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ヴァーチャル新世界
しおりを挟む「こんにちは!」
笑顔が可愛らしい彼女が今日の取材相手だ。
社交辞令の笑顔だろうことは分かっているが、可愛い笑顔にこちらも笑みを返す。
「よろしくお願いします」
そう言って頭を軽く下げれば、アバターも礼をしたようだ。視界が一瞬、彼女の下半身を捕らえる。
制服を模してあるのだろうか、ブレザーに似た紺色のジャケットを着て、ブリーツスカートを履いた服装は、白のシャツに、首元を緩めたネクタイも相まって学校帰りの学生のように見える。
だが、今日の取材相手は社長だ。
アバターがどんなに可愛らしくても、未成年に見えても、急成長中のベンチャー企業の社長である。やっと時間を貰っての取材だ。失礼のないようにしなければ。
席に着き、インタビューを開始する。
「まず、始めにお尋ねしたいのですが、このビジネスを始めようとした切っ掛けはなんだったのでしょうか」
まずは在り来たりな質問を投げて見る。初対面の相手にいきなり切り込むのはリスクが高い。よくある質問から初めて、会話を膨らませていく必要がある。
彼女は、唇に指を当てて、ちょっと考える素振りを見せた後に応えてくれた。
「切っ掛けってゆーか。私、好きなんですよ。この世界」
そう言って、彼女は笑顔になる。
彼女の会社はヴァーチャル空間を使ったスペースを提供している。
玄関ホールと名付けられた誰でも入れる広いスペースの他に、グループ用のコミュニケーション・ルームや、二人だけで入れるプライベート・ルーム等がある。
玄関ホール以外は全て時間単位で料金が発生するシステムだ。それだけ聞くとレンタルの会議室に近いが、置かれているギミックの数々がそれを裏切る。ビリヤード台や、ダーツボード、カラオケと言ったアミューズメントパークにあるような設備や、ボードゲームにトランプと言った卓上ゲーム。そしてソファーセットにバーカウンターなどの誰かと二人だけでゆっくり過ごせる空間。
ヴァーチャル空間で提供されているのは遊ぶためのギミックと、ゆっくり寛ぐためのギミックであって、そこには会議テーブルも、プロジェクターも存在しない。
彼女の会社で提供しているヴァーチャル空間はそういう娯楽よりの施設である。
そしてヴァーチャル空間であるから、基本的に順番待ちは発生しない。ダーツをやる人が多ければ、ダーツボードを配置した部屋を増やすだけで済む。例外は、ユーザーが多すぎてサーバーがパンクした時くらいだろう。
「この世界と言われるのは、ここのことですか? それともヴァーチャル空間全般の意味でしょうか」
「ヴァーチャル空間全般が好きですよ。そして、ここは社員皆で好きなものを詰め込んだ場所ですから、とっても大好きです」
彼女は拳を振りながらそう力説する。
彼女のアバターの造形はとても可愛い。ショートカットの髪型と身振り手振りを交えたテンションの高い会話がよく似合う。
インタビューは彼女の会社で提供しているヴァーチャル空間で行われている。プライベート・ルームと呼ばれるこの場所は、人数制限が二人だけという小さな空間だ。
自分は取材用のゲストということでマネキンのようなアバターを使っている。社長のほうは普段から使っているという少女のアバターだ、
今はソファが二つと、背の低いテーブルが置いてあるだけの部屋は、ビルの入口にあるような商談スペースに似ている。ただ、面白いのは四方に壁がない。壁全面が街を見下ろす映像を映し出していて、まるで屋上に取り残されたような気分になる。
解放感という意味ではこれ以上ない風景だが、高所恐怖症の人間なら身動きが取れなくなるかもしれない。
「この世界には物理法則がありませんから」
そう言って彼女は何もない空間から白いボールを取り出して見せる。
「こんなふうに」
ボールは手の平から零れ落ち、また、今度は黄色いボールが現れる。
「現実世界では出来ないことも出来るんですよ」
あっと言う間に床は数々のボールに占拠される。
色取り取りのボールは跳ね、転がり、それ自体が意志を持っているかのように、部屋中を遊び回る。
そして、唐突に全てのボールが消える。
「面白いでしょう?」
ドヤ顔でそう言う彼女は、容姿のせいか、どこか微笑ましい。
「現在のサービスでは、ビリヤードやカラオケ等の現実にも存在するものが中心となっていますが、今後は、こういったヴァーチャル空間特有のギミックを増やすおつもりでしょうか」
