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転生編
第4話
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「空木さん……ごめんなさい……」
寝言でも謝り続ける彼女の髪を手でゆっくりと梳いた。すっかり寝息は落ち着いて、少女のように穏やかな顔で眠っている。
あの後は吐くわ泣くわの大騒ぎで、ようやく落ち着いた頃には丑三つ時になってしまっていた。明日も仕事が休みだというのはなんとか聞き出せたので、自分の部屋に連れて帰ることにした。
タクシーに詰め込んで、帰ってもらったほうが振る舞いとしては正しいのは分かっている。しかし、本人はとても話せる状態ではないし、俺も彼女の自宅がどこにあるのかを知らず、そうするほかなかった。
背負って帰ってきた彼女をベッドに下ろし、シャツの襟のところだけを緩める。少し覗いた細い首筋に、変な気が起きそうになるのを必死で堪えながら、布団をかけた。
そういえば前にも同じようなことがあったと、笑いを堪えられなくなる。あの時は倒れたのは俺で、助けてくれたのは澪さん……だったが。
因果がめぐる、とはよく言ったものだ。
あの時『たまたま通りがかった』と澪さんが言っていたのを最後まで信じてはいなかったが、俺も本当にたまたまジョギングに出ていたら酔っ払った彼女がいて、雑草の花にクダを巻いていた。
同じように倒れたところを家に連れて行って、布団に寝かせて。じゃあ、次はまた食事を振る舞わないといけないなと、朝食のことを考え始める。
当時の澪さんがどんな気持ちだったかはもう確かめようがないが、あの夜のことがなければ、俺は旅に出ようなんてことは考えなかっただろう。
窓の外には静かで平穏な夜が広がっている。今生きているこの世界には、吸血鬼なんてものは存在していない。転生した彼女がそうであるように、俺もごく普通の人間だ。
俺は澪さんに会うためにひたすら転生を繰り返し、さまざまな世界を見てきた。激しい戦乱の世を駆けたこともあれば、静かな深海を漂うだけだったこともあった。とにかく長い間、あちこちをさすらい続けていた。
澪さんが歩いてきた遥かな道をなぞっているのだろうと思った。
今回は平和な世界の恵まれた環境に生まれ、久しぶりの穏やかな人生をそれなりに満喫していた。やはり今回も違うのかと思った矢先、転職をきっかけに移り住んだ街で、とうとう彼女と再会を果たした。
いや、初めて出会った。
そう、『もう一度、最初から』だ。
俺の話はおそらく信じていないし、記憶にもはっきり残らないだろう。それでいい。何も思い出す必要はない。
俺は確かに、目の前の人を好きになったのだから。
泣いたり笑ったりしながら、まっすぐに生きている。同じ色の血が流れている。穏やかに呼吸をしている。確かに体温を感じる。
もう、昼と夜に隔たれることはない。
ソファーに横になり、少しだけ眠った。夢に出てきたのは月明かりではなく陽の光が似合う彼女だった。
『私も日向で青い空を見上げて、うんって息を吸ってみたかった。お花も陽の光の下だともっと綺麗なんでしょうね』
あの日の願いを叶えた彼女は、陽の光を目一杯浴びて育った花のように、強くしなやかで。ちょっと賑やかで。
抜けるような青空の下、黒曜石のような瞳を輝かせて。
俺を見て、笑ってくれていた。
短い夢のあと、目を覚ますとカーテンの隙間から白い光が漏れている。
もはや夜明けは、終わりの合図などではない。
「ううん……」
俺は瞼をかすかに動かした彼女の頬に触れ、こう言った。
「澪さん、おはようございます」
〈了〉
寝言でも謝り続ける彼女の髪を手でゆっくりと梳いた。すっかり寝息は落ち着いて、少女のように穏やかな顔で眠っている。
あの後は吐くわ泣くわの大騒ぎで、ようやく落ち着いた頃には丑三つ時になってしまっていた。明日も仕事が休みだというのはなんとか聞き出せたので、自分の部屋に連れて帰ることにした。
タクシーに詰め込んで、帰ってもらったほうが振る舞いとしては正しいのは分かっている。しかし、本人はとても話せる状態ではないし、俺も彼女の自宅がどこにあるのかを知らず、そうするほかなかった。
背負って帰ってきた彼女をベッドに下ろし、シャツの襟のところだけを緩める。少し覗いた細い首筋に、変な気が起きそうになるのを必死で堪えながら、布団をかけた。
そういえば前にも同じようなことがあったと、笑いを堪えられなくなる。あの時は倒れたのは俺で、助けてくれたのは澪さん……だったが。
因果がめぐる、とはよく言ったものだ。
あの時『たまたま通りがかった』と澪さんが言っていたのを最後まで信じてはいなかったが、俺も本当にたまたまジョギングに出ていたら酔っ払った彼女がいて、雑草の花にクダを巻いていた。
同じように倒れたところを家に連れて行って、布団に寝かせて。じゃあ、次はまた食事を振る舞わないといけないなと、朝食のことを考え始める。
当時の澪さんがどんな気持ちだったかはもう確かめようがないが、あの夜のことがなければ、俺は旅に出ようなんてことは考えなかっただろう。
窓の外には静かで平穏な夜が広がっている。今生きているこの世界には、吸血鬼なんてものは存在していない。転生した彼女がそうであるように、俺もごく普通の人間だ。
俺は澪さんに会うためにひたすら転生を繰り返し、さまざまな世界を見てきた。激しい戦乱の世を駆けたこともあれば、静かな深海を漂うだけだったこともあった。とにかく長い間、あちこちをさすらい続けていた。
澪さんが歩いてきた遥かな道をなぞっているのだろうと思った。
今回は平和な世界の恵まれた環境に生まれ、久しぶりの穏やかな人生をそれなりに満喫していた。やはり今回も違うのかと思った矢先、転職をきっかけに移り住んだ街で、とうとう彼女と再会を果たした。
いや、初めて出会った。
そう、『もう一度、最初から』だ。
俺の話はおそらく信じていないし、記憶にもはっきり残らないだろう。それでいい。何も思い出す必要はない。
俺は確かに、目の前の人を好きになったのだから。
泣いたり笑ったりしながら、まっすぐに生きている。同じ色の血が流れている。穏やかに呼吸をしている。確かに体温を感じる。
もう、昼と夜に隔たれることはない。
ソファーに横になり、少しだけ眠った。夢に出てきたのは月明かりではなく陽の光が似合う彼女だった。
『私も日向で青い空を見上げて、うんって息を吸ってみたかった。お花も陽の光の下だともっと綺麗なんでしょうね』
あの日の願いを叶えた彼女は、陽の光を目一杯浴びて育った花のように、強くしなやかで。ちょっと賑やかで。
抜けるような青空の下、黒曜石のような瞳を輝かせて。
俺を見て、笑ってくれていた。
短い夢のあと、目を覚ますとカーテンの隙間から白い光が漏れている。
もはや夜明けは、終わりの合図などではない。
「ううん……」
俺は瞼をかすかに動かした彼女の頬に触れ、こう言った。
「澪さん、おはようございます」
〈了〉
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