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8話
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魔王城の図書室。
そこは、天井まで届く書架に古ぼけた魔導書がぎっしりと並ぶ、城内でも数少ない「静寂」が保たれた場所だ。
俺――カナデは、ここで一人、魔界の古代文字で書かれた「税制改正履歴」を解読していた。
「……なるほど。三千年前は、生贄の数で納税額が決まっていたのか。非効率すぎる。今の貨幣経済に移行させておいて正解だったな」
パチパチと、手元の算盤(俺の【生活魔法】で強化した計算機)を弾く音だけが響く。
この孤独で生産的な時間が、俺にとっては最大の癒やしだった。……はずなのだが。
「なぁ、カナデ。……おーい、カナデさんやー」
視界の端で、赤い髪がゆらゆらと揺れている。
玉座にいるべき男が、なぜか俺の座る机のすぐ横で、床に寝そべって俺を見上げていた。
「……レン。お前、さっき『魔王軍の演習に行ってくる』って言わなかったか?」
「行ったよ。でも、スケルトン軍団を十秒で全滅させちゃってさ。あいつらバラバラになってもすぐ再生するけど、さすがに百回もバラバラにすると心が折れるらしいぜ」
「魔物にメンタルヘルスを教えるな。……暇なら自分の部屋で寝てろ。俺は忙しいんだ」
「寝るのも飽きた。……なぁ、お前の膝、ちょっと貸してくれよ」
レンが、事も無げに言った。
俺は弾いていた算盤を止め、眼鏡の奥の目を細める。
「……今、なんて言った?」
「ヒザマクラ。前世でさ、飲み過ぎた時とかたまにやったじゃん。カナデの膝って、なんか骨格がしっかりしてるから安定するんだよな」
「やった記憶はないし、今ここは居酒屋じゃない。魔王城の図書室だ。そもそも百九十センチの大男を膝に乗せたら、俺の股関節が粉砕されるだろ」
「大丈夫だって、魔力で体重調整するから! ほら、お願い! 三十分、いや、十分でいいから!」
レンは黄金の瞳を潤ませ、床から俺の膝に手をかけた。
その大型犬のような「待て」ができない仕草に、俺は深い溜息をつく。
こいつは一度言い出したら、俺が首を縦に振るまで永遠に付きまとってくる。その執念を政治に活かせと言いたい。
「……五分だけだ。五分経ったら、強制的に【生活魔法:微弱電撃】で叩き起こすからな」
「やった! 交渉成立!」
レンは嬉しそうに笑うと、俺の太ももにその重厚な頭を乗せた。
――ズシリ、と確かな重みが伝わる。
魔力調整をしたと言っても、やはり鍛えられた肉体の重さは隠しきれない。
「……っ。おい、やっぱり重い。マイナス五千ゴールド」
「……ぐぅ。……すぴー」
「寝るのが早すぎるだろ!」
レンは一瞬で眠りに落ちていた。
規則正しい寝息が、俺の腹部を微かに震わせる。
見下ろすと、普段は傲慢なほどに強いオーラを放つ魔王が、無防備にまつ毛を伏せて眠っている。
この顔だけ見れば、本当にただの「顔の良い親友」なのだが。
「……。……全く、お気楽な奴だ」
俺は毒づきながらも、ペンを動かす手を止めた。
レンの髪は、見た目よりずっと柔らかくて、俺の指先に少しだけ触れる。
図書室の窓から差し込む紫色の月光が、レンの赤い髪を銀色に縁取っていた。
――ふと、胸の奥が騒がしくなる。
静寂の中で、自分の心拍数が昨日より少しだけ速いことに気づいてしまう。
膝から伝わるレンの体温。
俺を信頼しきって眠る、その重み。
これは、ただの「友情」という項目で処理できるデータだろうか。
『あの……部長、お邪魔でしたでしょうか……?』
本棚の陰から、クロが申し訳なさそうに顔を出した。
俺は反射的に、レンの顔を帳簿で隠そうとした。
「……クロか。別に、邪魔ではない。……これは、魔王の健康管理の一環だ」
『……はぁ。健康管理というよりは、公共の場での不適切な接触に見えますが……。あと、魔王様、寝言で「カナデの飯がいい」って言ってますよ』
