【本編完結】ダンジョンに置き去りにされたのでダンジョンに潜りません!

夏見颯一

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172.【元凶の根源】

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 中庭と取り囲む廊下は一旦閉鎖された。
 普段からアイル以外は来ない場所だったので、他の生徒や職員が気付く事もまずないだろう。
「ミネルヴァ夫人からの回答はない」
 中庭に『何か』がいる事についての質問状は随分前に送っていた。その回答もないまま、今回も黙殺された形である。
 ミネルヴァ夫人の代わりに当事者として事情を聞くために呼び出されたアイルは、来客用のソファで王城の料理人の新作である野菜クッキーを栗鼠のように一心不乱に囓っていた。
「……お茶くらい飲め」
 無闇に仕事の邪魔をしないのは良いが、一言も喋らずクッキーに夢中なのはどうかとルードルフは呆れていた。
 声を掛けられてチラっとルードルフを見ると、アイルはまたクッキーをボリボリ囓り始める。
 どうやら兄に文句があるようだな、とルードルフが立ち上がると、
「兄ちゃん、ばあちゃんの事を知ってる?」
 ペルパ辺境伯家の関係者、カレンデュラにアイルは会っていた事を思い出した。
「あの癇癪持ちか。そう言やまだ存命中か」
 じっとアイルはルードルフを見上げた。
 その様子に、兄としてルードルフはアイルが何を訴えているのか察した。
「……少しは覚えているのか?」
「神殿で堕ちた聖女は初めから穢れた魂だって言っていた事だけ思い出した。じいちゃんは僕が3、4才の事だって言ってた」
「それなら私達に会う前だな。私達はわざわざあの婆がいる神殿に何て連れて行かない」
 アイルの向かいのソファにルードルフは腰を下ろした。
「ウォーゲン様は何て?」
「さっきの話をしたら、そう言う女だって。それ以外は教えてくれなかった」
 結局、アイルは変わらず何も知らない。
 本来の役目を放棄した者ばかりなので仕方ないと、ルードルフは背もたれに体重をかけた。
「ウォーゲン様の奥方である夫人は、かつて聖女だった。それ故にか独特の思想を持ち、独自の価値観で行動している。お前の父に精霊への不信を植え付けたのも、その婆だ」
 神殿とのバランスを取るため、ウォーゲンとの婚姻が決まったと言われている。あれから何十年と経った今でも神殿ではなくペルパ辺境伯家からのごり押しだったとの疑惑は消えず、自由に暮らす妻に耐えかねたウォーゲンが何度も離婚の申請をしている事も有名だった。
「元聖女? 堕ちたんじゃなくて?」
 アイルにはこちらの方が気になった。
「堕ちたとの報告はないな。しかし、珍しい事に聖女を首になっている。この辺りの経緯は王家でもこれ以上分からないから、ミネルヴァ夫人に会った時にでも聞くと良い」
 どう言う訳だかミネルヴァ夫人はアイルを気に入っている。ルードルフでは答えてくれない質問にもアイルならば回答が貰えるであろうと思った。
「婆ちゃんは僕を嫌っていたって聞いたけど、僕の方も嫌っていたよね」
 誰から聞いたのか問わなくても、余計な事を言うのはカレンデュラだと分かった。
 幼い頃のアイルはカレンデュラの事も嫌っていたとカレンデュラ自身も知っていた筈だが、都合良く忘れて近付くとは、ある種らしい行動ではあった。変わっていない事にルードルフは内心はらわたが煮えくり返っていた。
 ペルパ辺境伯家は、アイルにとって良い親族などではなかった。
「そうだな。あの婆がいると火が付いたように泣いたな」
「よく殿下と一緒にアイルを隠しましたね」
 一緒にいたのはオルディクスもだった。
 役に立たないアイルの父に代わり、ルードルフとオルディクスは親族だと名乗る者達からアイルを自分勝手に振り回そうとするのを防いでいた。何度か殴られる羽目にもなったが、今でもアイルを渡さなくて正解だったと2人は思っていた。
「覚えてないな……」
 アイルにはその頃の記憶は残っていない。
 それで良いのだとルードルフ達は考えていた。それくらいアイルの小さな頃の事だった。
「恐らく、お前の極端なまでの聖女に対する警戒心と、女性に対してやたら拒否感があるのは婆が強烈だったからだ」



