175 / 316
172.【元凶の根源】
しおりを挟む中庭と取り囲む廊下は一旦閉鎖された。
普段からアイル以外は来ない場所だったので、他の生徒や職員が気付く事もまずないだろう。
「ミネルヴァ夫人からの回答はない」
中庭に『何か』がいる事についての質問状は随分前に送っていた。その回答もないまま、今回も黙殺された形である。
ミネルヴァ夫人の代わりに当事者として事情を聞くために呼び出されたアイルは、来客用のソファで王城の料理人の新作である野菜クッキーを栗鼠のように一心不乱に囓っていた。
「……お茶くらい飲め」
無闇に仕事の邪魔をしないのは良いが、一言も喋らずクッキーに夢中なのはどうかとルードルフは呆れていた。
声を掛けられてチラっとルードルフを見ると、アイルはまたクッキーをボリボリ囓り始める。
どうやら兄に文句があるようだな、とルードルフが立ち上がると、
「兄ちゃん、ばあちゃんの事を知ってる?」
ペルパ辺境伯家の関係者、カレンデュラにアイルは会っていた事を思い出した。
「あの癇癪持ちか。そう言やまだ存命中か」
じっとアイルはルードルフを見上げた。
その様子に、兄としてルードルフはアイルが何を訴えているのか察した。
「……少しは覚えているのか?」
「神殿で堕ちた聖女は初めから穢れた魂だって言っていた事だけ思い出した。じいちゃんは僕が3、4才の事だって言ってた」
「それなら私達に会う前だな。私達はわざわざあの婆がいる神殿に何て連れて行かない」
アイルの向かいのソファにルードルフは腰を下ろした。
「ウォーゲン様は何て?」
「さっきの話をしたら、そう言う女だって。それ以外は教えてくれなかった」
結局、アイルは変わらず何も知らない。
本来の役目を放棄した者ばかりなので仕方ないと、ルードルフは背もたれに体重をかけた。
「ウォーゲン様の奥方である夫人は、かつて聖女だった。それ故にか独特の思想を持ち、独自の価値観で行動している。お前の父に精霊への不信を植え付けたのも、その婆だ」
神殿とのバランスを取るため、ウォーゲンとの婚姻が決まったと言われている。あれから何十年と経った今でも神殿ではなくペルパ辺境伯家からのごり押しだったとの疑惑は消えず、自由に暮らす妻に耐えかねたウォーゲンが何度も離婚の申請をしている事も有名だった。
「元聖女? 堕ちたんじゃなくて?」
アイルにはこちらの方が気になった。
「堕ちたとの報告はないな。しかし、珍しい事に聖女を首になっている。この辺りの経緯は王家でもこれ以上分からないから、ミネルヴァ夫人に会った時にでも聞くと良い」
どう言う訳だかミネルヴァ夫人はアイルを気に入っている。ルードルフでは答えてくれない質問にもアイルならば回答が貰えるであろうと思った。
「婆ちゃんは僕を嫌っていたって聞いたけど、僕の方も嫌っていたよね」
誰から聞いたのか問わなくても、余計な事を言うのはカレンデュラだと分かった。
幼い頃のアイルはカレンデュラの事も嫌っていたとカレンデュラ自身も知っていた筈だが、都合良く忘れて近付くとは、ある種らしい行動ではあった。変わっていない事にルードルフは内心はらわたが煮えくり返っていた。
ペルパ辺境伯家は、アイルにとって良い親族などではなかった。
「そうだな。あの婆がいると火が付いたように泣いたな」
「よく殿下と一緒にアイルを隠しましたね」
一緒にいたのはオルディクスもだった。
役に立たないアイルの父に代わり、ルードルフとオルディクスは親族だと名乗る者達からアイルを自分勝手に振り回そうとするのを防いでいた。何度か殴られる羽目にもなったが、今でもアイルを渡さなくて正解だったと2人は思っていた。
「覚えてないな……」
アイルにはその頃の記憶は残っていない。
それで良いのだとルードルフ達は考えていた。それくらいアイルの小さな頃の事だった。
「恐らく、お前の極端なまでの聖女に対する警戒心と、女性に対してやたら拒否感があるのは婆が強烈だったからだ」
エレクトラは何年かぶりの実家の門を潜った。
ソラジュ侯爵令嬢としてではなく、一介の騎士としてだ。
「お……ソラジュ侯爵、ポーリアは?」
「部屋で寝込んでいる」
家を出たときより確実に年を取った父は、疲れた顔をして応接室のソファに沈んでいた。
屋敷内は義理の母が生きていたときの派手派手しく飾り立てた姿から一変して全ての調度品が片付けられ、カーテンや絨毯も古く汚れたままにしていた。侯爵家としての威厳も見えも取り払われた屋敷は、何故だか言い表せない陰鬱な雰囲気に包まれていた。
義理の母が亡くなったのがショックだったんだろうか?
