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3話
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魔王城の朝は早い。
と言っても、それは俺――経理部長のカナデに限った話だ。
俺は執務室の窓を開け、どんよりとした紫色の雲が広がる魔界の空を仰いだ。
手元には、昨晩レンが「おかわりー!」と騒いでいる間にまとめ上げた、城内スタッフの名簿がある。
「……骸骨兵(スケルトン)、三千体。内、頭蓋骨紛失につき稼働不可、五百。……ゾンビ、八百体。内、腐敗が進みすぎて接客不向き、全滅」
俺はペンを置き、こめかみを押さえた。
人手はいる。だが、まともに「機能」している人材がいない。
このままでは、城の掃除すらままならない。現に、廊下の隅には魔界の埃が、巨大な綿飴のように固まって転がっている。
「よぉ、カナデ! 朝から熱心だな。俺のカッコいい肖像画でも描いてんのか?」
ガラリと勢いよく扉が開き、この城で最も「無駄に元気な人材」が姿を現した。
魔王、レンだ。
こいつは朝からタンクトップ一枚という、魔王の威厳をどこかに置き忘れたような格好で、巨大なダンベル(魔界の黒鉄製)を担いでいる。
「描くわけないだろ。……レン、お前に相談がある。この城、圧倒的に人手が足りない。それも、頭を使うタイプの人手がだ」
「えー? スケルトンとかいっぱいいるじゃん。あいつら、文句も言わずに二十四時間立ってるぜ? 前世のカナデの会社よりホワイトだろ」
「立ってるだけだろうが。俺が欲しいのは、領地経営や流通を管理できる事務方だ。……というか、お前がさっきから担いでいるそれはなんだ」
「これ? 魔王の筋トレ。ほら、魔王って最後は勇者とタイマン張らなきゃいけないだろ? 体が資本なんだよ」
レンはそう言って、自慢の大胸筋をピクピクと動かした。
正直、前世からこいつの体格は良かったが、魔王になってからはさらに磨きがかかっている。
黄金の瞳を輝かせ、爽やかな汗を流す姿は、確かに「顔だけ」は一級品だ。
「……筋トレする暇があるなら、履歴書に目を通せ。今日、近隣の魔物たちを集めて採用面接を行う」
「メンセツ!? うわ、懐かしい響き! 俺、バイトの面接で『特技は元気です!』って言って一回落ちたことあるんだよな」
「だろうな。……とにかく、お前は横に座って威圧感を出してろ。喋るなよ、ボロが出るから」
――数時間後。
魔王城の大広間に、怪しげな魔物たちが集まった。
一組目は、頭が二つあるオークの兄弟。
「俺たち、力自慢だ!」「給料は、新鮮な生肉がいい!」
……即却下だ。食費がかさむ。
二組目は、鏡の中から出てきたという美貌の悪魔。
「私は、魔王様の寵愛さえいただければ、無給でも構いませんわ……」
……レンへの熱視線が怖すぎる。職場の風紀が乱れるので却下だ。
レンはといえば、俺の「喋るな」という命令を忠実に守り、玉座で腕を組んでフンヌッ!と鼻息を荒くしている。
それが魔物たちには「深淵なる魔王の沈黙」に見えるらしく、面接会場には異様な緊張感が漂っていた。
「……次、入りなさい」
俺が疲労混じりに声をかけると、トテトテと頼りない足取りで一匹の魔物が現れた。
それは、眼鏡をかけた小さな蝙蝠――「インテリ・バット」だった。
『あの……私、魔界大学で経済学を専攻しておりまして……。でも、見た目が弱そうだからって、どの軍団にも雇ってもらえなくて……』
小さな羽を震わせながら、蝙蝠が丁寧な言葉遣いで履歴書(木の葉)を差し出してきた。
俺は眼鏡の奥の光を鋭くした。これだ。こういう「ニッチで有能な人材」を待っていた。
「よし、採用。君は今日から経理部の補佐だ。福利厚生は週休二日、三食俺の作る飯付きだ」
『えっ! 本当ですか!? あ、あの、魔王様は……?』
