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王子護衛騎士編
10年後、武術大会
しおりを挟む<前書き>――――――――――――――――――
本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。
テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。
人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。
じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!
<前書き>――――――――――――――――――
王都に陽が昇る。空は澄み渡り、心地よい風が吹いていた。
しかし、闘技場に集まった人々の熱気は、それを上回るほどのものだった。
大会を一目見ようと、遠方から集まった観衆の歓声が響く。
武具を身にまとった戦士たちが闘技場に並び、誰もが己の腕を試す機会を待ちわびている。
「今年の武術大会も、名だたる戦士が集まっているようだな」
第一王子、アレクシス・エドワルド・ヴァルトハイトは、王家の観覧席に座りながら、賑わう競技場を見下ろしていた。
目の前に広がる光景は壮観だった。
重厚な鎧に身を包む騎士たち、軽やかな布の戦装束をまとった剣士、異国から来たと思われる戦士――。
武術大会、それは王国全土から優れた剣士たちが集まり、己の力を示す舞台。王都で定期的に開かれ、貴族の私兵、辺境の戦士たちまでもが競い合う。
戦場ではない。だが、ここでの勝者は確かな名声を得る。優勝者は王の前に召され、特別な褒美が与えられることもあった。それだけの栄誉がかかった大会だ。
王族として、この場に足を運ぶのは義務のようなものだった。
アレクシスはそう理解しつつも、武術大会が開催されるたび、思い出してしまう。
――幼い日の記憶。
快活な少女の姿を。大貴族の生まれだというのに、それを気にも留めずに剣を振るい、泥だらけになって笑うお転婆な姿を。貴族の少女が遊びで騎士ごっこをするなら、せいぜい木の枝を振るう程度のものだろう。
だが、彼女は違った。
手を抜くことなく、誰よりも真剣に、汗を流して剣を振るっていた。その姿はどこか、心地よかった。王族として過ごす日々の中で、彼女と過ごした時間は、ほんのわずかではあったが。
だが、それも十年前のあの日、終わった。アルノー家の名は、歴史から消えた。一家は、賊に襲われ、全員が命を落とした。大貴族の家門が突然に滅ぶという事態に、王宮でも多くの議論がなされたが、すでに屋敷は焼け落ち、残されたものは何もなかった。
彼女も、例外ではない。あの快活な少女も、灰となり、跡形もなく消えた。
「アレクシス殿」
アレクシスは声に反応し、ゆっくりと振り向いた。
視線の先に立っていたのは、彼の叔父であり、王弟――カエルス・マクシミリアン・ヴァルトハイトだった。優雅な立ち居振る舞い、飾り気のない笑み。
それは、表面上の温和さを演出するための仮面に過ぎないことを、アレクシスはよく知っていた。
「今年の大会も盛況だな」
カエルスは、そう言いながら静かに隣の席へ腰を下ろす。アレクシスは、わずかに口角を上げ、作り笑いで返した。
「ええ。今年もまた、多くの強者が集まっているようです」
礼儀正しい言葉遣い。だが、そこに親しみの色はない。カエルスもまた、同じように微笑みながら、杯を傾ける。
「そうだな。戦士たちの技を磨く場として、これほどふさわしいものはない」
何気ない世間話。
だが、その言葉の裏には、何かを探るような気配があった。
アレクシスは、杯を軽く傾けつつ、内心で警戒を強める。叔父との関係が良好でないことは、互いに承知している。表向きの礼儀を守りながらも、心の内では剣を突きつけ合うような距離感だった。
アレクシスは、彼の視線を一瞬だけ鋭く捉えたが、すぐに視線を競技場へと戻した。
「まもなく、王が大会の開幕を宣言される」
カエルスが告げる。観衆の歓声が大きくなる。武術大会が、幕を開ける。
この場に集った者たちの中に、アレクシスはまだ知らぬ"ある存在"がいることを、この時はまだ、知る由もなかった。
闘技場の熱気が渦巻く中、歓声と剣戟の音が響き渡る。
だが、アレクシスの目を惹いたのは、名のある剣士たちではなかった。彼の視線は、ひとりの無名の剣士に向けられていた。
黒の戦闘服に身を包み、無駄のない動きで立つその姿。華美な装飾もなければ、顔を隠すための仮面もない。銀色の髪は長く、後ろで一つに結われている。光の加減で白銀にも見えるそれは、手入れが行き届いており、余計な飾りがなくとも目を引いた。
しかし、最も特徴的なのは、左目を覆う黒い眼帯だった。右目は鋭く研ぎ澄まされており、その視線には獲物を逃さない猛禽のような鋭さがある。軽装ではあるが、左腕には幾重にも巻かれた包帯が見えた。単なる怪我隠しには見えない。何かを"封じる"ように、しっかりと巻かれている。身なりに派手さはない。
だが、纏う雰囲気が明らかに異質だった。まるで、戦場からそのまま抜け出してきたかのような――そんな存在感。
アレクシスは、知らずのうちにその剣士へと意識を向けていた。
(どこかの騎士団の出身か……それとも、流れの剣士か?)
