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番外編11.【いつでも君を待っているカバ】
しおりを挟むなお、手紙が届いた日でありルードルフに相談に行ったのが、秋の嵐の月12日の事であった。
学園でグレイシアと出会って話を聞いたのが秋の嵐の月14日の事である。
『秋の嵐の月、15日にそちらに行きます』とあったのだから、普通なら明日には着く予定で旅立っているものであろう。
「そろそろ行こうかしら」
アイルの祖母、コルティアはまだ実家にいた。
ウォーゲンが最後に会ってからかれこれ二十年以上の歳月が経っていた。それ程の年月は人を変えるものであり、ウォーゲンの記憶にある以上にコルティアの傍若無人は進行していた。
最早元夫が自分と顔を合わせても誰か分からない程度の時間が過ぎているなどコルティアには関係なく、
「あの人の事だから喜ぶでしょうね」
もてる自分は何と辛いのだろうと、コルティアはため息をついた。
少し前にペルパ辺境伯領近くに来たウォーゲンに完全に無視された事などなかった事になっていた。
素晴らしい唯一無二の存在である自分が誰かにとっては無価値など、自信過剰なコルティアには想像出来なかった。以前のペルパ辺境伯家一族が持て囃し過ぎた所為である。
「……」
フォルクロア家に送られた手紙を代筆していたメイドは、どんなにも言い返したくても沈黙を保っていた。
傍若無人な主人を持っている使用人ならば、余計な事を言わないのが面倒を避ける鉄則であり、正論を言って聞かせるなんて無駄な事もしない。
特に、正しく教育を受けられなかった平民のメイドが文字も書けて計算も出来る状況で、貴族として生まれた自分が文字も書けない事に何も思わない主人には何を言っても無駄であろう。
「準備をして頂戴。直ぐに出るから」
貴族の旅の準備を嘗めきっているコルティアに冷めた目を向けないよう、メイドは俯いていた。
王都まで何日かかるのか分かってもいないだろう。旅の間は着替え一つ思うようにならないので荷物を何日もかけて慎重に準備するものなのに、コルティアは近くに買い物に出かける程度に思っているのだ。
周囲が持ち上げてきたにしろ、これはない。
「すでに準備は終わっております」
「流石私のメイド、優秀ね」
コルティアの実弟である現ペイリス子爵から「家を出て行くなら準備にかかる物は出してやる」と言われていた事も、コルティアの耳は素通りしているのだろう。
いつまでもお姫様を続けている姉を現ペイリス子爵は追い出したかった。
ウォーゲンとアイルからの明確な拒絶を受け、フォルクロア家と全く縁を結べなかった扱いとなったコルティアは、今となっては大いに問題を加速させていたペルパ辺境伯家一族も疎んじている。
この地からコルティアが去る事は血縁者の誰からも望まれていた。
メイドの記憶ではコルティアが「王都のフォルクロア家に向かう」と言い出した事で旅の準備をさせられたのは、一ヶ月は前だった気がした。
いつ出発するのかと周囲はやきもきしていたが、ようやく出立する気になった。
脳天気なコルティアとは対照的に、付き従うメイドの表情は暗い。
一度出発したら終わり。
コルティアには行く先も帰る先もない旅になる。
現在は魔物の繁殖期で魔物達の気は立っており、コルティア以外の者には危険がある事は分かり切っていた。
雇い主のペイリス子爵からは適当に戻ってきても良いと言われているが、一般人であるメイドには危険な状況でコルティアを見捨てる事も非情で出来る気がしなかった。
1人で逃げるにしたとしても要領も悪い自分に逃げ出せるかどうか、メイドは不安に揺れていた。
「行きましょうか。今日の夕食は別の街でとるなんて楽しみね」
悠然とコルティアは玄関に向かうが、他の家人も使用人も誰も出て来ない。
ただ馬車に乗り込むだけ。あまりに呆気ない『追放』だ。
