忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

動乱編

急報

　二人は慎重に移動を続け、数時間後、ようやく町の市場へとたどり着いた。
　朝市が始まり、商人たちが店を開いている。パン屋、果物商、鍛冶屋、行商人。町は、いつもと変わらぬ日常が流れているように見えた。
　だが、その空気の中に、微かな"異変"があった。

　ざわ……ざわ……。 

　人々の間に広がる動揺と困惑。
　誰かが話している。その言葉が、次第にサーディスと王子の耳に届く。

「なあ、聞いたか……？」
「ああ……王が死んだそうだ。」

　その言葉が、脳に突き刺さるように響いた。

「なんだって……！？ それは本当か！？」
「ああ。王都からの使者が来たらしい。"王が急死した"と……」
「バカな……急死だと！？ あの王が？」

　市場のどこかで、誰かが叫んだ。


　王都からの使者が市場を駆け抜け、「王が死んだ！」という言葉が空気を裂いた。
　その瞬間、王子アレクシスの足が止まる。まるで時が止まったかのように、彼の周囲の音が消えた。
　市場のざわめき、行き交う人々の足音――すべてが遠のいていく。

（……父が死んだ？）

　彼の頭の中で、その言葉が反響する。
　だが、驚きや悲しみよりも、納得が先に来た。

（そうか……これが"全て"だったのか）

　ヴォルネス公の謀反。王子暗殺計画。
　それらはすべて、王を殺すための前触れに過ぎなかった。王都で起こるべくして起こった"政変"。
　アレクシスはゆっくりと息を吐き、目を閉じる。

（これで、全て繋がった）

　――叔父が王位を簒奪したのだ。

　――大貴族たちが結託し、新王を擁立したのだ。

　それは、もはや"事実"として確立しつつある。
　王が死んだという情報が市場に流れた以上、王宮ではすでに"次の王"が名乗りを上げているはずだ。

　そして、その"新王"にとって――

（"私の存在"は許されない）

　彼が生きている限り、新王の正統性は揺らぐ。
　王族の血を引き、王の証たる"聖剣"を持つ者がこの世にいる限り、新王の支配は盤石とはならない。

　だからこそ――王子は、すでに反逆者なのだ。

　彼の手が、無意識に腰に帯びた聖剣へと伸びる。
　王国の象徴たるこの剣。正統な王が持つべき剣。この剣がここにある限り、新たな王は正当な王とは言えない。
　だからこそ、ヴォルネス公は"これを奪おうとした"のだ。剣がなければ、王子は"ただの亡命貴族"に過ぎない。
　だが、剣がある限り、彼は"王たる可能性を持つ者"であり続ける。

　つまり、叔父の簒奪を確実なものとするためには。王子は、絶対に死ななければならない
　王都に、自分の居場所はもうないだろう。王宮には敵しかおらず、大貴族たちは叔父に忠誠を誓い、軍も掌握されている可能性が高い。
　王都へ戻れば、待っているのは粛清。王の死が既成事実とされ、新王の正統性が確立される前に、"邪魔な者"は速やかに処分される。

　――王子アレクシスは、その冷酷な現実を、迷いなく理解した。

　しかし。

（……私は、逃げるつもりはない）

　青い瞳が鋭く光る。王を殺し、王国を乗っ取った叔父をこのままのさばらせてはならない。彼の支配が続けば、王国は腐り果てる。
　叔父と結託した大貴族たちは、"計画的に王を殺し、王座を奪った"ことになる。その罪を、見過ごすわけにはいかない。
　王子は静かに拳を握りしめる。

（反撃の機会をうかがう。それが、答えだ）

　ここで逃げ、身を隠し、ただ生き延びるだけでは意味がない。
　この王国を守るためには、王の血を引く者が立ち上がらねばならない。王族として、彼はこの戦いを放棄することはできなかった。
　冷たい風が吹き抜ける中、サーディスは王子アレクシスの背中を静かに見つめていた。
　彼の歩みは迷いなく、強い意志を持っているように見える。
　だが、その内には複雑な感情が渦巻いていることも、サーディスにはわかっていた。