蝙蝠が恐る恐る、玉座のレンを見上げる。
レンは、相変わらず黙って、今度は腹筋に力を込めてプルプルと震えていた。
「魔王様も『歓迎する』と仰っている。……な、レン?」
「…………ぷはっ! 限界! 今の、腹筋の限界突破だったわ!」
レンがいきなり大声を出し、玉座から転げ落ちた。
蝙蝠が「ヒェッ!」と悲鳴を上げて、俺の胸の中に飛び込んでくる。
「おいカナデ! 今の見たか? 俺の腹筋、六つどころか八つに割れてたろ!?」
「……レン。今、面接中だって言ったよな」
俺は、胸の中で震える蝙蝠を優しく(?)掴み、レンを氷のような視線で射抜いた。
「あ、悪い……。つい。で、その小さいやつ、採用したのか? なんか弱そうだけど、大丈夫か?」
レンがひょいと首を傾げて、俺の顔を覗き込む。
その距離、わずか十センチ。
レンの体温と、わずかな汗の匂い。そして、何の裏表もない真っ直ぐな視線。
俺は、無意識に一歩後ろへ下がった。
「……大丈夫だ。こいつは俺の役に立つ。お前と違ってな」
「ひどっ! 俺だって役に立つだろ! ほら、高いところの荷物取ってやるとか、お前が疲れた時に肩車してやるとか!」
「そんなサービス、福利厚生に入ってない。……行くぞ、蝙蝠。名前は……『クロ』でいいな。仕事の内容を教える」
「待てよカナデ! 俺も混ぜろよ! 俺、魔王だけど暇なんだよ!」
バタバタと追いかけてくる魔王を無視して、俺は広間を後にした。
胸元のクロが『あの……魔王様と部長さんは、もしかして……ツガイなんですか?』と小声で聞いてきたが、俺は全力で無視した。
ツガイ? 冗談じゃない。
こいつはただの、筋肉だるまな親友だ。
……だが。
さっき一瞬だけ触れそうになったレンの肩が、思いのほか熱かったことが、なぜか頭の片隅から離れなかった。
「……これも全部、異世界の魔力のせいだ。計算が狂う」
俺は無理やり納得すると、手元の帳簿をバチンと閉じた。
恋の計算式なんて、俺の数式には必要ないのだ。
と言っても、それは俺――経理部長のカナデに限った話だ。
俺は執務室の窓を開け、どんよりとした紫色の雲が広がる魔界の空を仰いだ。
手元には、昨晩レンが「おかわりー!」と騒いでいる間にまとめ上げた、城内スタッフの名簿がある。
「……骸骨兵(スケルトン)、三千体。内、頭蓋骨紛失につき稼働不可、五百。……ゾンビ、八百体。内、腐敗が進みすぎて接客不向き、全滅」
俺はペンを置き、こめかみを押さえた。
人手はいる。だが、まともに「機能」している人材がいない。
このままでは、城の掃除すらままならない。現に、廊下の隅には魔界の埃が、巨大な綿飴のように固まって転がっている。
「よぉ、カナデ! 朝から熱心だな。俺のカッコいい肖像画でも描いてんのか?」
ガラリと勢いよく扉が開き、この城で最も「無駄に元気な人材」が姿を現した。
魔王、レンだ。
こいつは朝からタンクトップ一枚という、魔王の威厳をどこかに置き忘れたような格好で、巨大なダンベル(魔界の黒鉄製)を担いでいる。
「描くわけないだろ。……レン、お前に相談がある。この城、圧倒的に人手が足りない。それも、頭を使うタイプの人手がだ」
「えー? スケルトンとかいっぱいいるじゃん。あいつら、文句も言わずに二十四時間立ってるぜ? 前世のカナデの会社よりホワイトだろ」
「立ってるだけだろうが。俺が欲しいのは、領地経営や流通を管理できる事務方だ。……というか、お前がさっきから担いでいるそれはなんだ」
「これ? 魔王の筋トレ。ほら、魔王って最後は勇者とタイマン張らなきゃいけないだろ? 体が資本なんだよ」
レンはそう言って、自慢の大胸筋をピクピクと動かした。
正直、前世からこいつの体格は良かったが、魔王になってからはさらに磨きがかかっている。
黄金の瞳を輝かせ、爽やかな汗を流す姿は、確かに「顔だけ」は一級品だ。