変化の理由としてそれくらいしかエレクトラには思いつかなかった。
久し振りに会う娘から目を逸らし、重い息を吐いたソラジュ侯爵は、
「それで、ポーリアに何の用だ?」
「……ポーリアは魔物に狙われていると判明しましたので、フォルクロア家か神殿に保護を求めた方が良いとの騎士団からの提案です」
エレクトラから報告を受けた騎士団は素早く判断した。
だが、心底面白くないと言わんばかりにソラジュ侯爵は鼻を鳴らし、
「どちらも預け先としては不適当だ。神殿は肝心なときには役に立たないし、フォルクロア家なんて婚約をしているミリオス公爵家に喧嘩を売るようなものだろう」
「ですが……」
「それで、保護して貰ってどうなる?」
ソラジュ侯爵の怒りと悲嘆に揺れる目を向けられ、エレクトラは一瞬怯んだ。
「エレクトラ。ポーリアを一時的に保護して貰って、どうなるんだ?」
「その間に騎士団が元凶を……」
「無理だ。元凶は敢えて言うなら死んだ妻だ」
前妻も後妻も、どちらも死んでいるのでエレクトラが迷っていると、
「ポーリアを産んだのは、あいつの罪の1つだ。ポーリアは一生自分の物ではない罪を背負い、命を狙われ、運良く子を儲けてもその子も命を狙われる」
『何か』の一件でエリオルから多少話を聞いていたエレクトラは、
「ポーリアは、お父様の子供ではないのですか?」
ディリオンを狙うものと同じ『何か』であれば、ダルディス伯爵かボルドール子爵の血を引いている。
まさかと戦いているエレクトラに、『何か』を巡る事情を知らないソラジュ侯爵はただ上の娘に下の娘を見捨てるのかと思われたと考えた。
「いいや、ポーリアも私の子だよ」
「でも、魔物に狙われているのは……!」
「ポーリアの母親の罪だ」
断言したソラジュ侯爵は、静かに目を伏せた。
ルードルフが帰ってきた事でソラジュ侯爵は自分の罪から逃げない事を決めた。
覚悟を決めたソラジュ侯爵は口にした。
「お前の母である私の前妻は、魔物を利用してあれに殺されたんだ」
後妻はソラジュ侯爵と結婚したかった。邪魔だった前妻を殺す事を計画し、成功してしまった。
「……魔物?」
エレクトラが家を出た後、後妻も無残な亡くなり方をしたと聞き及んでいたが、母親が魔物に殺されていたとはエレクトラも初耳だった。
「ダンジョンの外を彷徨う特殊な魔物だ。特定の獲物を狙い、その過程で邪魔な人間を殺すのだが……」
ソラジュ侯爵の調べではついぞ後妻が何処で知ったのか分からなかった。
「意図的に巻き込まれた人間がいたら、魔物はその意図した人間をも狙い始めるんだ」
ダンジョン外なのに、ダンジョンのルールが一部採用されていた。
魔物は魔物化しない犠牲者の代わりに、加害者を追う。
「ポーリアには、死ぬ以外の道はない」
既に魔物には目を付けられてしまった。
魔物は何処までもポーリアを狙うだろう。
神殿に行ってもフォルクロア家に逃げ込んでも同じ事だ。その運命からは逃れる事が出来た者などいない。
「お父様……」
ソラジュ侯爵は自分の代で家を終わらせる事を決めた。
前妻の死の責任が自分にもあり、犯人と知らず結婚して殺されるしかない娘を儲けてしまった罪は、それぐらいしても贖罪にもならない。
「お前は自分の道を行きなさい」
エレクトラは何も言えず実家を後にした。
20
あなたにおすすめの小説
ダンジョンでオーブを拾って『』を手に入れた。代償は体で払います
