忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

心配と山道

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 夜の帳が下りる街道を、馬の蹄が乾いた音を響かせる。二人の影が、薄闇に溶け込むように疾走していた。
 アレクシスは、先を見据えながらも、ふと僅かに視線を落とす。眉間に深い皺を寄せ、思い悩むような表情を浮かべていた。
 サーディスはその変化にすぐ気づいた。

「……どうされましたか?」

 馬を並べながら問いかけると、アレクシスは少しだけ迷ったように沈黙した。だが、やがて静かに口を開く。

「……母上のことを考えていた」

 その名を聞いた瞬間、サーディスの胸の奥が僅かに揺れる。アレクシスは、ゆっくりと視線を遠くに向けた。

「無事だといいが……王都を発つ前、あの人は私に"王族としての務めを果たせ"と厳しく言った。そして最後に、"無事に帰ってきなさい"と」

 その言葉を思い返すように、アレクシスは息を吐く。

「母は、決して感情を露わにする方ではなかったが……あの時の言葉は、確かに"母のもの"だった」

 サーディスは黙って聞いていたが、自分の心が王子と同じ思いを抱いていることを悟る。
 王妃は、ただ昔の記憶の中の人ではない。つい先日、自分に向かって"あなたも無事に帰ってきなさい"と言ってくれた人だ。
 温かく、穏やかに。それでも決して揺るがぬ強さを持つ、気高き王妃。
 サーディスは、そっと目を伏せる。

(――どうか、無事でいてほしい)
 心の底から、そう願ってしまう。

 だが、それでも。

「……今、それを考えている余裕はありません」

 はっきりと告げると、アレクシスもまた、ゆっくりと頷いた。彼もそれは自覚しているようだった。

「……そうだな」

 感傷に浸る暇はない。彼らは今、追われる身であり、王都を奪還するための準備を進めなければならない。

「私たちにできるのは、頼れる味方を増やし、早急に王都へと戻ることです」

 サーディスの言葉に、アレクシスは息を整え、決意を固めるように馬の手綱を強く握る。

「……ああ、その通りだ」

 二人は改めて馬を走らせた。冷えた夜風を切り裂きながら、闇の中をひた走る。
 今はまだ、願うだけしかできない。だが、いずれは――自らの手で取り戻さねばならない。
 王妃の無事を、王都の未来を、そしてそれぞれの"戦い"の結末を。




 関所が近づくにつれ、アレクシスとサーディスの警戒は自然と強まった。馬を降り、離れた茂みに身を潜めながら、二人は前方の関所をじっと見つめる。
 通常であれば、関所の警備は最低限の人数でまかなわれる。だが、今目の前にある光景は明らかに異なっていた。門前には普段の倍以上の兵士が立ち、あちこちを巡回する姿が見える。見張りの者たちは鋭い視線を走らせ、まるで"何か"を待ち構えているようだった。

「……おかしいな」
 アレクシスが低く呟く。

 サーディスもまた、眉をひそめる。
 痕跡を残さぬよう慎重に移動してきたはずだった。立ち寄る場所も制限し、宿に泊まることすら避けてきた。それなのに、これほどの厳重な警戒が敷かれている。
 となれば、敵は"確証"を得たということだ。

「誰かに目撃されたか……いや、私たちの動きが読まれている可能性が高いのかもしれない」
 アレクシスは剣の柄を握りしめる。

「……だとすれば、このまま進めば確実に捕まるな」

 相手の数が多すぎる。正面突破は不可能。
 かといって、迂回する余裕もない。時間をかけすぎれば、追っ手に挟み撃ちにされる危険がある。

「ならば――」

 サーディスが静かに口を開いた。
「山を突き抜けましょう」

 アレクシスは、一瞬驚いて彼女を見た。

「……この山を越えるというのか?」

 目の前には、険しい山脈がそびえ立っている。深い森林と、ごつごつとした岩場が連なり、足場も悪い。踏み入れたら最後、どれほどの時間がかかるかわからない。
 アレクシスは、半ば反射的に言った。

「土地勘もないのに、そんな場所を進むのは危険ではないか?」

 しかし、サーディスは迷いなく答える。

 「問題ありません。私は、かつて山で長く暮らしていました」

 アレクシスは、意外そうに眉を寄せた。
「……何?」

「よほど特殊な地形でない限り、迷うことはありません」

 サーディスの声には確信があった。アレクシスは、改めて彼女の表情を見つめる。そこには、一切の迷いがなかった。

(本当に、迷うことはないのか……?)

 だが、いずれにせよ時間は限られている。考えている間にも、関所の警備はさらに厳しくなりかねない。アレクシスは短く息を吐き、決断した。

「……分かった。君を信じよう」
 サーディスは静かに頷く。

 こうして二人は、夜の闇に紛れ、険しい山道へと足を踏み入れた。
 山道を進みながら、アレクシスはふとサーディスの背中を見つめた。
 森の闇に紛れ、音もなく歩くその姿は、まさに"山で生きてきた者"のものだった。岩場でも足を取られることなく、まるで獣のような柔軟な動きで身を運ぶ。木の根や落ち葉の敷き詰められた不安定な足場すら、難なく踏み越えていく。

(確かに、慣れているな)

 彼女が言う通り、山の地形には精通しているのだろう。

(それにしては……)

 王子の中で、違和感が膨らんでいた。"山育ち"と称する彼女。
 だが、それが本当だとするならば――彼女はあまりにも"貴族らしすぎる"。

(あの時の茶会……)

 王宮で開かれた貴族の集まり。そこでは、彼女が貴族たちの試すような問いかけに、一切動じることなく応じていた。
 しかも、ただ礼儀をわきまえているだけではない。彼女の仕草には、"貴族としての作法"が確かに染みついていた。礼の角度、歩くときの所作、杯の持ち方――どれを取っても、並の騎士や兵士が自然と身につけられるものではない。

("山育ち"を名乗るには、不自然なほどの洗練……)

 そして――

(剣の腕も、妙だ)

 王子自身、剣には自信がある。幼少の頃から一流の剣士に学び、日々鍛練を積んできた。
 だが、サーディスはそれをはるかに上回っていた。
 並の騎士とは比べ物にならない実力。剣の技だけでなく、間合いの詰め方、殺意の消し方、相手の心理の読み方……。

 それは、ただ"強い"だけの剣士ではない。
 "生きるために剣を振るってきた者"の動きだった。
 まるで"何かを隠している"かのような違和感。
 王子は、前を歩くサーディスの背中をじっと見つめる。
 彼女はいったい、何者なのか?
王子の胸の奥に、静かに疑念が広がっていく。
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