「……筋トレする暇があるなら、履歴書に目を通せ。今日、近隣の魔物たちを集めて採用面接を行う」
「メンセツ!? うわ、懐かしい響き! 俺、バイトの面接で『特技は元気です!』って言って一回落ちたことあるんだよな」
「だろうな。……とにかく、お前は横に座って威圧感を出してろ。喋るなよ、ボロが出るから」
――数時間後。
魔王城の大広間に、怪しげな魔物たちが集まった。
一組目は、頭が二つあるオークの兄弟。
「俺たち、力自慢だ!」「給料は、新鮮な生肉がいい!」
……即却下だ。食費がかさむ。
二組目は、鏡の中から出てきたという美貌の悪魔。
「私は、魔王様の寵愛さえいただければ、無給でも構いませんわ……」
……レンへの熱視線が怖すぎる。職場の風紀が乱れるので却下だ。
レンはといえば、俺の「喋るな」という命令を忠実に守り、玉座で腕を組んでフンヌッ!と鼻息を荒くしている。
それが魔物たちには「深淵なる魔王の沈黙」に見えるらしく、面接会場には異様な緊張感が漂っていた。
「……次、入りなさい」
俺が疲労混じりに声をかけると、トテトテと頼りない足取りで一匹の魔物が現れた。
それは、眼鏡をかけた小さな蝙蝠――「インテリ・バット」だった。
『あの……私、魔界大学で経済学を専攻しておりまして……。でも、見た目が弱そうだからって、どの軍団にも雇ってもらえなくて……』
小さな羽を震わせながら、蝙蝠が丁寧な言葉遣いで履歴書(木の葉)を差し出してきた。
俺は眼鏡の奥の光を鋭くした。これだ。こういう「ニッチで有能な人材」を待っていた。
「よし、採用。君は今日から経理部の補佐だ。福利厚生は週休二日、三食俺の作る飯付きだ」
『えっ! 本当ですか!? あ、あの、魔王様は……?』
蝙蝠が恐る恐る、玉座のレンを見上げる。
レンは、相変わらず黙って、今度は腹筋に力を込めてプルプルと震えていた。
「魔王様も『歓迎する』と仰っている。……な、レン?」
「…………ぷはっ! 限界! 今の、腹筋の限界突破だったわ!」
レンがいきなり大声を出し、玉座から転げ落ちた。
蝙蝠が「ヒェッ!」と悲鳴を上げて、俺の胸の中に飛び込んでくる。
「おいカナデ! 今の見たか? 俺の腹筋、六つどころか八つに割れてたろ!?」
「……レン。今、面接中だって言ったよな」
俺は、胸の中で震える蝙蝠を優しく(?)掴み、レンを氷のような視線で射抜いた。
「あ、悪い……。つい。で、その小さいやつ、採用したのか? なんか弱そうだけど、大丈夫か?」
レンがひょいと首を傾げて、俺の顔を覗き込む。
その距離、わずか十センチ。
レンの体温と、わずかな汗の匂い。そして、何の裏表もない真っ直ぐな視線。
俺は、無意識に一歩後ろへ下がった。
「……大丈夫だ。こいつは俺の役に立つ。お前と違ってな」
「ひどっ! 俺だって役に立つだろ! ほら、高いところの荷物取ってやるとか、お前が疲れた時に肩車してやるとか!」
「そんなサービス、福利厚生に入ってない。……行くぞ、蝙蝠。名前は……『クロ』でいいな。仕事の内容を教える」
「待てよカナデ! 俺も混ぜろよ! 俺、魔王だけど暇なんだよ!」
バタバタと追いかけてくる魔王を無視して、俺は広間を後にした。
胸元のクロが『あの……魔王様と部長さんは、もしかして……ツガイなんですか?』と小声で聞いてきたが、俺は全力で無視した。
ツガイ? 冗談じゃない。
こいつはただの、筋肉だるまな親友だ。
……だが。
さっき一瞬だけ触れそうになったレンの肩が、思いのほか熱かったことが、なぜか頭の片隅から離れなかった。
「……これも全部、異世界の魔力のせいだ。計算が狂う」
俺は無理やり納得すると、手元の帳簿をバチンと閉じた。
恋の計算式なんて、俺の数式には必要ないのだ。
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