とみっしぇる
ファンタジー
スキルなし、魔力なし、1000人に1人の劣等人。
食っていくのがギリギリの冒険者ユリナは同じ境遇の友達3人と、先輩冒険者ジュリアから率のいい仕事に誘われる。それが罠と気づいたときには、絶対絶命のピンチに陥っていた。
もうあとがない。そのとき起死回生のスキルオーブを手に入れたはずなのにオーブは無反応。『』の中には何が入るのだ。
ギリギリの状況でユリアは瀕死の仲間のために叫ぶ。
ユリナはスキルを手に入れ、ささやかな幸せを手に入れられるのだろうか。
乙女ゲームのヒロインが純潔を重んじる聖女とか終わってません?
ララ
恋愛
私は侯爵令嬢のフレイヤ。
前世の記憶を持っている。
その記憶によるとどうやら私の生きるこの世界は乙女ゲームの世界らしい。
乙女ゲームのヒロインは聖女でさまざまな困難を乗り越えながら攻略対象と絆を深め愛し合っていくらしい。
最後には大勢から祝福を受けて結婚するハッピーエンドが待っている。
子宝にも恵まれて平民出身のヒロインが王子と身分差の恋に落ち、その恋がみのるシンデレラストーリーだ。
そして私はそんな2人を邪魔する悪役令嬢。
途中でヒロインに嫉妬に狂い危害を加えようとした罪により断罪される。
今日は断罪の日。
けれど私はヒロインに危害を加えようとしたことなんてない。
それなのに断罪は始まった。
まあそれは別にいいとして‥‥。
現実を見ましょう?
聖女たる資格は純潔無垢。
つまり恋愛はもちろん結婚なんてできないのよ?
むしろそんなことしたら資格は失われる。
ただの容姿のいい平民になるのよ?
誰も気づいていないみたいだけど‥‥。
うん、よく考えたらこの乙女ゲームの設定終わってません??
出戻り娘と乗っ取り娘
瑞多美音
恋愛
望まれて嫁いだはずが……
「お前は誰だっ!とっとと出て行け!」
追い返され、家にUターンすると見知らぬ娘が自分になっていました。どうやら、魔法か何かを使いわたくしはすべてを乗っ取られたようです。
魔の森に捨てられた伯爵令嬢は、幸福になって復讐を果たす
三谷朱花
恋愛
ルーナ・メソフィスは、あの冷たく悲しい日のことを忘れはしない。
ルーナの信じてきた世界そのものが否定された日。
伯爵令嬢としての身分も、温かい我が家も奪われた。そして信じていた人たちも、それが幻想だったのだと知った。
そして、告げられた両親の死の真相。
家督を継ぐために父の異母弟である叔父が、両親の死に関わっていた。そして、メソフィス家の財産を独占するために、ルーナの存在を不要とした。
絶望しかなかった。
涙すら出なかった。人間は本当の絶望の前では涙がでないのだとルーナは初めて知った。
雪が積もる冷たい森の中で、この命が果ててしまった方がよほど幸福だとすら感じていた。
そもそも魔の森と呼ばれ恐れられている森だ。誰の助けも期待はできないし、ここに放置した人間たちは、見たこともない魔獣にルーナが食い殺されるのを期待していた。
ルーナは死を待つしか他になかった。
途切れそうになる意識の中で、ルーナは温かい温もりに包まれた夢を見ていた。
そして、ルーナがその温もりを感じた日。
ルーナ・メソフィス伯爵令嬢は亡くなったと公式に発表された。
【完結】婚約破棄され国外追放された姫は隣国で最強冒険者になる
まゆら
ファンタジー
完結しておりますが、時々閑話を更新しております!
