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王子護衛騎士編
クレスト
しおりを挟む<前書き>――――――――――――――――――
本編は第15話までゆっくりと進む展開になっています。
テンポよく物語を追いたい方は、『王子護衛騎士編』の『ここまでの人物紹介』を先に読んでから続きを進めるのがおすすめです。
人物や関係性を把握した状態で読めるので、スムーズに物語に入り込めます。
じっくり読みたい方はそのままどうぞ。お好みのスタイルでお楽しみください!
<前書き>――――――――――――――――――
「さて、これが本日の締めくくりとなる」
王がゆっくりと立ち上がり、観衆に向けて声を上げる。その動作一つで、競技場全体が静まり返った。
「今年の武術大会を制した者に相応しい試練を与えよう。王国最強の刃――王直属の精鋭『クレスト』との試合を許可する」
その瞬間、競技場は激しいどよめきに包まれた。
クレスト。それは王国最強の騎士団に与えられる名。彼らは単なる剣士ではない。一人で戦況を覆し、絶望の淵にある戦場ですら、勝利へと導く力を持つとされる存在。
そのクレストと戦う機会が与えられるのは、並大抵のことではなかった。
「挑戦者、サーディスよ」
王が名を呼ぶと、観客席のざわつきがさらに大きくなる。名もなき剣士。だが、その実力は今や誰もが認めていた。
これまでの戦いを振り返るアレクシスも、内心で考えていた。
(この女……どこまで通用する?)
サーディスは、驚異的な力で次々と対戦相手を圧倒し、決勝戦ですら"一瞬"で終わらせた。
だが、今度の相手は違う。王国最強の精鋭。
(どこまでやれる……? いや……そもそも、勝ち目はあるのか?)
アレクシスが思案する中、王が静かに命じた。
「出てこい、クレスト」
その言葉とともに、静かに歩みを進める男がいた。競技場全体の空気が、一瞬で張り詰める。
ゼファル。
影喰らいの異名を持つ、クレストの一員。
黒の戦装束に身を包み、鋭い金の瞳を湛えた男。その装いには一切の華美な装飾がなく、ただ実戦のためだけに仕立てられたものだった。
静かに立つだけで、その場の温度が下がるような気がした。
それまで熱狂的な歓声を上げていた観客たちも、息を呑んでいる。
ゼファルの名は、一般にはあまり知られていない。だが、裏では伝説とまで言われる存在だった。暗殺、潜入、掃討――表に出ることのない影の刃。王国の名の下に、無数の敵を葬ってきた処刑人。彼の出場が告げられた時、誰もが確信する。
「サーディスはここで終わる」と。
(……やはりゼファルが出てきたか)
アレクシスは目を細める。クレストの中でも、最も冷徹で、最も確実な"処刑人"。
名もなき剣士が勝てる相手ではない――誰もがそう思った。
だが、その中で一人だけ違った。サーディスだった。
彼女は、何も言わず、表情も変えず、ただ剣を構えようとしていた。
いや――ほんの一瞬だけ、確かに変化があった。
(……今、微かに反応したか?)
アレクシスは、その違和感を見逃さなかった。
ゼファルの姿を目にした瞬間、サーディスの指がわずかに強く剣を握った。まるで、何かを"思い出した"かのように。反射的な動きだった。
それまでどんな強敵を前にしても微動だにしなかった彼女が、ゼファルを見た瞬間だけ、わずかに反応した。
(どういうことだ……?)
疑念が胸をよぎる。何かある。彼女はゼファルを知っているのか?
あるいは、ゼファルが彼女にとって何か特別な存在なのか?
答えは分からない。
だが、それを知るために、次の戦いが始まる。試合の鐘が、闘技場に鳴り響いた。
ゼファルは無言のまま剣を抜いた。その動きに、一切の無駄がなかった。彼はすでに何度も人を斬ってきた剣士だ。その刃には、躊躇も迷いもない。
同時に、彼の足元の影が揺らめく。ただの影ではない。まるで意思を持つかのように、ゼファルの体にまとわりつき、蠢いている。
「……影を喰らう」
低く呟くとゼファルの足元の影が不自然に伸び、サーディスの足元を絡め取るように広がった。
影が足元を縛る――そう感じた瞬間、サーディスは即座に動く。
踏みつけるようにして飛び、空中で体を回転させながら距離を取る。その判断は一瞬だった。普通の剣士ならば、影に足を取られ、その場で敗北していたはずだ。
だが、サーディスは迷いなく影を踏みつけ、まるで最初から知っていたかのように回避する。ゼファルの目が、わずかに細められた。
そこからは、壮絶な剣戟の応酬が始まった。剣が閃き、鉄と鉄がぶつかる音が鳴り響く。音が消える。それほどまでに速い。
二人の動きは常人には視認できないほど速く、ただ剣戟の甲高い音だけが闘技場に響き渡る。
「速い……」
アレクシスの口から、無意識に言葉が漏れた。
サーディスの剣は、ゼファルの影の刃を寸前で避け、確実に反撃へと転じる。
ゼファルの剣もまた、サーディスの急所を狙いながら、わずかの隙間を縫って攻める。
その攻防は、まるでお互いの"先"を読み合っているかのようだった。
ゼファルは影を操り、サーディスの動きを制限しながら戦う。サーディスはそれを読んでいるかのように、影の干渉を受ける前に動いてかわす。剣の斬撃だけではなく、空間の駆け引きまでもが交錯する。
観客は、息をするのも忘れていた。
「これは……」
王が眉を上げる。
貴族たちも、驚きの表情を浮かべていた。
「無名の剣士が、ここまでやれるとは……」