アレクシスは眉をひそめる。
その名は――サーディス。初めて聞く名だった。王国に名を馳せた騎士の中に、この名の者はいない。いかなる戦場にも、名を刻んだ記録はない。
ならば、辺境の戦士か、それとも剣を渡り歩く傭兵か。
だが、そのどれとも違う気がする。
(妙だ……剣士として、洗練されすぎている)
単なる武闘派ではない。剣士としての完成度が、まるで長年鍛え抜かれた"戦場の兵"のようだった。名も知らぬ者が、この戦場に立っている違和感が拭えない。そんな疑念を抱く中、戦いの鐘が鳴る。
「サーディス、試合開始だ!」
対戦相手は、王都守備隊の一人。王国でも名の知れた剣士であり、過去の大会でも上位に食い込んだ実力者だ。
しかし――
「なっ……!?」
戦いは一瞬で終わった。サーディスは剣を抜き、わずか数手で相手を沈めた。観客席がどよめく。信じられない、といった表情の者が多い。それほどまでに、あまりにも速すぎた。
相手が剣を振り下ろすよりも早く、サーディスはその動きを見切り、足元を崩す。次の瞬間には、正確無比な一撃が繰り出され、相手の喉元に剣が突きつけられていた。動きは洗練されていた。一切の無駄がない。
必要な動作だけを重ね、敵を倒すための"最短距離"をなぞるような剣捌き。華やかさも、荒々しさもない。ただ、静かに、的確に――戦いが終わった。
アレクシスは、無意識に腕を組んだ。
「……ふむ」
冷静な声を漏らしながらも、その内心では驚きを隠せなかった。
相手の動きを先読みし、"戦いの決着"を決める。敵が何をするかを見極め、動く前に封じる。この剣技は、ただの剣士のものではない。
(まるで……戦場で培われた剣技のようだ)
闘技場での戦いではなく、命を奪い、命を拾う戦いを知っている者の動き。観客席が歓声を上げる中、サーディスは特に喜ぶ様子もなく、静かに勝利を受け入れた。
そして、ゆっくりと視線を上げ――アレクシスの目を、一瞬だけ、まっすぐに捉えた。
(目が合った……?)
不意に心臓が跳ねる。一瞬、視線が交差しただけ。
だが、それだけでなぜかアレクシスは言い知れぬ動揺を覚えた。目の錯覚かもしれない。
いや、そうではない。サーディスは、確かにこちらを見ていた。
あの眼帯の下に隠された目が何を見ているのか――その冷たい光に、彼は一瞬だけ囚われた気がした。
それからの試合は、驚異的なものだった。サーディスは、圧倒的な実力で次々と対戦相手を打ち倒していく。剣士たちは、皆それなりに名を馳せた者たちだった。熟練の戦士や騎士団の精鋭、過去の大会で上位に食い込んだ者たち。
しかし――誰一人として、サーディスを止めることはできなかった。
「くっ……こいつ、何者だ……!」
「速すぎる……!」
戦いは、まるで一方的な劇だった。サーディスは、全ての攻撃を見透かしているかのように回避し、的確に急所を突く。相手が剣を振るう前に、既に彼女の刃は動いている。相手が退こうとする瞬間、先回りするかのように追撃が飛ぶ。迷いなく、確実に。その剣筋には、"迷い"が一切なかった。
最初は歓声に包まれていた闘技場だったが、次第にどよめきが広がっていく。
「……まさか、あの相手をも倒すとは……!」
「優勝候補だった騎士を、一瞬で……?」
「ありえない……!」
サーディスの強さは、単なる"無名の挑戦者の快進撃"ではなかった。彼女の戦いぶりは、他の剣士たちとは決定的に異なっていた。それは、まるで"本当の戦場"にいるかのような戦い方。華やかな技巧や派手な剣技ではない。ただ、"敵を倒すための最短の手段"だけを選び続ける。その無駄のない動き、研ぎ澄まされた攻撃――。
まるで、これまでに"何人もの命を奪ってきた者"の剣だった。
アレクシスの隣に座る叔父カエルスが口を開く。
「ほう……面白いな」
目を細めながら、闘技場を見下ろす。
「これほどの使い手が、無名とはな」
その声は興味深げでありながら、どこか含みのあるものだった。
アレクシスは、静かに頷く。
「ええ……ただの流れの剣士ではないでしょう」
無名の剣士がここまで強いというのは、あまりにも不自然だった。どこかの流派の出身か、あるいは何らかの組織に属していたのか。だが、彼女の剣には"流派"の色がなかった。彼女の剣筋は、"剣術"ではない。それは"殺しの技術"だった。ただの剣士ではない。彼女は、"何かを隠している"。
アレクシスは、サーディスの剣さばきをじっと見つめながら、確信に近い思いを抱いた。
(この女……間違いない。戦場を知る者の剣だ)
サーディスの剣は、相手を"倒すためのもの"ではない。殺すための剣だった。それは、剣術の型や流儀を超えた、もっと純粋なもの。
"生存のための技"。"勝つためではなく、生き延びるための剣"。その剣が、彼女が何者なのかを物語っていた。
アレクシスの脳裏に、問いが刻まれる。
――彼女は、何者なのか。
サーディスは決勝へと駒を進めた。
だが、その勝負は"決闘"とは呼べないものだった。
――"鎧袖一触"。
開始の合図と同時に、勝負が決まった。
サーディスの剣が閃き、対戦相手は動く間もなく地に伏した。
観客席にどよめきが走る。
だが、アレクシスはただ、目の前の"異質な騎士"を見つめていた。
(この女……何者だ?)
それが分かるまで、彼は彼女から目を離すことはできなかった。
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