遅れて馬車に乗り込もうとしたメイドの手を、隠れていたメイドの同僚が引っ張った。
「行くのね? これ、持って行きなさい」
同僚は持っていたお守りをメイドに押し付けた。
「これって……」
「精霊のお守りよ。貴女は無関係だから、きっと助けて貰える」
それはかつて同僚がアイルの父達の面倒を見ていた際、幼いアイルから貰った自慢のお守りだった。
アイル達によくしたメイドだけが貰えたお守りは、アイルがフォルクロア家に正式に迎えられた事で今や精霊のお守りとして周囲から垂涎の的であり、同僚はアイル達との思い出同様とても大事にしていた。
「貴女の宝物じゃない!」
「戻ってきたら返してくれれば良いから。それに私はここに残って安全だから必要がないのよ」
ギュッと同僚は自分よりも年若いメイドの手を握った。
「貴女だけには精霊のご加護があるように」
幼いアイルが言っていた言葉に、精霊達は正しく耳を傾けていた。
恐らく多分きっともしかすると明日辺りひょっとしたら何かの偶然でか来るかも知れないのではないかと心配しているアイルは、祖母の想像を超えた動きを知る由もなかった。
急に訪れた神殿で要件を伝えると、神官達は上に判断を求めて素早く走って行った。
神殿では秋の祭り期間中ではあったが、豊穣を大々的に祝う地方とは違い、農地のない王都では大神殿でも内々で控えめな祭りをする程度であった。
それ程忙しい時期ではなく、神殿にとっても都合が良かったと言える。
忙しい鑑定眼持ちの神官の方は別の都市に出かけており、以前にも案内された部屋では神殿長が椅子に座って待っていた。
「先日振りですね」
ヴィルフレアの遺物を預けたのが先日だった。
効果と使い方が分かったとしても、何せ聖女の遺品という名の謎のドロップアイテムだ。大事なとき以外はなるべく神殿に預けておきたいとアイルが考えてしまうのは、何かと隠れてやらかす聖女に対し不信感があるので仕方ないと言えるだろう。
「度々申し訳ありません」
「気にしなくても大丈夫ですよ。今回は私どもに尋ねたい事があると伺いました。どのような事をお知りになりたいのでしょう?」
これまでのアイルの行動は神殿にとって非常に利益がある結果を齎していた。
オルゴールの件は言わずもがな。不心得者の所為で失われていた秘宝も、アイルのおかげで全てが修理も終わった状態で戻ってきて、今は何事もなかったように宝物庫に並んでいる。
神殿長としてもアイルを手助けする事は女神の御意志だと思っていた。
「聖女の事について伺いたいと思いまして」
「おや、聖女ですか」
長い話になりそうなので神殿長は来客用の椅子にアイルを促した。
「まず……そうですね。僕の祖母が聖女の資格を剥奪されたと聞きましたが、剥奪された理由って何でしょう?」
本題も含めてアイルには疑問がいくつもある。
醜聞扱いで対外的には剥奪の理由は完全に伏せられているが、アイルにとっては単なる身内の話だった。
神殿長も身内故の興味だと思い、
「女神の御意志にそぐわなかったと言う事です。あの方は言動が女神の教えとも反発しておりましたから」
一方、その頃。
誰の見送りもないまま悲壮な顔をした御者が馬車を出した。
「全く、迎えにも来ないなんて無神経よね」
離婚したからだよ。
メイドは今回も心の中で言うだけで黙っていた。
「まあ、私のための準備も大変でしょうし、ただでなくても不器用な夫ですから気遣いは諦めましょう」
ウォーゲン様は絶対待ってないだろ。
冷めた視線を受けてもコルティアは気付かない。
もうこの時点で自己中を見捨てて戻りたいメイドだったが、まだペイリス子爵領を出てもいない段階で逃げてはコルティアは再びペイリス子爵家に居座るだろう。
恐怖を超えつつある苛立ちも必死に耐えていた。
ポケットのお守りを服の上から握りしめた。
親切にしたメイドのみにが貰ったアイルのお守りは、他人である自分に効果があるかどうかは分からない。