「もちろん、それも視野に入れています。今はヴァーチャル空間というものに慣れてもらうことを優先していますから、今後、時期を見てという感じです」
インタビューでは会話に専念しているため、手元には何も持っていない。インタビューの内容は自前のPCに保存しているから、後で見直しながら記事をまとめるつもりだ。
「ヴァーチャル空間というものに慣れるということについて、もう少し詳しく伺ってもいいですか?」
彼女は、んーと唸って手を頬に当てる。
「この世界には物理法則がありませんから」
一つ区切る。
「こういうことも出来るんですけど」
彼女の手の中から現れたボールが、天井に落下する。
「現実世界との違いって、慣れないうちは違和感を感じるんですよ」
天井で数回バウンドしていたボールは、そのまま天井をころころと転がっていく。
「本当は、物理法則を真似るほうがこの世界には難しいんですけど」
そう言って、彼女は柔らかいボールを投げた時に重さや柔らかさをパラメータ化しても、それだけではボールがどのくらい跳ねるかを違和感なく再現するのは難しいと話す。計算上では正しくても、見た目の色、光沢、僅かな凹凸で人間のイメージする跳ねる高さが違うのだと言う。
途中から専門用語も混ざり、内容が半分も頭に入ってこなくなる。これはインタビューが終わり次第、単語を調べながら記事を書く必要がありそうだ。
「……だからこの世界では、新しいルールを作ろうと思うんですよ」
彼女は、そう言って長い説明を終えた。
大筋はヴァーチャル空間に物理法則はそぐわないから、新しいルールが必要だという話に聞こえた。個々の専門用語は分からないが、大筋としてはあまりずれていないはずだ。
新規新鋭のベンチャー企業へのインタビューとしてはこんなものかと、締めの雑談に入る。会社設立の動機や、今後の展開について聞き出せれば、後は人間味のある雑談で閉めても記事の構成には困らない。
「新しい世界に新しいルール。まるで神様みたいですね」
「あー、そうかも知れません。社員の皆と作ってますから、神様が沢山いることになっちゃいますけど」
「多神教の世界でもいいと思います。でも出来れば、破壊神は居ないほうが助かりますね」
そう言って笑い合う。やはりこの人は笑顔が可愛い。
「異世界に興味がありましたら、いつでもご参加くださいね」
「ええ、ありがとうございます。その時はぜひ」
「必要でしたらトラックも派遣しますから」
「ああ、アニメの話ですか、最近は多いみたいですね、トラックで異世界」
そんなことを言いながら立ち上がってログアウトを選択する。
「ふう」
凝った首を捻るとゴリゴリと音を立てる。
インタビューはトラブルなく終わったものの、その後が大変だった。記録していたはずのPCには一切のデータが記録されていなかった。ファイルが再生出来ず、容量が0バイトと表示されているのを見た絶望感は強い。
慌てて、覚えているうちにと、すぐに原稿に取り掛かり、終わったのは今、深夜というよりも翌朝間近の時間だ。
いつもであれば紙のメモと複数のICレコーダを使うが、今回は先方の要望でヴァーチャル空間でのインタビューだった。記録に使えるのがアクセスに使っているPC1台しかなかったのだ。
その分、念を入れて準備を整えたつもりがこの有様で、神を呪いたくなるほどの絶望感の中で原稿を書き上げるしかなかった。
机に広げたままの資料が目に入る。
「草創 神ねえ」
それは今日インタビューをした社長の名前だ。
会社のホームページには社長の名前は書かれておらず、登記情報を取り寄せて名前を確認した。明らかに男の名前だが、アバターは女性だったし、声も女性に聞こえた。ボイスチェンジャーだろうか。タイムラグなしで違和感のない声が出せるなんて、知らないうちに随分と進歩したものだ。
インタビューで新しい世界を作ると宣った社長の名前が「神」とは面白い。記事に絡めようかとも少し思ったが、ホームページにも記載がないことを思い出して自重した。インタビューを受ける条件にヴァーチャル空間を指定してきたことも無関係だとは思えない。
机の上を、書類が崩れない程度に整えて席を立つ。
食事もせずに原稿に集中していたから、腹は減っていのるを通り越して鈍い痛みを与えてくる。アパートに帰る途中で食事をしたいが、生憎、通り道にある飲食店は、こんな時間に営業はしていない。コンビニに寄ることを決めて上着を着る。
酒を飲んだわけでもないのに、クラクラする頭を抱え、仕事場のビルを出る。
そこで、俺はトラックに轢かれた。
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