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狂嵐襲来編
王都②
しおりを挟む王都ヴァルトハイトの王城は、静かなる緊張に包まれていた。
城内の広大な回廊には、整然と並ぶ鎧武者たちが鋭い視線で周囲を警戒している。
装飾の施された巨大な燭台の灯火が、王城の壁に揺れる影を落とし、冷えた空気の中で静寂を際立たせていた。
王座の間へと続く扉の前には、漆黒の甲冑に身を包んだ近衛騎士たちが、誰も寄せ付けぬ鋭利な雰囲気を漂わせ、重厚な双扉の前に立ち塞がっている。
そして――
扉の向こう、王座の間。
広々とした空間の中央には、金糸で編まれた赤絨毯が敷かれ、荘厳な調度品が並ぶ。
巨大なシャンデリアが、室内に仄かな明かりを灯していた。
その奥の王座に座するのは、王子の叔父にして新王――カエルス・マクシミリアン・ヴァルトハイト。
彼は背もたれに体を預け、無表情のまま手元の書状を眺めていた。
カエルスの視線が、書状に書かれた報せを静かに追う。
「ヴォルネス公、討たれる」
「ゼファル、討たれる」
書かれた内容は決して軽いものではなかった。
王子アレクシスの動向を警戒し、彼に与する貴族らの粛清を進めていた中で、ふたりの有力な協力者が討たれた。
「……二人を失ったか」
低く、冷たい声が広間に響く。
カエルスは報告書を手の甲で軽く弾くと、近くに立つ二人の騎士へと視線を向けた。
広間の中央に控える彼らは、王の直属部隊「クレスト」の名を持つ最強の騎士たちだった。
一人は、淡い金色の髪を持つ美貌の女騎士――"狂嵐"ジークリンデ・アーベントロート。
鋭い眼差しはまっすぐに王を見据え、その立ち姿には微塵の乱れもない。
もう一人は、漆黒の軽鎧に身を包んだ男――"魔人"オルフェン。
獅子を思わせる雰囲気を纏い、静かに佇んでいるが、そのはしばしから冷酷さが垣間見える。
カエルスはゆっくりと王座から立ち上がり、彼らの前に歩み出た。
王の影が長く広間に伸びる。
新王はジークリンデとオルフェンを見据え、短く命じた。
「貴様たちに命ずる。王子を討て」
その声は冷たく、鋭く、迷いのないものだった。
「奴はヴォルネス公を討ち、ゼファルまでも屠った」
カエルスの目が鋭く光る。
ジークリンデは静かに膝をつき、無言のまま王の言葉を待つ。
オルフェンもまた、わずかに目を細めるだけで何も言わない。
王は、さらに言葉を続ける。
「敵に回った貴族どもは、いずれ処理すればよい。しかし、問題なのは王子アレクシスだ」
カエルスは手にした書状を軽く握りつぶし、言い放つ。
「聖剣がある限り、アレクシスに従う者が増えるだろう。それを阻止し、奴が王座を簒奪する可能性を断つのだ」
その言葉に、ジークリンデは無言で頷く。
「アレクシスの存在は、我が治世にとって最大の障害となる。早急に排除しなければならない」
カエルスの声音には冷酷さが滲んでいた。
まるで、"確実に殺せ"と念を押すかのように。
ジークリンデは静かに顔を上げ、鋭い眼差しで王を見つめる。
「……御意」
その声には迷いがない。
彼女にとって、王の命令は絶対だった。
そして、オルフェンもまた、わずかに口元を歪める。
ジークリンデは王の命令を忠実に遂行するつもりだった。
オルフェンは確実な結果を求め、冷徹に動くだろう。
彼らはそれぞれ異なる動機を持ちながらも、目的は一つだった。
「王子を討つ」
その場に冷たい沈黙が落ちる。
新王カエルスは、彼らを満足そうに見やると、再び王座に座り直した。
「期待しているぞ、クレストの精鋭よ」
静かに告げられた命令。
重厚な広間には、沈黙が満ちていた。
ジークリンデとオルフェンが王命を受け、それぞれ行動に移ろうとした、その時――
「……陛下」
低く、くぐもった声が、静寂を破った。
広間に響いたその声音は、湿った霧のように空気を震わせる。
王座のすぐ傍。
王座の横で、ずっと沈黙を守っていた影があった。
黒いローブに包まれた男が、カエルスの影の中に立っていた。
深く被ったフードの奥から、光を放つ双眸が覗く。
まるで、常人とは異なる異質な存在がそこに佇んでいるかのように。
カエルスは、ゆっくりと彼を一瞥する。
「……何だ?」
冷えた声音に、ローブの男は静かに口を開いた。
「王子は生かしておいてはなりません」
その言葉は、確信に満ちていた。単なる進言ではなく――それは、断定だった。
ジークリンデが鋭い視線を向ける。オルフェンは無言のまま、腕を組んだ。
ローブの男の言葉には、ただの臣下の意見とは異なる何かがあった。
それを理解しているからこそ、場の空気はわずかに緊張を孕む。
フードの奥から、不気味な笑みが垣間見えた。
「……王子を討つだけでは、不十分」
男は、一歩前へ進み出る。
広間の灯火が揺れ、その影を長く引き伸ばした。
「貴族たちが王子に従うのは、聖剣の存在があるから……しかし、真に彼らを動かしているのは"王子そのもの"です」
静かに告げられた言葉に、新王カエルスは微笑む。
「分かっている」
彼は短く言い、玉座からゆっくりと立ち上がった。そして、王命を受けた二人の騎士へと視線を向ける。
「ジークリンデ、オルフェン――"王子の首"を持ち帰れ」
その声は、これ以上ないほどに冷酷だった。
まるで、王子がこの世に生きているという可能性を、根本から断つつもりであるかのように。
広間に再び静寂が落ちる。
ジークリンデは、静かに膝をついた。
「御意」
その声には、一切の感情がなかった。
オルフェンもまた、口元にわずかな笑みを浮かべながら、無言で頷いた。
彼らは既に、王子抹殺を決定事項として受け入れていた。そうして、二人の騎士は踵を返し、王座の間を後にした。
静寂が戻る広間。
しかし――その静寂の中で、フードの男は微かに口角を吊り上げた。
王の傍に控えたまま、不気味な笑みを浮かべながら。まるで、何かを確信したかのように。
あるいは――既に、次の策を練っているかのように。
王座の間に満ちる沈黙の中、新王はその男に向かって、ただ静かに目を細めた。
――王都ヴァルトハイト。
そこには、目に見えぬ闇が、音もなく広がっていた。
静かに、確実に。全てを呑み込まんとするように――。
<あとがき>
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