのだろう。いや、見ないようにしていたのかもしれない。澪さんは、きっとずっと空腹に耐えていたのだ。
「わかっていたなら、どうして逃げたり、俺を殺そうとなかったんですか?」
「やっぱり、ここに通っていたのは隙を見て私を仕留めるため?」
「違います、俺は」
質問に質問で返されて、言葉に詰まった。
正体がバレたのはやはり二度目の訪問の時。気を失っていた俺を家まで運び、上着を脱がせようとした澪さんは懐に忍ばせていた武器を見てしまったんだそうだ。銀色に磨き上げられた刃物や銃の数々は、吸血鬼の命の奪うためのものだというのは明らかだろう。
「仲間の間では前から噂になってるんですよ。銀色の目をした処刑人は、私たちへの強い恨みで動いているから人並み外れてるって。もし反撃できても、その血に触れたらおしまいって。まあ、人間の血が毒を持ってるわけないって、実在を疑ってる者の方が多かったですけど」
一応トップシークレットなのだが、俺は黙って頷いた。
「初めて見かけた時からあなたのことが気になっていたのは、単に寂しそうに見えたから。私と同じ匂いがするなって思ったから。でも明るいところでまっすぐお顔を見たら、目が銀色で驚いて。ああ、これでやっと終われるって思った」
「……もしかして、殺されてもいいと思ってたんですか」
「……はい」
絶句した。澪さんが言う通り、俺の目は銀色をしている。元々は違う色だったらしいが、覚えていない。
俺は、ナノマシンの注入や複数の薬物の投与により、自らの身体を対吸血鬼用の猛毒に変える処置を受けている。相手に血を吸わせずとも、その血に触れさせるだけで確実に相手を殺せる、まさに銀の弾丸なのだ。瞳の色も副作用で銀色に変わってしまう。
澪さんが『おしまい』と言うのは本当のことで、例えば、いくら愛していても、俺は澪さんの深いところには絶対に触れる事ができない。血液よりは幾分か濃度が下がるが、その他の体液にも全て吸血鬼を殺す猛毒を含む。
人間にも若干作用するらしいので、自らの身体を変えると誓いを立てた時点で、多くのものを捨てることになる。身体への負担が大きく、寿命も残り十年ほどに縮まる。細胞が変質してしまうため、子供を望むこともできない。
だから、処置を受けることを強制はされない。吸血鬼への強い恨みを持つものが自ら志願し、それ以外の何もかもを捨てて、苦痛に耐え身体を作り替える。
俺は誰かを愛するつもりはなく、長く生きたい理由もなかった。将来に夢や希望があるわけでもなかった。家族を殺された恨み以外に何にもなかった。
だから、ただ一体でも多くの吸血鬼を殺して、自分も家族のところに行ければそれでいい。
未来なんかなくてもいい、どうでもいい。
澪さんに会うまではそう思っていた。
再び部屋の中は海の底のように静かになった。
「私も、空木さんのこと、好きです」
「えっ」
緋色の目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「いつか、言ってくれましたよね。私、耳がすごくいいんです。本当に嬉しくて、幸せで、聞こえなかったふりするのが大変で。自分が何者であるかも忘れて、あなたの隣で生きていけたらって夢を見た。笑ってる顔、大好きでずっと見てたかったです。血を飲まなければ人間になれるかもって思ったけど、でも」
ぶちんと、何かが切れてしまった。ずっと押し込めていた感情が、どっと溢れてきた。
「だったら一緒に生きよう、澪さん。どこか遠くに逃げて、何があっても俺が守るから。だから」
澪さんは首を横に振った。子供じみたことを言っているのは自分でもよくわかっていた。それ以上は何も言えなくなってしまった俺の頬を冷たい手が包み込む。
澪さんは涙をこぼしながらも、駄々っ子をあやす母親のように優しくもどこか決然とした顔をしていた。
「ごめんなさい。すごくお腹が空いていて。次はちゃんと我慢できるか、自分でもわからないんです。だから、今ここであなたに殺してほしい。他の人の手にはかかりたくないです。覚悟ができるまで待ちますから」
我慢できない、ということは次は殺すかもしれないということだ。そうなるとこの町にも沢山の執行官が送られることになる。別に俺が殺せなくても別の誰かが手を下すだけ。彼女がもがき苦しむ姿が浮かび、恐ろしくなって首を振った。
