ある魔法都市の日常

工事帽

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本屋の上谷さん2

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 一階の店舗から、店長のデカい話声が聞こえてくる。
 相手の言葉が聞こえてこないのはいつものことだ。というか、声が二階の作業場まで響いてくる店長のほうがおかしい。

 聞く気はないが、聞こえてくる声は買い取りの相談のようだ。
 この店では、一階の店舗で原稿の買い取りと本の販売を、二階の作業場で写本を作っている。
 そして店長の上谷さんは、普段から一階のカウンターに陣取っている。金のやり取りが絡むからだ。買い取り価格も、販売価格も、店長の一存で決まる。

 一階が静かになってしばらくすると、ドスドスと階段を上がってくる音が聞こえる。

「新しい原稿だよ。大急ぎでやりな」

 声だけじゃなく、足音までうるさい店長だ。

「今、やってるのはどうするんです? こっちも急ぎって話でしたよね」
「そいつは後回しさ。売れ行きが良くないからね。この原稿のが先さね」

 渡された原稿を見てみると、数十ページの原稿の中に図解が十以上ある。

「あーこいつは転写の魔法道具使わないと無理ですね」
「どうしてだい。お前が手で写しな。なんのために高い金払って雇ってると思ってるんだい」
「いや、これ魔法生物技師向けの技術書でしょう。図の省略が出来ないんですよ。これなんて、びっしりと細かい書き込みしちゃって。専門家じゃないと、線一本、模様一つ、どこなら省略しても問題ないか分からないんですって。時間が掛かり過ぎるんですよ」

 娯楽本の挿絵なら雰囲気が伝わればいいし、普通の図解なら説明に必要な部分だけ損なわなければいい。だが、ここまで専門的な図解では、どこなら省略してもいいのかを判断出来ない。結果、丸写しにするしかない。

「この原稿の十以上ある図解を手で写してたら、それだけで3日はかかりますよ。大急ぎじゃないんですか」
「チッ。仕方ないね。数は五十だ。大急ぎでやんな」

 へいへいと答えて、魔法道具の準備を始める。

「しっかし、こんな専門書が五十も売れるんですか?」

 売れない本の在庫が積みあがると、店長の機嫌が悪くなる。普段以上にうるさくなるのは勘弁して欲しいものだ。

「心配いらないよ。原稿持って来たエルフの兄ちゃんの、故郷にもってけば十冊はいける。故郷にいる父親が師匠だからね。あとは他の街の好事家連中だよ。読めもしないクセに集めたがる」

 子供の書いた本か、それは無視出来ないだろうな。それに好事家? ひょっとして、魔法生物を作れるようになりたい人がいるのかね。エルフ並みの寿命がなければ無謀だと思うんだが。
 でもまあ、街の外では魔法生物のことを勘違いしているって噂も聞く。量産できる従業員ってやつだ。
 数体作って仕事を任せれば、あとは左団扇で遊んで暮らせる、と。

 ドスドスと音を立てて、店長は一階に戻った。
 原稿にページ番号を入れた後で、図解のページだけを転写の魔法道具にセットする。魔石を放り込んで、魔法道具が動き始めたら、転写が終わるまでの間に文字の手写しを始める。
 数が数だ。いつも頼んでるヤツらに頼むにしても、万が一を考えれば原稿そのものを渡すわけにはいかない。渡すための写本だけは、ここで作る必要がある。

「まったく、急ぎの仕事ばっかりじゃねーか」

 最近、痛み始めた指と手首をぶらぶらと解して、手写しを始める。
 次の休みは回復魔法を受けに行こうかと思いながら。
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