何も言わなくても守られる状況が当然過ぎたコルティアは分かっていないが、この旅で明確に同行しているのはメイドと御者のみだった。
通常いる筈の馬車を間近で守る騎士などの護衛は、いない。
ペイリス子爵から領地を出るまでは家族として責任があるので、かなり距離を取った状態で護衛隊を潜ませると聞いていたが、その後は完全に3人だけとなる。
「のんびりした旅も仕方ないわね」
実家から見捨てられたと知らないコルティアは、知らない事で誰よりも幸せなのだろう。
魔物の繁殖期も知らず、この時期に旅をするには護衛を大量に雇う必要がある事も知らず、旅の苦労を知らず、ペルパ辺境伯家でお姫様だった女性は今や誰からも顧みられない事さえ知らない。
『クスクス……』
『フフフ……』
田舎の道は揺れるものだ。
クッションを多く敷いていても直ぐにメイドは体が痛くなった。
「ねえ、話し相手になってくれても良いでしょう?」
事態を理解しているメイドはコルティアのように幸せな気分にはなれなかった。
「私は物知らずでして」
「なら相づちだけで良いから」
相づちだけで何が楽しいのかメイドには理解不能だった。
とは言え、拒否しても意に介されず、相づちを打つ事を求められるだけだ。
「ウォーゲンが私のために何を用意していると思う?」
「はい」
「宝石かしら、ドレスかしら」
「ええ」
「もしかして王妃の座かしら? あーでも、母親は面倒だから王女が良いわね」
相づちなんか打てる内容じゃねぇ!
あり得るか馬鹿、と流石に不安と苛立ちが頂点に達してキレたメイドが叫びかけたとき、馬車が一際大きく揺れてメイドもコルティアも姿勢を大きく崩した。
「ちょっと!」
馬車が壊れるかのような揺れに、メイドは魔物の襲来だと覚悟を決めた。
強くお守りを握りしめながら身を縮ませると、
「……ピンク寿エール・カバルーンルンです!」
御者の叫びが聞こえた。
「何よ、それ!」
まさか、とメイドは窓の外を見た。
かつて同僚が幼いアイルの友達だったと言っていた、ペルパ辺境伯領に生息する幻獣が、そこにいた。
『行けー』
『行くんだー』
幻の存在と言われるピンク色のまばゆい体をしたカバは、ショッキングピンクの目を馬車に向けていた。
色味が可愛いと言われるピンク寿エール・カバルーンルンは、外見のファンシーさとは真逆にとても好戦的であると知られていた。
近くを通っただけでも馬車を破壊して人間も追いかけるピンク寿エール・カバルーンルンは精霊に呼び寄せられ、タイミング良く通りかかったコルティア達の馬車に当然の如く襲いかかった。
「無理です!」
最初に外にいた御者が逃げ出したのは仕方ない。
どーん、どーんとその後も体当たりを続けるピンク寿エール・カバルーンルンに恐怖を感じたコルティアにしがみ付かれたメイドは、反対側のドアから脱出する事も出来なかった。
「兎に角外に出ましょう!」
「出たら殺されるわ!」
アイルを虐めていたコルティアは以前にも襲われた事があるとはメイドに分かる筈もなく、馬車が壊れたら死ぬだろうと、メイドは心底腹が立った。
「このままここにいたらどの道死にます!」
引き摺ってでも反対の扉に手をかけたが、間に合わなかった。
カバがいるのは大抵水辺だ。ピンク寿エール・カバルーンルンとてカバなのだから水辺が生息域であり、馬車が通っていたのも水辺の近くだった。
次の震動で馬車は川の中に吹き飛ばされた。
『もー! 出ないなんて!』
『回収しに行くよ!』
精霊達は飛んでいった。
気が付いたメイドはペイリス子爵家から少し離れた場所で保護されたが、コルティアの行方は分からなかった。
「これで終わるとは思えないが……」
ペイリス子爵家ではどうする事も出来ず、連絡が来たら対処するになった。
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