忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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狂嵐襲来編

王都②

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 王都ヴァルトハイトの王城は、静かなる緊張に包まれていた。
 城内の広大な回廊には、整然と並ぶ鎧武者たちが鋭い視線で周囲を警戒している。
 装飾の施された巨大な燭台の灯火が、王城の壁に揺れる影を落とし、冷えた空気の中で静寂を際立たせていた。

 王座の間へと続く扉の前には、漆黒の甲冑に身を包んだ近衛騎士たちが、誰も寄せ付けぬ鋭利な雰囲気を漂わせ、重厚な双扉の前に立ち塞がっている。

 そして――

 扉の向こう、王座の間。
 広々とした空間の中央には、金糸で編まれた赤絨毯が敷かれ、荘厳な調度品が並ぶ。
 巨大なシャンデリアが、室内に仄かな明かりを灯していた。

 その奥の王座に座するのは、王子の叔父にして新王――カエルス・マクシミリアン・ヴァルトハイト。
 彼は背もたれに体を預け、無表情のまま手元の書状を眺めていた。
 カエルスの視線が、書状に書かれた報せを静かに追う。

 「ヴォルネス公、討たれる」

 「ゼファル、討たれる」

 書かれた内容は決して軽いものではなかった。
 王子アレクシスの動向を警戒し、彼に与する貴族らの粛清を進めていた中で、ふたりの有力な協力者が討たれた。

「……二人を失ったか」
 低く、冷たい声が広間に響く。

 カエルスは報告書を手の甲で軽く弾くと、近くに立つ二人の騎士へと視線を向けた。
 広間の中央に控える彼らは、王の直属部隊「クレスト」の名を持つ最強の騎士たちだった。

 一人は、淡い金色の髪を持つ美貌の女騎士――"狂嵐"ジークリンデ・アーベントロート。
 鋭い眼差しはまっすぐに王を見据え、その立ち姿には微塵の乱れもない。

 もう一人は、漆黒の軽鎧に身を包んだ男――"魔人"オルフェン。
 獅子を思わせる雰囲気を纏い、静かに佇んでいるが、そのはしばしから冷酷さが垣間見える。

 カエルスはゆっくりと王座から立ち上がり、彼らの前に歩み出た。

 王の影が長く広間に伸びる。
 新王はジークリンデとオルフェンを見据え、短く命じた。

「貴様たちに命ずる。王子を討て」
 その声は冷たく、鋭く、迷いのないものだった。

「奴はヴォルネス公を討ち、ゼファルまでも屠った」
 カエルスの目が鋭く光る。

 ジークリンデは静かに膝をつき、無言のまま王の言葉を待つ。
 オルフェンもまた、わずかに目を細めるだけで何も言わない。
 王は、さらに言葉を続ける。

「敵に回った貴族どもは、いずれ処理すればよい。しかし、問題なのは王子アレクシスだ」

 カエルスは手にした書状を軽く握りつぶし、言い放つ。

「聖剣がある限り、アレクシスに従う者が増えるだろう。それを阻止し、奴が王座を簒奪する可能性を断つのだ」

 その言葉に、ジークリンデは無言で頷く。

「アレクシスの存在は、我が治世にとって最大の障害となる。早急に排除しなければならない」

 カエルスの声音には冷酷さが滲んでいた。
 まるで、"確実に殺せ"と念を押すかのように。

 ジークリンデは静かに顔を上げ、鋭い眼差しで王を見つめる。

「……御意」
 その声には迷いがない。

 彼女にとって、王の命令は絶対だった。
 そして、オルフェンもまた、わずかに口元を歪める。
 ジークリンデは王の命令を忠実に遂行するつもりだった。
 オルフェンは確実な結果を求め、冷徹に動くだろう。
 彼らはそれぞれ異なる動機を持ちながらも、目的は一つだった。

「王子を討つ」

 その場に冷たい沈黙が落ちる。
 新王カエルスは、彼らを満足そうに見やると、再び王座に座り直した。

「期待しているぞ、クレストの精鋭よ」

 静かに告げられた命令。

 重厚な広間には、沈黙が満ちていた。
 ジークリンデとオルフェンが王命を受け、それぞれ行動に移ろうとした、その時――
「……陛下」

 低く、くぐもった声が、静寂を破った。
 広間に響いたその声音は、湿った霧のように空気を震わせる。
 王座のすぐ傍。
 王座の横で、ずっと沈黙を守っていた影があった。

 黒いローブに包まれた男が、カエルスの影の中に立っていた。
 深く被ったフードの奥から、光を放つ双眸が覗く。
 まるで、常人とは異なる異質な存在がそこに佇んでいるかのように。
 カエルスは、ゆっくりと彼を一瞥する。

「……何だ?」

 冷えた声音に、ローブの男は静かに口を開いた。

「王子は生かしておいてはなりません」

 その言葉は、確信に満ちていた。単なる進言ではなく――それは、断定だった。
 ジークリンデが鋭い視線を向ける。オルフェンは無言のまま、腕を組んだ。
 ローブの男の言葉には、ただの臣下の意見とは異なる何かがあった。
 それを理解しているからこそ、場の空気はわずかに緊張を孕む。
 フードの奥から、不気味な笑みが垣間見えた。

「……王子を討つだけでは、不十分」

 男は、一歩前へ進み出る。
 広間の灯火が揺れ、その影を長く引き伸ばした。

「貴族たちが王子に従うのは、聖剣の存在があるから……しかし、真に彼らを動かしているのは"王子そのもの"です」

 静かに告げられた言葉に、新王カエルスは微笑む。

「分かっている」

 彼は短く言い、玉座からゆっくりと立ち上がった。そして、王命を受けた二人の騎士へと視線を向ける。

「ジークリンデ、オルフェン――"王子の首"を持ち帰れ」

 その声は、これ以上ないほどに冷酷だった。
 まるで、王子がこの世に生きているという可能性を、根本から断つつもりであるかのように。
 広間に再び静寂が落ちる。
 ジークリンデは、静かに膝をついた。

「御意」

 その声には、一切の感情がなかった。
 オルフェンもまた、口元にわずかな笑みを浮かべながら、無言で頷いた。
 彼らは既に、王子抹殺を決定事項として受け入れていた。そうして、二人の騎士は踵を返し、王座の間を後にした。

 静寂が戻る広間。
 しかし――その静寂の中で、フードの男は微かに口角を吊り上げた。
 王の傍に控えたまま、不気味な笑みを浮かべながら。まるで、何かを確信したかのように。
 あるいは――既に、次の策を練っているかのように。
 王座の間に満ちる沈黙の中、新王はその男に向かって、ただ静かに目を細めた。

 ――王都ヴァルトハイト。

 そこには、目に見えぬ闇が、音もなく広がっていた。
 静かに、確実に。全てを呑み込まんとするように――。


<あとがき>
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