細い体を折ってしまわぬようにそっと抱き締めた。ためらいがちに回された腕が同じように俺を捕らえた。「だいすき」というささやき声が、服に吸い込まれていく。幸せと絶望がないまぜになった。
覚悟はできたが、もう少しこのままでいたいというと、澪さんは頷いた。「私の話をしてもいいですか」と言い、彼女は降りはじめの雨のように話し出した。
俺は、澪さんを離さないままで黙って聞いた。聞き漏らしてはならないと思った。
吸血鬼……の中にも色々な考えを持つものがいるらしい。例えば自分達の方が優れていると考え、人間の命なんか何とも思っていない者たち。いつかは人の世を終わらせて、自分達だけの世界を作ることを夢見ているそうだ。
そして、もし誰も殺さずに生きることができれば、いつか受け入れてもらえて、共生することが叶うのではないかと考える者たちもいた。澪さんもその考えをもつと言う。
「受け入れてもらえなければいつか滅んでしまうけれど、それは致し方ないことなんです。異分子なのはこちらの方なんですから……まあ、あちらの人たちはこれを『進化』と呼んでいますけど」
澪さんはそう言って悲しげに笑った。やがて同胞同士の長い長い争いの果てに共生派が裏切り者と呼ばれることになり、ほかの仲間からも追われる身になったという。
それでも、いつか来る日のために、何としても生きようとしていた澪さんたち。
しかし、誰も殺したくないと思っていても、この国の今の時代では消えてしまいたいと望んだ人の手伝いをし、なり変わって生きるしかない。
今の名前も仕事も住まいも元は別人のもの。しばらくはここで暮らして、正体を怪しまれたらまた次の町へ行き、同じように誰かを手にかける。
世を儚んだ相手と利害は一致している。それでも信条に反しているので苦しいのだと言って彼女は泣いた。
「はい」
役職名は執行官だが、以前対峙した吸血鬼にそう呼ばれたことがあるので頷いた。隠せていると思ったのは俺だけで、正体はとっくにバレていたのだ。
冷たい空気が満ち、しんという音が聞こえそうなほど静かな部屋。青い顔をした澪さんをベッドに座らせ毛布をかけ、その向かいの床に座った俺は拳を握ってじっと俯いていた。
改めて見ると、出会った時はそれなりに色つやの良かったはずの肌も、まるで枯れ葉のように乾いてしまっていた。もう具合が悪いのを隠す余裕も無くなってしまったのか、苦しそうに肩を上下させる澪さん。
俺はどうして気が付かなかったのだろう。いや、見ないようにしていたのかもしれない。澪さんは、きっとずっと空腹に耐えていたのだ。
「わかっていたなら、どうして逃げたり、俺を殺そうとなかったんですか?」
「やっぱり、ここに通っていたのは隙を見て私を仕留めるため?」
「違います、俺は」
質問に質問で返されて、言葉に詰まった。
正体がバレたのはやはり二度目の訪問の時。気を失っていた俺を家まで運び、上着を脱がせようとした澪さんは懐に忍ばせていた武器を見てしまったんだそうだ。銀色に磨き上げられた刃物や銃の数々は、吸血鬼の命の奪うためのものだというのは明らかだろう。
「仲間の間では前から噂になってるんですよ。銀色の目をした処刑人は、私たちへの強い恨みで動いているから人並み外れてるって。もし反撃できても、その血に触れたらおしまいって。まあ、人間の血が毒を持ってるわけないって、実在を疑ってる者の方が多かったですけど」
一応トップシークレットなのだが、俺は黙って頷いた。
「初めて見かけた時からあなたのことが気になっていたのは、単に寂しそうに見えたから。私と同じ匂いがするなって思ったから。でも明るいところでまっすぐお顔を見たら、目が銀色で驚いて。ああ、これでやっと終われるって思った」
「……もしかして、殺されてもいいと思ってたんですか」
「……はい」
絶句した。澪さんが言う通り、俺の目は銀色をしている。元々は違う色だったらしいが、覚えていない。
俺は、ナノマシンの注入や複数の薬物の投与により、自らの身体を対吸血鬼用の猛毒に変える処置を受けている。相手に血を吸わせずとも、その血に触れさせるだけで確実に相手を殺せる、まさに銀の弾丸なのだ。瞳の色も副作用で銀色に変わってしまう。
澪さんが『おしまい』と言うのは本当のことで、例えば、いくら愛していても、俺は澪さんの深いところには絶対に触れる事ができない。血液よりは幾分か濃度が下がるが、その他の体液にも全て吸血鬼を殺す猛毒を含む。
