忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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動乱編

痛み

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サーディスが問いただす前に、ゼファルはゆっくりと短剣を抜き、その刃先を弄ぶように回した。


「おもしろい……実に興味深い展開だ。普通なら、"十年前の生き残り"となれば、ここで始末しなければならないところだが」


 彼は刃をサーディスの喉元に近づけ、そこでふっと手を止めた。


「助かりたいか?」


 その問いかけに、サーディスの心臓が跳ねた。

「……なに?」


 ゼファルは、愉快そうに唇を歪める。


「言葉の通りだ。"助かりたいか?"。 このまま殺されるか。それとも……"生きる道を選ぶか"」

 静かな声。


「カエルス陛下に忠誠を誓え。お前もクレストの一員だったはずだ」


 ゼファルの言葉に、サーディスはゆっくりと息を吸い込んだ。

 王子を救うために生き延びるべきか?

 それとも、ここで終わるべきか? 

 毒のせいで、意識が揺れる。全身が重く、指先すら思うように動かせない。


 しかし――。


(私は、そんなことをするためにここにいるんじゃない)


 サーディスは、迷うことなく、口の中の唾をゼファルの顔へと吐きかけた。ゼファルの目がわずかに細められる。

 サーディスの視界が揺れる。ゼファルの冷たい手が、彼女の肩を掴み、ゆっくりと立ち上がらせた。


「……毒では死なん」


 ゼファルは淡々とした声で言う。

 サーディスは、息を荒げながら、ゼファルの意図を理解できずにいた。


(何を……?)


「お前は運がいい。これは致死性の毒ではない。ただの神経毒だ」


 ゼファルは、何気なくサーディスの体を支えながら、彼女を見下ろす。


「もっとも、動けなくなった時点でお前の負けだったがな」


 彼の声は、乾いた感心を含んでいた。


「それにしても、見事な忠儀だな。王子を差し出し、自分は残る。まったく、感心するよ」


 嘲笑混じりの称賛。そして、次の瞬間。


「……っ!」


 サーディスの腹部に重い衝撃が走った。全身が跳ね上がる。地面に叩きつけられる衝撃が、骨に響く。呼吸が詰まる。肺の中の空気が一瞬で抜けた。


「毒では死なん。だが、毒では、な」


 ゼファルは、冷たい瞳でサーディスを見下ろす。

「……痛みは感じるか?」


 膝が踏みつけられる。骨が軋む嫌な音がした。


「っ……」

  サーディスは何も言わなかった。


 だが、次の瞬間、頬を打たれた。軽い一撃だった。だが、意識を引き戻すには十分だった。


「しっかりしろ。まだ終わっていない」


 ゼファルは、まるで作業をするかのように淡々とした手つきで、サーディスの指を一本ずつ折り始めた。


「……ッ!」


 痛みが脳に突き刺さる。だが、サーディスは声を上げなかった。

 ゼファルは、何の感情も込めずに拷問を続ける。


「愚かな女だ。王子の進退が決まった時点で、その首と聖剣を持ってくれば、お前は一等功績者だったというのに」


 サーディスの指が、次々と折られていく。ゼファルは淡々と続けた。


「王子はいずれ処刑される。貴族たちに見せしめとしてな」


 彼の声は揺るがない。

「……それとも、"情婦"という噂は本当だったか?」


 ゼファルは、ナイフの切っ先をサーディスの首元に当てながら、薄く笑った。


「王子に可愛がられて、嬉しかったか?」


 サーディスの視界が、痛みと毒で滲む。頭がくらくらする。それでも、彼女はゼファルを睨みつけた。

 その眼差しに、ゼファルはわずかに目を細める。


「まだ折れていないか」

 つまらなそうに呟く。


「王子も楽しんだのだろう。俺も楽しませてくれよ」

 彼の声は冷たかった。


 サーディスは、わずかに唇の端を歪めた。


「……ゲス、が……」


 ゼファルの目がわずかに細められる。


「かは、んしんで、しか……かんがえられな、い、のか」


 沈黙。


 ゼファルは、サーディスの言葉を吟味するようにじっと見下ろした。

 しばしの間、何も言わない。

 その沈黙が、何よりも不吉だった。


 やがて、彼はゆっくりとナイフを持ち上げ、口元に薄く笑みを刻む。


 「……別の方法で楽しませてもらおう」


 サーディスは呼吸を整えた。

 意識はまだある。

 くらくらしているが、朦朧してはいない。


 そして理解していた。


 拷問が続くのだと。


 ゼファルの指が、彼女の頬を撫でる。

 皮膚が焼けるような感覚が走る――ただの錯覚なのに、なぜかその手は"異質"だった。


 「どこから始めようか……」


 楽しげな囁きが、耳を撫でる。

 サーディスは目を逸らさなかった。


 刃先が肌に触れる。

 軽く、浅く、まるで遊ぶように引かれたナイフの軌跡が、僅かな熱を残していく。

 だが、傷が深くないことが逆に嫌な予感を呼んだ。


 ゼファルはゆっくりと刃を寝かせ、傷口をなぞるように押し当てた。

 その冷たさが、じわりと皮膚に染み込んでいく。

 ぞわり、と嫌な感覚が背中を駆け上がる。

 痛みよりも、"これがどこまで続くのか" という恐怖が、先に来る。


 「お前は、どこまで耐えられる?」


 刃の角度が変わる。

 次の瞬間――鈍い刺激がじわりと広がった。

 熱い。冷たい。痛い。感覚が混ざり合い、何が何だかわからなくなる。

 息を詰める。

 小さな傷のはずなのに、そこから広がる"痛みの余韻"が、次第に全身を支配していく。


 「いい顔だ」


 ゼファルは満足げに呟いた。


 サーディスは声を出さなかった。

 ただ、拳を握りしめ、ゼファルの瞳を見つめ返す。

 だが、その目の奥で静かに警報が鳴っていた。


 ――終わらない。


 これが、始まりにすぎないことを、彼女は痛いほど理解していた。


 森の奥に響くのは、まだ沈黙。

 だが、その静寂が、いずれ"痛み"の音に塗り替えられることを、彼女は知っていた。


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