忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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狂嵐襲来編

サーディスとアレクシス④

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 王子――シス様と、私は深い森の奥を進んでいた。

 王国騎士団の砦を抜け出し、ようやく追跡の手を振り切った。
 しかし、それでも安心できる状況ではない。

 彼の肩は重く沈み、疲労と焦りを隠せない。

「……このままでは、いずれ捕まるな」

 シス様が低く呟いた。

「どこへ行っても追われるだけではないか……」

 その声には、今までにないほどの疲労が滲んでいた。

 当然だ。
 味方だと思っていた騎士団すら裏切った今、どこに希望を求めればいい?
 どこに行けば、安息を得られる?

 私も、それを答えられる立場にはなかった。

「少し、休みましょう」

 そう言ったのは、気づけば私の方だった。
 シス様は私を見つめる。

「……まだ距離を稼がねばならない」

「ご無理をされても、追手を振り切れるわけではありません」

 淡々とした口調で言い切る。
 私が感情を表に出せば、彼は余計なことを考えてしまう。

 彼はしばらく迷っていたが、私の言葉に頷くと、森の小さな開けた場所へ馬を寄せた。

 私は静かに馬を降りると、ゆっくりと左腕を動かしてみた。
 動かすたびに、骨と筋肉が軋むような感覚がある。

 ――再生したばかりの左腕。

 見た目こそ、元通りになっている。
 だが、その内部には確実に"異形の気配"が広がっていた。

 この腕は、もう"私自身のもの"ではないのかもしれない。
 そう思うほどに、異質な脈動が、皮膚の下を這い回っていた。


 「……そうだ、サーディス。腕は――」

 シス様の静かな声が響いた。
 彼の声には、心配の色が滲んでいる。
 私は、一瞬だけ動きを止めた。

 だが――

 すぐにいつものように、冷静な声で答える。

 「問題ありません」

 そう言いながら、私はゆっくりと腕を回して見せた。
 どこからどう見ても、正常に動いているようにしか見えない。
 "問題などない"――そう思わせるために。

 だが、それは嘘だ。

 この腕はもう、元の私のものではない。
 それでも――

 今はただ、復讐のために動けるのなら、それでいい。

 「嘘つくな」

 王子の言葉が、鋭く私を貫く。

 「さっきの衝撃で変な方向に――!?」

 次の瞬間。
 彼の手が、私の腕を掴んだ。
 触れられた瞬間。

 ――ドクン……!

 左腕が、異様な脈動を見せる。
 まるで"何か"が目覚めようとするかのように。
 王子の表情が一瞬強張る。
 私は息を止める。

 (……バレた?)

 いや――

 王子は、すぐに私の腕を離した。
 異常を感じ取る間もなかったのか、それとも"服の上から"だったから気づかなかったのか。
 王子は少し息を荒げながら、言葉を紡いだ。

 「すまない。……本当に大丈夫みたいだな。さっきは気が動転していたようだ」

 (……触られたのに、気づかなかった?)

 私の腕は、確かに異形に侵食されている。
 だが、王子は"すぐに腕を離した"。
 もし彼が直接肌に触れていたら――"何か"を感じ取っていたのだろうか?
 王子の表情は、まだ少し険しかったが、すぐに表情を和らげた。

 「先程は緊急事態とは言え、失礼しました」

 私がそう言うと、王子はすぐに首を振った。

 「いや、君の咄嗟の判断のおかげで助かったんだ。むしろ礼を言う」

 そう言って、王子は静かに地面に腰を下ろした。
 冷たい夜気が、肌を刺すようだった。

 夜の闇は深く、焚き火を起こすこともなく、ただ静寂の中で座り込む。
 シス様は、剣を膝の上に置き、深く息を吐いた。

 その呼吸は、どこか沈んでいる。
 普段の彼なら、どれほど追い詰められても余裕を崩さないというのに。

 「……私の味方は、いないかもしれないな」

 ぼそりと呟かれたその言葉は、妙に遠く響いた。

 私はじっと彼を見つめる。
 目の前の王子は、ただの"王族"ではない。
 "戦う者"として生きると決めた男――。

 その彼が、今、焦燥に呑まれかけている。
 膝の上で置かれた手が、わずかに震えているのが見えた。

 この王都で、誰も信じられず、誰も味方にできず、
 孤独を抱え込んでいる。

 気づけば、私は――

 そっと、その手を握っていた。

「……私は絶対にそばにいます」

 口から、勝手に言葉がこぼれた。
 まるで、私の意志ではないように。

 それは、考えた末に出た言葉ではなかった。
 ただ、王子の背中が寂しげに見えて――
 その孤独を、放っておけなかった。

 しかし、その瞬間。

 王子の瞳が、驚いたように私を映した。

「……!」

 私は、ハッとする。

(なにをやっている、私は)

 彼が "敵" かもしれないのに。
 王子は、アルノー家を襲った者たちの血を引く存在だ。
 王妃の命令に関与していたかもしれない。

 それなのに――

 私は、こんなにも簡単に彼の孤独を憐れんでしまったのか。

「失礼しました」

 思わず、すぐに手を放そうとした。

 だが――

 彼は、私の手を握り返した。
 一瞬、思考が止まる。

(……どうして?)