人間にも若干作用するらしいので、自らの身体を変えると誓いを立てた時点で、多くのものを捨てることになる。身体への負担が大きく、寿命も残り十年ほどに縮まる。細胞が変質してしまうため、子供を望むこともできない。
だから、処置を受けることを強制はされない。吸血鬼への強い恨みを持つものが自ら志願し、それ以外の何もかもを捨てて、苦痛に耐え身体を作り替える。
俺は誰かを愛するつもりはなく、長く生きたい理由もなかった。将来に夢や希望があるわけでもなかった。家族を殺された恨み以外に何にもなかった。
だから、ただ一体でも多くの吸血鬼を殺して、自分も家族のところに行ければそれでいい。
未来なんかなくてもいい、どうでもいい。
澪さんに会うまではそう思っていた。
再び部屋の中は海の底のように静かになった。
「私も、空木さんのこと、好きです」
「えっ」
緋色の目から、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。
「いつか、言ってくれましたよね。私、耳がすごくいいんです。本当に嬉しくて、幸せで、聞こえなかったふりするのが大変で。自分が何者であるかも忘れて、あなたの隣で生きていけたらって夢を見た。笑ってる顔、大好きでずっと見てたかったです。血を飲まなければ人間になれるかもって思ったけど、でも」
ぶちんと、何かが切れてしまった。ずっと押し込めていた感情が、どっと溢れてきた。
「だったら一緒に生きよう、澪さん。どこか遠くに逃げて、何があっても俺が守るから。だから」
澪さんは首を横に振った。子供じみたことを言っているのは自分でもよくわかっていた。それ以上は何も言えなくなってしまった俺の頬を冷たい手が包み込む。
澪さんは涙をこぼしながらも、駄々っ子をあやす母親のように優しくもどこか決然とした顔をしていた。
「ごめんなさい。すごくお腹が空いていて。次はちゃんと我慢できるか、自分でもわからないんです。だから、今ここであなたに殺してほしい。他の人の手にはかかりたくないです。覚悟ができるまで待ちますから」
我慢できない、ということは次は殺すかもしれないということだ。そうなるとこの町にも沢山の執行官が送られることになる。別に俺が殺せなくても別の誰かが手を下すだけ。彼女がもがき苦しむ姿が浮かび、恐ろしくなって首を振った。
細い体を折ってしまわぬようにそっと抱き締めた。ためらいがちに回された腕が同じように俺を捕らえた。「だいすき」というささやき声が、服に吸い込まれていく。幸せと絶望がないまぜになった。
覚悟はできたが、もう少しこのままでいたいというと、澪さんは頷いた。「私の話をしてもいいですか」と言い、彼女は降りはじめの雨のように話し出した。
俺は、澪さんを離さないままで黙って聞いた。聞き漏らしてはならないと思った。
吸血鬼……の中にも色々な考えを持つものがいるらしい。例えば自分達の方が優れていると考え、人間の命なんか何とも思っていない者たち。いつかは人の世を終わらせて、自分達だけの世界を作ることを夢見ているそうだ。
そして、もし誰も殺さずに生きることができれば、いつか受け入れてもらえて、共生することが叶うのではないかと考える者たちもいた。澪さんもその考えをもつと言う。
「受け入れてもらえなければいつか滅んでしまうけれど、それは致し方ないことなんです。異分子なのはこちらの方なんですから……まあ、あちらの人たちはこれを『進化』と呼んでいますけど」
澪さんはそう言って悲しげに笑った。やがて同胞同士の長い長い争いの果てに共生派が裏切り者と呼ばれることになり、ほかの仲間からも追われる身になったという。
それでも、いつか来る日のために、何としても生きようとしていた澪さんたち。
しかし、誰も殺したくないと思っていても、この国の今の時代では消えてしまいたいと望んだ人の手伝いをし、なり変わって生きるしかない。
今の名前も仕事も住まいも元は別人のもの。しばらくはここで暮らして、正体を怪しまれたらまた次の町へ行き、同じように誰かを手にかける。
世を儚んだ相手と利害は一致している。それでも信条に反しているので苦しいのだと言って彼女は泣いた。
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