忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

疑念

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 辺境の夜は、深い静寂に包まれていた。
 だが、その静寂の中に、ひとつだけ確かなものがあった。

 ――王子暗殺未遂。

 ――ヴォルネス公の謀反。

 王子アレクシス・ヴァルトハイトは、倒れた兵士たちの死体を見下ろしながら、深く息をついた。
 空には雲ひとつなく、月の光だけが辺境の大地を照らしていた。冷たい風が頬を撫でる。
 しかし、その風すらも、この夜の出来事を洗い流すことはできない。

(……これは、ただの貴族の謀反ではない)

 そう、直感した。ヴォルネス公は確かに自分を殺そうとした。
 しかし、それだけではない。この反乱には、何か別の意図が絡んでいる。

(単なる野心だけで、王子暗殺という大罪を犯すだろうか?)

 確かに、ヴォルネス公は国内でも影響力のある貴族だった。
 だが、彼は"慎重な男"だったはずだ。王子を殺そうとするなら、もっと計画的に、確実な方法を取るべきだった。

(……彼は、何かを"確信"していた)

 それが何なのかは分からない。だが、"成功する自信"がなければ、このような行動は取らなかったはずだ。
 誰かが裏で糸を引いていたのか?
 それとも、すでに王宮内部に同調者がいるのか?
 王子は眉を寄せながら、深く思考する。

「……王都に戻る」

 静かにそう呟いた。ヴォルネス公を討ったところで、この謀反の全貌を暴くことはできない。重要なのは、この事件の"背後"に何があるのかを知ることだ。

(ヴォルネス公が謀反を起こしたということは、これは"個人の反乱"ではない)

 たとえ彼が単独で動いたのだとしても、王への反逆という事実は変わらない。
 ならば、この事件の波は王宮へと届くだろう。問題は、その波が"誰を揺さぶるのか"だ。
 王宮には、ヴォルネス公と結びつきの強い貴族派閥がある。この一件が明るみに出れば、彼らは必ず何らかの動きを見せるはずだ。

(王宮がどう動くか……それを見極める)

 王子は剣を鞘に収めながら、夜の空を見上げた。月は静かに光を放ち、まるでこの夜の惨劇を嘲笑うかのように辺境を照らしていた。
 王都へ戻れば、ヴォルネス公が属していた派閥の動きを探ることができる。そして、それが"偶発的な反乱"だったのか、それとも"計画された謀反"だったのか。その答えを、王宮で見つけるしかない。

「……サーディス」

 アレクシスは、静かに彼女の名を呼んだ。
 辺境の夜は深く、風が吹き抜けるたびに血の匂いが舞い上がる。戦いが終わったはずの戦場は、なおも死の気配を濃く残していた。
 そんな中で、サーディスはただ立っていた。剣を下げ、まるで何事もなかったかのように。その姿は、"戦士"というよりも、"何か異質な存在"のように思えた。
 王子は無意識に手を握りしめる。

(……あれは、一体何だったのか)

 今、目の前にいるサーディスは"いつも通り"だった。冷静で、表情をほとんど変えず、無駄な感情を漏らさない。

 だが―― 

(先ほどの彼女は"化け物"そのものだった)

 王子は戦場を思い返す。異常なまでの力と速さ。人間とは思えぬほどの殺戮。まるで"魔"そのものが具現化したようだった。

(サーディス、君は……何者なのだ?)

 王子は、彼女の素性に疑念を抱いたことは何度もあった。王宮の茶会礼儀作法と共用。その場で見せた"嘘を見抜く力"。武術大会で見せた、常人を超えた剣技。
 クレストに属するゼファルの"影を操る能力"のように、異能を持つ者なのかと考えたこともある。
 だが、今夜見せたものは、それとは違った。

(……あれは"戦士"の戦い方ではない。"化け物"の戦い方だった)

 敵を斬ることに迷いがないのは分かる。だが、あの戦い方には、"意思"がなかった。
 彼女はただ、"狩る者"としてそこにいた。本能のままに斬り、血を浴び、"満たされる"ように戦っていた。
 王子は知らぬ間に息を詰めていた。
 今、サーディスはただ静かに立っている。血に濡れた剣を下ろし、何も語らず、何も変わらぬ顔で。