続編も宜しくお願い致します!
聖女のアルバイトしながら花嫁修行しています!未来の夫は和菓子職人です!
婚約者である王太子から真実の愛で結ばれた女性がいるからと、いきなり婚約破棄されたミレディア。
王宮で毎日大変な王妃教育を受けている間に婚約者である王太子は魔法学園で出逢った伯爵令嬢マナが真実の愛のお相手だとか。
彼女と婚約する為に私に事実無根の罪を着せて婚約破棄し、ついでに目障りだから国外追放にすると言い渡してきた。
有り難うございます!
前からチャラチャラしていけすかない男だと思ってたからちょうど良かった!
お父様と神王から頼まれて仕方無く婚約者になっていたのに‥
ふざけてますか?
私と婚約破棄したら貴方は王太子じゃなくなりますけどね?
いいんですね?
勿論、ざまぁさせてもらいますから!
ご機嫌よう!
◇◇◇◇◇
転生もふもふのヒロインの両親の出逢いは実は‥
国外追放ざまぁから始まっていた!
アーライ神国の現アーライ神が神王になるきっかけを作ったのは‥
実は、女神ミレディアだったというお話です。
ミレディアが家出して冒険者となり、隣国ジュビアで転生者である和菓子職人デイブと出逢い、恋に落ち‥
結婚するまでの道程はどんな道程だったのか?
今語られるミレディアの可愛らしい?
侯爵令嬢時代は、女神ミレディアファン必読の価値有り?
◈◈この作品に出てくるラハルト王子は後のアーライ神になります!
追放された聖女は隣国で…にも登場しておりますのでそちらも合わせてどうぞ!
新しいミディの使い魔は白もふフェンリル様!
転生もふもふとようやくリンクしてきました!
番外編には、ミレディアのいとこであるミルティーヌがメインで登場。
家出してきたミルティーヌの真意は?
デイブとミレディアの新婚生活は?
婚約破棄?一体何のお話ですか?
リヴァルナ
ファンタジー
なんだかざまぁ(?)系が書きたかったので書いてみました。
エルバルド学園卒業記念パーティー。
それも終わりに近付いた頃、ある事件が起こる…
※エブリスタさんでも投稿しています
死んでるはずの私が溺愛され、いつの間にか救国して、聖女をざまぁしてました。
みゅー
恋愛
異世界へ転生していると気づいたアザレアは、このままだと自分が死んでしまう運命だと知った。
同時にチート能力に目覚めたアザレアは、自身の死を回避するために奮闘していた。するとなぜか自分に興味なさそうだった王太子殿下に溺愛され、聖女をざまぁし、チート能力で世界を救うことになり、国民に愛される存在となっていた。
そんなお話です。
以前書いたものを大幅改稿したものです。
フランツファンだった方、フランツフラグはへし折られています。申し訳ありません。
六十話程度あるので改稿しつつできれば一日二話ずつ投稿しようと思います。
また、他シリーズのサイデューム王国とは別次元のお話です。
丹家栞奈は『モブなのに、転生した乙女ゲームの攻略対象に追いかけられてしまったので全力で拒否します』に出てくる人物と同一人物です。
写真の花はリアトリスです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる