忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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狂嵐襲来編

騎士団①

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 夜明け前の冷たい風が、静まり返った森を吹き抜けた。
 空はまだ薄暗く、東の地平線がわずかに白み始めている。
 森の木々が風に揺れ、葉のざわめきだけが辺りに響いていた。

 その静寂の中を、王子アレクシス・エドワルド・ヴァルトハイトは、泥だらけのマントを翻しながら進んでいた。
 彼の表情には疲労の色が濃い。
 しかし、それでも立ち止まることは許されなかった。
 その傍らには、同じく泥と血にまみれた衣類を纏い、鋭い視線を前方に向ける騎士――サーディスがいた。

 二人は言葉を交わさず、ただ無言で険しい山道を進み続けていた。
 どれほどの時間が経ったのか。
 逃げるたびに戦いがあり、信じた者に裏切られ、幾度も傷を負った。
 それでも、彼らは生きていた。

 敵の追跡を何度も振り切り、ようやく辿り着いたのは――王国騎士団の砦、ガルド砦。
 国境近くに位置するこの砦は、王国の防衛において重要な役割を担っている。
 歴代の王も、騎士団の忠誠によって王権を維持してきた。
 アレクシスは唇を噛みしめる。

(ようやく、味方のもとにたどり着いたか……)

 だが、安堵の感情がわずかに胸をよぎった次の瞬間、別の考えが頭を過った。

 ――本当に、ここは"安全な場所"なのか?

 信じていた者に裏切られてきた。
 王国に仕える騎士や貴族が、すべて王家の味方とは限らない。
 ヴォルネス公のように、新王カエルスへと寝返る者が出ている以上、この砦の騎士たちが"必ずしも"味方である保証はなかった。

 それでも――

「王国騎士団は、本来、王家に忠誠を誓う組織だ」

 アレクシスは自分にそう言い聞かせた。
 今の彼らに、ほかの"選択肢"はない。
 騎士団が裏切っていなければ、ここで休息を取ることができるはずだ。
 追手が迫る中、少しでも体勢を立て直さなければ、長くは持たない。
 王子は肩越しに、サーディスを見た。彼女の顔には、疲れが滲んでいた。
 しかし、彼女の瞳には一片の迷いもなかった。
 それが、アレクシスにとっての唯一の救いだった。


 遠く、霧に包まれた山の向こうに、砦の輪郭が見えてきた。
 高い石壁、見張り塔、鋭い槍を手にする衛兵たち。
 王国の防衛を担う、堅牢な砦。
 ここが、本当に味方であることを願うしかなかった。
 アレクシスは深く息を吸い込み、馬を進めた。

「……行こう、サーディス」

 彼の声には、決意とわずかな不安が入り混じっていた。
 王子とその騎士は、運命の門へと向かって歩みを進める。
 その先に待つのが、安息か、それともさらなる戦乱か――まだ誰にも分からなかった。

 森を抜けた先に、石造りの砦が姿を現す。

「……シス様、門が見えました」

 サーディスが低く告げる。
 前方にそびえ立つのは、頑強なガルド砦。
 王国の国境付近に位置し、歴代の騎士たちが国を守るために築き上げた要塞だった。

 砦の入口には、巨大な鉄製の門が構えられている。
 その上には見張りの騎士たちの姿が並び、槍を手に周囲を警戒していた。
 まだ朝焼けすら遠い時間帯。
 だが、砦の中はすでに灯りがともり、規則正しく動く騎士たちの姿が見える。
 騎士たちは、まだ眠ることを許されないのだろう。
 この砦が、王国防衛の最前線にあることを改めて実感させられた。

 アレクシスはそっと息を吐く。

(今は、頼るしかない……)

 追われ、信じていた貴族たちの多くが敵へと寝返った。
 だが、王国騎士団は本来、王家に忠誠を誓う者たち。
 この砦でなら、少なくとも一時の休息を得られるはずだ――そう信じたかった。
 その時、門の上から鋭い声が響いた。

「何者だ!?」

 アレクシスは、身をこわばらせながらも迷わず一歩前に出る。

「第一王子アレクシス・エドワルド・ヴァルトハイトだ!」

 その一言に、門の上の騎士たちがざわめいた。

「王子殿下……!?」

「本当に……?」

 互いに顔を見合わせ、確認し合うような仕草を見せる。
 疑念が混じるのも無理はない。
 王都ではすでに、王子は失脚したとされ、カエルスが王位に就いた。
 その王子が、こうして自ら門の前に立っているという事実が、彼らにとっても容易には信じられなかったのだろう。
 だが――やがて、一人の騎士が声を張り上げる。

