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2話
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森を彷徨い始めてから、三日が過ぎた。
二つの月が昇り、沈むのを三度。そのたびに、ここが自分のいた場所ではないという実感が、泥のように重く心に積み重なっていく。
シンは、泥と汗で汚れたワイシャツの袖を捲り、重い脚を引きずって歩いていた。
唯一の食料だったミントタブレットは底を突き、胃は痙攣しそうなほど空っぽだ。
「……はは。商売道具だけ持って、肝心の売り場がないんじゃ世話ないな」
カサついた唇を動かした、その時だった。
風に乗って、鋭い金属のぶつかり合う音と、男たちの怒号が聞こえてきた。
シンは息を殺し、茂みを掻き分ける。
そこには踏み固められた土の道が走り、一台の荷馬車が止まっていた。
馬車の周りには、粗末な革の服を纏い、錆びた斧やナイフを手にした男たちが四人。
対するは、立派な刺繍の入った服を着た、肥満気味の男が一人。
「頼む、命だけは助けてくれ! 金ならいくらでも出す!」
「へへっ、旦那。金を出せば助けるなんて、俺たちがそんなお人好しに見えるかい? あんたを殺して、荷物を全部奪う。それが一番確実なんだよ」
追い詰められた男が地面に伏し、震えている。
逃げるべきか、助けるべきか。
シンは自分の手を見る。震えている。武器になるようなものは、カバンに入った見本品のステンレス包丁だけだ。
だが、このまま森を一人で彷徨えば、いずれ野垂れ死ぬのは目に見えていた。
(……あの男の服、かなり上等だ。言葉も通じる。あいつを助ければ、状況が変わるかもしれない)
シンは深呼吸をし、汚れたネクタイを締め直した。
そして、実演販売のステージに上がる直前のように、顔に穏やかで自信に満ちた微笑を張り付かせる。
「おっと、そこまでのようですね。皆さん」
シンは茂みから悠然と、まるでオフィス街の雑踏を歩くかのような足取りで道に躍り出た。
「……あ? なんだてめえは。変な格好しやがって」
強盗たちが一斉にシンを振り返る。
シンは彼らの刺すような視線を真っ向から受け止め、あえて鼻先で小さく笑ってみせた。
「私は、この周辺の治安維持を任されている者です。君たち、こんな場所で許可なく通行を妨げるのは、著しい規約違反ですよ?」
身分も場所も知らない。だが、シンはさも「背後に巨大な組織がいる」かのような堂々とした態度を貫く。
「ちあいいじ……? なんだそりゃ。おい、こいつ丸腰だぞ。やっちまえ!」
一人の男がナイフを構えて突っ込んでくる。
シンは冷や汗を飲み込み、カバンから包丁を抜き取ると、それを太陽の光にかざした。
「おっと、動かない方がいい。この刃物、君たちの持っている骨董品とは、次元が違うんだ」
シンは傍らにあった、男の腕ほどもある太い枯れ枝を拾い上げ、包丁をスッと滑らせた。
――ストン。
何千回、何万回と繰り返してきた動作。
ステンレス製の包丁は、音もなく枯れ枝を真っ二つに断ち割った。
「なっ……!? なんだその切れ味は……! 魔法の武器か!?」
魔法、という聞き慣れない単語に、シンは内心で眉を寄せたが、顔には不敵な笑みを絶やさない。
「……おや、気づきましたか。そう、これは極秘の製法で作られた特別な刃です。君たちの首なんて、バターを塗るより簡単に切り落とせますよ。……試してみたい人は?」
シンは一歩前へ踏み出し、包丁の刃先を男たちの喉元へ向ける。
「ヒッ……! お、おい、こいつヤバいぞ! 本当に魔法の剣だ!」
男たちは、シンの手にある「包丁」の異常な性能と、それを平然と扱う得体の知れない格好の男に気圧されたらしい。
四人は蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていった。
「……ふぅ。まあ、嘘も方便って言いますし」
シンは膝の震えを隠すように、馬車の下で震えている男に手を差し伸べた。
「お怪我はありませんか、旦那様」
「あ、ああ……。助かった、本当に助かった! 貴殿は一体……?」
「私は、ただの旅の者です。……ところで旦那様。私は現在、少々食糧難でしてね。命を救ったお礼に、何か食べ物と、この先の街までの同乗をお願いしたいのですが」
男は、シンが手にした包丁を恐る恐る見つめ、何度も頷いた。
「もちろんだ! あんな魔法のような剣を持つお方が護衛になってくれるなら、これほど心強いことはない!」