 手袋越しにに伝わるぬくもりが、何よりも雄弁に彼の感情を物語っていた。
 "この手を離したくない" とでも言うかのように。

 私は、内心で自分を叱咤した。

(なぜ、こんなことで心が揺れる……!? 王子は……敵かもしれないんだぞ!)

 私のやるべきことは何だ?
 アルノー家の生き残りとして、私は――

 私は……。

 けれど、握り返された手の温かさが、思考を混乱させる。
 王子の表情を見て、どうしても、その手を強引に振り払うことができなかった。

 この感情は、何なのだろう。

 敵かもしれないはずの彼の、孤独を埋めたいと感じてしまうのは――。

 私は、どこで間違えた?

 沈黙の中、手を握られたまま、私はただ、王子の瞳を見つめることしかできなかった。
 静かに、だが、確かに。
 温かい手が、私の指に絡む。

 「……しばらくこうしていてくれ」

 「――!」

 今度は、私が驚く番だった。
 彼は、ただ私の手を握ったまま、何も言わなかった。
 けれど、ほんの少しだけ、彼の焦燥が和らいでいるのが分かった。

 夜の静寂の中で、私はただ、彼の手の温もりを感じていた――。
 夜の静寂が、まるで世界を包み込むように流れていた。

 風の音すらなく、ただ、鼓動だけが微かに響く。
 心の奥が、ひどく痛かった。
 彼の手の温もりが、じんわりと伝わる。
 それが、妙に胸の奥を締めつけた。

 私は強く、心の中で言い聞かせる。
 違う。これは、私の復讐のためだ。

 私がここにいる理由は、彼のためではない。
 私の復讐を成し遂げるため。
 彼を王座に導くことが、私の目的なのだから。

 彼が折れれば、すべてが崩れる。
 彼が倒れれば、私の復讐は成り立たなくなる。

 だから――私は彼を守り、導かなければならない。
 それが、この手を握った"理由"だ。

 これはただの計算。
 理に適った判断。

 王子を支えることで、私は自分の目的を果たせる。
 彼の精神が崩れる前に、支えてやらなければならない。

 そう、これは合理的な行動。
 それ以上の意味など、ない――。


 (……そう言い聞かせないと、私は)

 彼の手の温もりが、胸の奥の"何か"を揺らしていた。

 これは本当に、計算の上での行動なのか?
 理に適っているという"理由"がなければ、私はこの手を握ることすらできないのか?

 答えを出すことができないまま――私はただ、静かに彼の手を握り続けていた。





 私は君に頼ってばかりだな。

 自嘲するように呟くと、サーディスは少しだけ目を細めて、
 柔らかく、しかし静かに答えた。

 「私は、シス様の騎士ですから」

 その言葉は、あまりにも自然だった。
 彼女にとって、それは当たり前のことなのだと告げるように。

 だが――

 そうではない。

 ただの"騎士"ならば、主君を励ましたりはしないだろう。
 ただの"騎士"ならば、私の孤独を拭おうと、手を握ったりはしないはずだ。

 サーディスは、何も答えなかった。
 ただ、その手の温もりを、確かに伝えてくる。

「君がいることが当たり前になっていた」

 "味方がいない"などと嘆いた自分が、愚かに思えた。
 それがあまりにも自然すぎて、私は"当たり前のこと"だと錯覚していた。

 だが、それは決して当たり前ではない。
 こうして隣にいることも、戦い続けてくれることも。

 私は、その事実に、今さらながら気付いた。

 そして、静かに呟く。
 「……すまなかったな」

 サーディスは、一瞬だけまばたきをした。

 「……いえ」

 その声は、消えるように小さく。

 彼女は手袋をしている。
 だが、それでも。
 その向こう側にある"温もり"が、確かに伝わってくるような気がした。

 手を握るというのは、ただの接触のはずなのに。
 それ以上のものを感じてしまうのは、なぜだろう。

「行こう」

 しばらくして、私は静かに立ち上がる。
 彼女もまた、ゆっくりと立ち上がった。

 目を伏せながら、一度だけ深く息を吸い――

 そして、静かに頷いた。

 「……はい」

 その一言に、迷いはなかった。
 夜の森の中で私たち二人の影だけが静かに揺れた。


<あとがき>
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