アレクシスもまた驚きを隠せなかった。ゼファルはただの剣士ではない。
影を駆使し、戦場で数えきれないほどの命を奪ってきた男。クレストの中でも、最も冷徹で、最も確実な暗殺者。それを相手に、サーディスはここまで食らいついている。
勝負が決したのは、ほんの一瞬だった。ゼファルの影が地面に伸びる。影が"虚の刃"を生み出し、サーディスの足元に走らせる。それを見たサーディスは、即座に跳躍する。地面を蹴り、空中へと飛ぶ。
だが、その瞬間――ゼファルの姿が、消えた。
「……ッ!?」
影が揺らぎ、次の瞬間にはゼファルは"影の中から"跳び出していた。サーディスの背後。すでに剣を振り下ろす態勢で。
「詰みだ」
囁くような声が、サーディスの耳元に届く。直後、サーディスの体が地面に叩きつけられた。剣の一撃を受けたわけではない。影を用いた技で、空中のサーディスの体勢を崩し、強制的に落としたのだ。
刃が喉元に突きつけられる。もう、これ以上は動けない。
「勝負あり!」審判の声が響いた。
観客席が静まり返る。しばらくして、歓声が上がる。
だが、アレクシスの目には、勝敗の結果よりもサーディスの表情が焼きついた。
それは、悔しさを滲ませたものではなかった。どこか納得したような、そんな表情。静かにゼファルを見つめていた。まるで、何かを確信したかのような眼差しで。
(妙な反応だ。まるで何かを確信したような……)
アレクシスの疑念は、さらに深まっていった。
「……ほう」
王は満足げに頷き、ゆっくりと座り直した。
「クレストに勝つことはできなかったが……ここまでの戦いぶり、実に見事であった」
王の言葉が響くと、貴族たちもざわめきを見せる。
「この女、只者ではないな」
「本当に無名の剣士なのか?」
「素性を調べる必要があるかもしれない……」
観客席の貴族たちは口々に囁き合いながら、興味深げにサーディスを見つめる。
サーディスは、何の反応も見せないまま立っていた。敗北の悔しさを滲ませることもなければ、誇る様子もない。ただ、静かに勝敗を受け入れ、剣を収めている。
大会は終わった。しかし、アレクシスの中では、新たな疑問が渦巻いていた。
("サーディス"……お前は、一体何者だ?)
大会が終わり、競技場の熱気がゆっくりと冷めていく。
しかし、アレクシスの胸中は、未だにざわついたままだった。名もなき剣士、サーディス。クレストのゼファルとの戦いは、敗北に終わった。
だが、その戦いぶりはただの敗者のものではなかった。彼女の動きは、まるで"クレストと同じ戦場を歩んだ者"のようだった。剣の流れも、読み合いの鋭さも、全てが"ただの剣士"のそれではない。まるで、クレストの戦術を熟知しているかのように戦っていた。
(……ありえない。なぜ無名の剣士が、ゼファルと互角に渡り合えた?)
静かに呟こうとしたその時、王の重々しい声が響いた。
「この才を見過ごすわけにはいかぬ」
アレクシスは、王の横顔を見やる。王はサーディスをじっと見据えていた。その視線には、確かな興味が宿っていた。
「サーディスよ」
名を呼ばれた彼女は、静かに顔を上げる。
「汝の剣、実に見事であった」
王の声は静かだが、観客席にいる全員がその言葉を飲み込むように聞き入っていた。
「貴様ほどの使い手を、ただの剣士として埋もれさせるのは、王国にとって大いなる損失となる」
場内が静まり返る。
「貴様を、王直属の精鋭クレストに迎え入れる」
その言葉が放たれた瞬間、競技場は騒然となった。
「なっ……!?」
「無名の剣士がクレストに?」
「そんなこと、前例が……」
騒めきが一気に広がる。それも当然だった。クレストは王直属の少数精鋭。国の存続を影から支える、王国最強の騎士団。通常であれば、厳しい選抜を経て数年の訓練を積み、初めてその一員となれる。
それを、この場でいきなり任命するとは。
アレクシスは、王の意図を探るように目を細めた。
(……ただの即決ではない。何か、考えがあるのか?)
王は表面上、サーディスの才能を惜しんでいるように見せている。だが、本当の狙いは別のところにあるはずだ。
「ふむ……陛下のご英断には感服いたしますな」
隣に座るカエルスが、穏やかな笑みを浮かべながら言った。その言葉にはどこか含みがあった。
アレクシスは、カエルスの視線がサーディスを観察するように向けられていることに気づく。
(叔父上も、この女の素性に興味を持っている……)
サーディスが何者なのか、あるいはどこから来たのか。貴族の一部もすでに動き出し、何らかの情報を探ろうとしている。
流石のサーディスも、目を見開く。しかし、驚いたのはほんの一瞬だけだった。すぐに表情を引き締め、剣を掲げて膝をつく。
「……謹んで、お受けいたします」
低く、抑えた声で彼女は答えた。その言葉を聞きながら、アレクシスは思う。
(お前は、本当にこれを望んだのか?)
彼女が望んだのは、名声や栄誉ではないはずだ。
しかし、サーディスの表情には、迷いはなかった。
王が満足げに頷く。
「よかろう。サーディスよ、貴様には近く改めて正式な試練を課す。その上で、正式にクレストの一員となるがよい」
その言葉に、サーディスは静かに頷いた。そして、周囲の喧騒の中で、アレクシスは確信した。
彼女は、何かを狙っている。
その目的は何か――。
それが分かるまで、アレクシスはサーディスから目を離すつもりはなかった。
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