 エレクトラは何年かぶりの実家の門を潜った。
 ソラジュ侯爵令嬢としてではなく、一介の騎士としてだ。
「お……ソラジュ侯爵、ポーリアは?」
「部屋で寝込んでいる」
 家を出たときより確実に年を取った父は、疲れた顔をして応接室のソファに沈んでいた。
 屋敷内は義理の母が生きていたときの派手派手しく飾り立てた姿から一変して全ての調度品が片付けられ、カーテンや絨毯も古く汚れたままにしていた。侯爵家としての威厳も見えも取り払われた屋敷は、何故だか言い表せない陰鬱な雰囲気に包まれていた。
 義理の母が亡くなったのがショックだったんだろうか?
 変化の理由としてそれくらいしかエレクトラには思いつかなかった。
 久し振りに会う娘から目を逸らし、重い息を吐いたソラジュ侯爵は、
「それで、ポーリアに何の用だ?」
「……ポーリアは魔物に狙われていると判明しましたので、フォルクロア家か神殿に保護を求めた方が良いとの騎士団からの提案です」
 エレクトラから報告を受けた騎士団は素早く判断した。
 だが、心底面白くないと言わんばかりにソラジュ侯爵は鼻を鳴らし、
「どちらも預け先としては不適当だ。神殿は肝心なときには役に立たないし、フォルクロア家なんて婚約をしているミリオス公爵家に喧嘩を売るようなものだろう」
「ですが……」
「それで、保護して貰ってどうなる?」
 ソラジュ侯爵の怒りと悲嘆に揺れる目を向けられ、エレクトラは一瞬怯んだ。
「エレクトラ。ポーリアを一時的に保護して貰って、どうなるんだ?」
「その間に騎士団が元凶を……」
「無理だ。元凶は敢えて言うなら死んだ妻だ」
 前妻も後妻も、どちらも死んでいるのでエレクトラが迷っていると、
「ポーリアを産んだのは、あいつの罪の1つだ。ポーリアは一生自分の物ではない罪を背負い、命を狙われ、運良く子を儲けてもその子も命を狙われる」
 『何か』の一件でエリオルから多少話を聞いていたエレクトラは、
「ポーリアは、お父様の子供ではないのですか?」
 ディリオンを狙うものと同じ『何か』であれば、ダルディス伯爵かボルドール子爵の血を引いている。
 まさかと戦いているエレクトラに、『何か』を巡る事情を知らないソラジュ侯爵はただ上の娘に下の娘を見捨てるのかと思われたと考えた。
「いいや、ポーリアも私の子だよ」
「でも、魔物に狙われているのは……!」
「ポーリアの母親の罪だ」
 断言したソラジュ侯爵は、静かに目を伏せた。
 ルードルフが帰ってきた事でソラジュ侯爵は自分の罪から逃げない事を決めた。
 覚悟を決めたソラジュ侯爵は口にした。
「お前の母である私の前妻は、魔物を利用してあれに殺されたんだ」
 後妻はソラジュ侯爵と結婚したかった。邪魔だった前妻を殺す事を計画し、成功してしまった。
「……魔物?」
 エレクトラが家を出た後、後妻も無残な亡くなり方をしたと聞き及んでいたが、母親が魔物に殺されていたとはエレクトラも初耳だった。
「ダンジョンの外を彷徨う特殊な魔物だ。特定の獲物を狙い、その過程で邪魔な人間を殺すのだが……」
 ソラジュ侯爵の調べではついぞ後妻が何処で知ったのか分からなかった。
「意図的に巻き込まれた人間がいたら、魔物はその意図した人間をも狙い始めるんだ」
 ダンジョン外なのに、ダンジョンのルールが一部採用されていた。
 魔物は魔物化しない犠牲者の代わりに、加害者を追う。

「ポーリアには、死ぬ以外の道はない」

 既に魔物には目を付けられてしまった。
 魔物は何処までもポーリアを狙うだろう。
 神殿に行ってもフォルクロア家に逃げ込んでも同じ事だ。その運命からは逃れる事が出来た者などいない。
「お父様……」
 ソラジュ侯爵は自分の代で家を終わらせる事を決めた。
 前妻の死の責任が自分にもあり、犯人と知らず結婚して殺されるしかない娘を儲けてしまった罪は、それぐらいしても贖罪にもならない。
「お前は自分の道を行きなさい」

 エレクトラは何も言えず実家を後にした。


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