忠誠か復讐か――滅びの貴族令嬢、王子の剣となる

案山子十六号

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狂嵐襲来編

変質

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 じわり、とした感覚。
 皮膚の下で何かが蠢くような気配。

 まるで、骨や筋肉の奥深くで"別の存在"が目覚めようとしているようだった。
 神経を撫でるような、薄気味悪い感触。

 (――またか)

 サーディスは僅かに息を詰め、ゆっくりと袖をめくる。
 そこには、肌に根を張るように"黒い紋様"が広がっていた。

 淡い月明かりの下、それはまるで生きているかのように微かに蠢く。
 静かに波打ち、まるで何かが皮膚の下で胎動しているかのようだった。

 "ズ……"

 瞬間、腕の中を何かが走った。
 血管の奥から這い上がるような、不快な感覚。
 指先に向かって何かが突き進み、それが"別のもの"になろうとしている錯覚。

 (……これは)

 最初に魔剣を抜いたときには、ただの侵食だった。
 だが今は、"侵食"ではない。

 ――"内側から"変わろうとしている。

 左目が疼く。
 眼帯を外してみれば視界の隅で、影のようなものが揺らぐ。
 まるで、眼窩の奥から這い出ようとする何かが、サーディスの視界を歪ませていた。
 その不快感、這い出る何か抑えるように、彼女は眼帯を付け直す。

 "何か"が、サーディスの中にいる。
 "何か"が、そこに確かに存在している。

 ――"シュゥゥ……"

 空気が震えた気がした。

 それが自分の呼吸なのか、別のものの息遣いなのか――サーディスには判別できなかった。

 「……まだ、耐えられる」

 小さく、己に言い聞かせる。
 しかし、その言葉を打ち消すように、頭の奥で声が響いた。

 (本当に、耐えられるのか?)

 その問いかけに、サーディスは無言のまま手を握りしめる。
 指先が震える。

 これは、ただの魔剣の影響ではない。
 これは"変質"だ。

 だが――まだ自分はサーディスでいられる。

 (……今は、まだ)

 月光が照らすその肌には、漆黒の紋様が静かに波打っていた。

 「サーディス?」

 そのとき、不意に王子の声が聞こえた。
 ハッとして、サーディスは袖を素早く戻す。

 「どうした?」

 王子は、鋭い目でこちらを見ている。
 顔に出していたか?

 サーディスは僅かに息を整え、努めて平静を装う。
 何事もないかのように、淡々とした口調で答えた。

 「……やけど跡が疼いただけです」

 王子はしばらく彼女の表情を窺っていた。
 まるでその言葉が"本当かどうか"を見極めるように。
 しかし、やがて彼は軽く息をつくと、静かに言った。

 「無理はするなよ」

 それ以上の追及はなかった。

 サーディスは小さく胸をなでおろす。
 気づかれてはいない。まだ大丈夫だ。

 (……こんなことは、今までなかった)

 魔剣を抜いた直後ならまだしも、何もしていないのに異変が起こる。

 先日の戦闘で、連続して魔剣を抜いた影響なのか?
 それとも、これまでに魔剣を抜いた回数が積み重なったせいなのか?

 どちらにせよ――これは"警告"なのかもしれない。

 (もう、抜かない方がいい)

 そう思いかけた――が。
 サーディスは、ジークリンデとの死闘を思い出す。
 
 (本当に、今後、抜かずに戦えるか?)

 否。

 "抜かなくても済むかもしれない"という甘い考えが、頭をよぎる。
 だが、それを振り払うように、サーディスはわずかに首を振った。

 ――否。

 結局、魔剣を抜かねばならない時は来る。
 そのときになって「抜かないほうがいい」などと甘いことを言っていられるか?

 ならば――

 (私は、魔に侵されても構わない)

 左腕がどうなろうと、左目が何になろうと。
 自分の体がどうなろうと、それは些細なこと。

 復讐さえ遂げられれば、それでいい。
 その結論に至った瞬間。

 ――王子の顔が、脳裏をよぎった。

 (……シス様は、こんな私でも――)

 サーディスは自分の考えに驚いた。
 何を考えている。

 魔に侵されても構わないと言ったはずだ。
 ならば、誰にどう思われようと関係ない。

 しかし。

 (……もし、シス様に見られたら?)

 左腕が変質しても、左目が別のものになっても、王子は"それでも今まで通り接する"だろうか。
 あるいは――恐れ、拒絶するだろうか。

 (いや……)

 サーディスは、自分の考えを嘲る。
 馬鹿か。

 受け入れてもらえると思ったのか?
 魔である己を?
 そんなこと、あるはずがない。

 (シス様のことなど、どうでもいいはずだ)

 これはただの利用関係。
 私が王子を利用しているだけ。
 復讐のために、自由に動ける信頼さえあれば、それでいい。

 そう、何度も何度も、言い聞かせる。

 (シス様は、私が利用しているだけだろう)

 それなのに、心の奥にある微かなざわめきが消えない。

 サーディスはそっと拳を握りしめる。
 左腕の異変はまだ蠢いていたが、彼女はそれを振り払うように、静かに目を閉じた。


<あとがき>
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