初めての対人商談。
シンはこの未知の世界での、最初の一歩を踏み出した。
二つの月が昇り、沈むのを三度。そのたびに、ここが自分のいた場所ではないという実感が、泥のように重く心に積み重なっていく。
シンは、泥と汗で汚れたワイシャツの袖を捲り、重い脚を引きずって歩いていた。
唯一の食料だったミントタブレットは底を突き、胃は痙攣しそうなほど空っぽだ。
「……はは。商売道具だけ持って、肝心の売り場がないんじゃ世話ないな」
カサついた唇を動かした、その時だった。
風に乗って、鋭い金属のぶつかり合う音と、男たちの怒号が聞こえてきた。
シンは息を殺し、茂みを掻き分ける。
そこには踏み固められた土の道が走り、一台の荷馬車が止まっていた。
馬車の周りには、粗末な革の服を纏い、錆びた斧やナイフを手にした男たちが四人。
対するは、立派な刺繍の入った服を着た、肥満気味の男が一人。
「頼む、命だけは助けてくれ! 金ならいくらでも出す!」
「へへっ、旦那。金を出せば助けるなんて、俺たちがそんなお人好しに見えるかい? あんたを殺して、荷物を全部奪う。それが一番確実なんだよ」
追い詰められた男が地面に伏し、震えている。
逃げるべきか、助けるべきか。
シンは自分の手を見る。震えている。武器になるようなものは、カバンに入った見本品のステンレス包丁だけだ。
だが、このまま森を一人で彷徨えば、いずれ野垂れ死ぬのは目に見えていた。
(……あの男の服、かなり上等だ。言葉も通じる。あいつを助ければ、状況が変わるかもしれない)
シンは深呼吸をし、汚れたネクタイを締め直した。
そして、実演販売のステージに上がる直前のように、顔に穏やかで自信に満ちた微笑を張り付かせる。
「おっと、そこまでのようですね。皆さん」
シンは茂みから悠然と、まるでオフィス街の雑踏を歩くかのような足取りで道に躍り出た。
「……あ? なんだてめえは。変な格好しやがって」
強盗たちが一斉にシンを振り返る。
シンは彼らの刺すような視線を真っ向から受け止め、あえて鼻先で小さく笑ってみせた。
「私は、この周辺の治安維持を任されている者です。君たち、こんな場所で許可なく通行を妨げるのは、著しい規約違反ですよ?」
身分も場所も知らない。だが、シンはさも「背後に巨大な組織がいる」かのような堂々とした態度を貫く。
「ちあいいじ……? なんだそりゃ。おい、こいつ丸腰だぞ。やっちまえ!」
一人の男がナイフを構えて突っ込んでくる。
シンは冷や汗を飲み込み、カバンから包丁を抜き取ると、それを太陽の光にかざした。
「おっと、動かない方がいい。この刃物、君たちの持っている骨董品とは、次元が違うんだ」
シンは傍らにあった、男の腕ほどもある太い枯れ枝を拾い上げ、包丁をスッと滑らせた。
――ストン。
何千回、何万回と繰り返してきた動作。
ステンレス製の包丁は、音もなく枯れ枝を真っ二つに断ち割った。
「なっ……!? なんだその切れ味は……! 魔法の武器か!?」
魔法、という聞き慣れない単語に、シンは内心で眉を寄せたが、顔には不敵な笑みを絶やさない。
「……おや、気づきましたか。そう、これは極秘の製法で作られた特別な刃です。君たちの首なんて、バターを塗るより簡単に切り落とせますよ。……試してみたい人は?」
シンは一歩前へ踏み出し、包丁の刃先を男たちの喉元へ向ける。
「ヒッ……! お、おい、こいつヤバいぞ! 本当に魔法の剣だ!」
男たちは、シンの手にある「包丁」の異常な性能と、それを平然と扱う得体の知れない格好の男に気圧されたらしい。
四人は蜘蛛の子を散らすように森の奥へと逃げ去っていった。
「……ふぅ。まあ、嘘も方便って言いますし」
シンは膝の震えを隠すように、馬車の下で震えている男に手を差し伸べた。
「お怪我はありませんか、旦那様」
「あ、ああ……。助かった、本当に助かった! 貴殿は一体……?」
「私は、ただの旅の者です。……ところで旦那様。私は現在、少々食糧難でしてね。命を救ったお礼に、何か食べ物と、この先の街までの同乗をお願いしたいのですが」
男は、シンが手にした包丁を恐る恐る見つめ、何度も頷いた。
「もちろんだ! あんな魔法のような剣を持つお方が護衛になってくれるなら、これほど心強いことはない!」
初めての対人商談。
シンはこの未知の世界での、最初の一歩を踏み出した。
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