(……ならば、私も何も聞かない)

 問いただすべきか、一瞬迷った。しかし、サーディス自身、そのことについて語る気配はない。
 自分から話さない限り、彼女は決して"何か"を明かそうとはしないだろう。
 王子はわずかに目を細めた。

(ならば、今は問い詰めない)

 無理に聞いたところで、彼女は答えない。そして、彼自身も今は"聞くべき時"ではないと感じていた。

(だが……"知るべき時"は必ず来る)

 その時、サーディスは何を語るのか。それを知った時、自分は何を思うのか。
 王子は静かに剣の柄を握りしめ、ゆっくりと歩き出した。

「王都へ戻る」
 その言葉は、静かだったが、決意が込められていた。

「これ以上、ここにいる理由はない」

 サーディスは一瞬だけ王子を見つめ、短く頷いた。

「……了解しました」
 それはいつも通りの、冷静な声だった。

 だが、彼女の瞳には、王子に悟られてはならない"迷い"が宿っていた。風が吹き、二人の間を通り抜ける。静寂の中、二人は馬へと向かった。
 それぞれの心に、言葉にできぬ"疑念"と"迷い"を抱えながら。



 冷たい夜の空気が肌を刺す。森を抜けた二人は、川沿いに沿って慎重に移動していた。水面に映る月の光が揺れ、夜の静寂が漂う。
 王子アレクシスは前を歩くサーディスの背を見つめ、ふと口を開いた。

「……サーディス」

「何でしょう」

 彼の視線が、彼女の左背中に向けられている。
「傷は大丈夫か?」

 サーディスの背は、ヴォルネス公の兵士に切られたはずだった。それを王子はしっかりと覚えている。
 サーディスは何気ない口調で答える。

「大した傷ではありません」

 だが、それは嘘だった。実際には、魔剣を解放した時に"再生"した。あの狂乱の中、傷など"些細なこと"だった。
 むしろ、魔剣の力が傷を癒し、代わりに"別の侵食"を刻み込んだのだ。

 特に――

(左目が……うずく)

 眼帯の下の"魔の目"が、微かに熱を持っていた。何かが"内側から蠢く"ような感覚。まるで、自分の体に"別の生き物"が入り込んでいるような違和感。
 サーディスは、無意識に左目に手をやった。

(……魔剣の影響か?)

 以前よりも"侵食"が深くなっている気がする。あの剣を抜くたびに、自分の"人間"としての何かが削られていくような。そんな恐怖を、彼女は感じていた。

「……本当に、平気なのか?」

 王子の声が、再び静寂を破る。サーディスは、動揺を悟られないように、わずかに微笑んだ。

「それよりも――王子、ご自身は怪我はありませんか?」
 その問いに、王子は一瞬驚いた表情を見せた。だが、すぐに静かに微笑する。

「……おかげで、無事だ」

 それは、サーディスの剣がなければあり得なかったことだ。王子は、それを痛いほど理解している。

「私は所詮、実戦知らずのお坊ちゃんだったな」
 王子は自嘲気味に呟く。サーディスは、その言葉に静かに首を振った。

「実戦なんて、知らないならそれに越したことはありません」

 その言葉には、どこか遠くを見つめるような響きがあった。

(私は……知りすぎた)

 剣を振るい、血を浴び、幾度も命を奪った。生きるために、殺すことを選び続けた。
 それを"当たり前"だと受け入れてしまった自分がいる。
 だが、王子は違う。
 "王族としての戦い"は知っていても、"殺し合いの現実"を知らない。

(……このままでいてほしい)

 ほんの一瞬、そんな想いが胸をよぎった。だが、それをすぐに振り払う。

(私にそんなことを願う資格はない)

 王子が"戦場"を知らずにいられる世界など、存在しない。サーディスは静かに顔を伏せ、前を歩き続けた。
 王子の視線が、その背に僅かに残り続けることを感じながら。

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