「門を開けろ! 急げ!」

 鋭い命令の声が飛ぶ。

「王子殿下だ! 速やかに門を開けろ!」

 鉄製の巨大な門が、ゆっくりと開かれ始める。
 ギィ……ギィ……
 重々しい音が響き、砦の内部へと続く道が徐々に露わになっていく。

 アレクシスとサーディスは、注意深く足を踏み入れた。
 砦の中には、王国騎士たちが整然と並び、王子の到着を見守っていた。
 彼らの表情には、驚き、戸惑い、そして期待が入り混じっていた。
 アレクシスは、彼らの視線を一つひとつ受け止めながら、静かに前へ進む。
 この砦が本当に味方であることを願いながら――
 運命の歯車が、今ここで動き出そうとしていた。
 アレクシスとサーディスが、ゆっくりと砦の内部へと足を踏み入れる。

 門が背後で重々しく閉じる音が響き、砦の中は再び静寂に包まれた。
 ガルド砦は、石造りの堅牢な建物が並び、要塞としての機能を極限まで高めた構造をしていた。
 かつて幾度もの戦で国を守ってきたその姿は、戦場における最前線の拠点そのものだった。

 砦の中央には、広々とした鍛錬場が広がり、すでに朝の訓練を始める騎士たちの姿が見られる。
 若き兵士たちが木剣を交え、鋼の鎧を身に纏った老練の騎士が、その様子を見守っていた。

 しかし――王子の姿を目にした途端、彼らの動きが止まる。
 その場にいたすべての騎士たちが、驚愕と困惑の色を浮かべた目でアレクシスを見つめた。

 門が完全に閉ざされると、騎士たちは一斉に王子のもとへと集まってきた。
 彼らの目には、驚き、戸惑い、そして何か言いたげな感情が宿っている。
 その中から、一人の男が前に出た。

 騎士団長――カイル・アーデン。

 彼は銀の鎧を纏い、壮年ながらも鍛え上げられた鋼のような体躯を持つ男だった。
 貴族の出ではなく、騎士団の最下層から這い上がり、歴戦を生き抜いてきた戦士。
 その実力と忠誠心をもって、王国騎士団の一角を任されるほどの男だった。
 カイルは、驚いた表情でまっすぐ王子を見据えた後、深く頭を下げる。

「王子殿下……よくぞご無事でした」

 その言葉に、アレクシスは少しだけ安堵の表情を見せた。
 王都を追われ、信じていた貴族に裏切られ、ようやく辿り着いたこの砦。
 騎士団が迎え入れてくれるのであれば、しばしの休息を得ることができるかもしれない――

「……助かる」

 短く言葉を返すアレクシス。
 しかし、サーディスはその場に集まった騎士たちの視線に違和感を覚えていた。

 王子の帰還に安堵するはずの騎士たち。それなのに、彼らの反応はどこか"ぎこちない"。
 サーディスは、視線を巡らせながら考える。

(……なぜ?)

 確かに彼らの顔には驚きと安堵の色が見える。
 しかし、それ以上に妙な緊張感が滲んでいる。

 まるで、王子を迎え入れることに"戸惑い"を感じているかのような――

 あるいは、何か別の事情を抱えているような――

 この場に満ちる微妙な違和感が、サーディスの警戒心を研ぎ澄ませる。

(この砦は、本当に安全なのか……?)

 そんなサーディスの思考を遮るように、カイルが静かに手を差し出した。

「まずは、こちらへ」

 砦の奥へと王子を案内しようとする彼の言葉には、特に違和感はない。
 しかし、サーディスの胸中には、依然として拭えない不安があった。

(彼の動きにも、不審な点はない……考えすぎか?)

 アレクシスは、少し迷う素振りを見せたが、今は騎士団に頼るしかないと判断し、静かに頷いた。

 「分かった。案内を頼む」

 カイルが歩き出す。その背に続く王子。
 サーディスは、王子のすぐ後ろにつき、無言のまま背を守るように歩いた。
 砦の廊下を進む中、アレクシスはふと呟いた。

「ここで、しばらく休めるといいが……」

 その言葉に、サーディスは表情を変えず、静かに返す。

「……休めると、いいですね」

 その言葉の意味を、アレクシスは察することができなかった。
 "休めるはずがないかもしれない"という、サーディスの警戒心。

 何かがおかしい。けれど、それが何なのか、まだ分からない。
 そんな不安を胸に、彼女は王子の歩みを見守りながら、砦の奥へと足を踏み入れていった。


<あとがき>
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