「……。……クロ、次の予算会議、君の分も資料作成を頼んでいいか?」
『ヒッ! 失礼しました! 何も見てません!』
クロが慌てて飛び去っていく。
俺は再び、静寂に戻った図書室で、自分の膝で眠り続ける男を見つめた。
五分なんて、とうに過ぎている。
だが、俺の手は【微弱電撃】を発動させる代わりに、レンの寝癖のついた髪を、そっと直してしまっていた。
「……計算が合わない。……いや、今は計算ミスとして、繰り越しておくか」
俺は眼鏡を少し持ち上げ、再び古文書に目を落とした。
明日にはまた、いつものように「減給だ!」と叫び合う日常に戻る。
だから、今この数分間だけの「未処理の感情」は、誰にも見つからないように、心の帳簿の裏側に隠しておくことにした。
「……重いんだよ、バカ」
小さな呟きは、レンの幸せそうな寝息にかき消されて、図書室の闇に溶けていった。
そこは、天井まで届く書架に古ぼけた魔導書がぎっしりと並ぶ、城内でも数少ない「静寂」が保たれた場所だ。
俺――カナデは、ここで一人、魔界の古代文字で書かれた「税制改正履歴」を解読していた。
「……なるほど。三千年前は、生贄の数で納税額が決まっていたのか。非効率すぎる。今の貨幣経済に移行させておいて正解だったな」
パチパチと、手元の算盤(俺の【生活魔法】で強化した計算機)を弾く音だけが響く。
この孤独で生産的な時間が、俺にとっては最大の癒やしだった。……はずなのだが。
「なぁ、カナデ。……おーい、カナデさんやー」
視界の端で、赤い髪がゆらゆらと揺れている。
玉座にいるべき男が、なぜか俺の座る机のすぐ横で、床に寝そべって俺を見上げていた。
「……レン。お前、さっき『魔王軍の演習に行ってくる』って言わなかったか?」
「行ったよ。でも、スケルトン軍団を十秒で全滅させちゃってさ。あいつらバラバラになってもすぐ再生するけど、さすがに百回もバラバラにすると心が折れるらしいぜ」
「魔物にメンタルヘルスを教えるな。……暇なら自分の部屋で寝てろ。俺は忙しいんだ」
「寝るのも飽きた。……なぁ、お前の膝、ちょっと貸してくれよ」
レンが、事も無げに言った。
俺は弾いていた算盤を止め、眼鏡の奥の目を細める。
「……今、なんて言った?」
「ヒザマクラ。前世でさ、飲み過ぎた時とかたまにやったじゃん。カナデの膝って、なんか骨格がしっかりしてるから安定するんだよな」
「やった記憶はないし、今ここは居酒屋じゃない。魔王城の図書室だ。そもそも百九十センチの大男を膝に乗せたら、俺の股関節が粉砕されるだろ」
「大丈夫だって、魔力で体重調整するから! ほら、お願い! 三十分、いや、十分でいいから!」
レンは黄金の瞳を潤ませ、床から俺の膝に手をかけた。
その大型犬のような「待て」ができない仕草に、俺は深い溜息をつく。
こいつは一度言い出したら、俺が首を縦に振るまで永遠に付きまとってくる。その執念を政治に活かせと言いたい。
「……五分だけだ。五分経ったら、強制的に【生活魔法:微弱電撃】で叩き起こすからな」
「やった! 交渉成立!」
レンは嬉しそうに笑うと、俺の太ももにその重厚な頭を乗せた。
――ズシリ、と確かな重みが伝わる。
魔力調整をしたと言っても、やはり鍛えられた肉体の重さは隠しきれない。
「……っ。おい、やっぱり重い。マイナス五千ゴールド」
「……ぐぅ。……すぴー」
「寝るのが早すぎるだろ!」
レンは一瞬で眠りに落ちていた。
規則正しい寝息が、俺の腹部を微かに震わせる。
見下ろすと、普段は傲慢なほどに強いオーラを放つ魔王が、無防備にまつ毛を伏せて眠っている。
この顔だけ見れば、本当にただの「顔の良い親友」なのだが。
「……。……全く、お気楽な奴だ」
俺は毒づきながらも、ペンを動かす手を止めた。
レンの髪は、見た目よりずっと柔らかくて、俺の指先に少しだけ触れる。
図書室の窓から差し込む紫色の月光が、レンの赤い髪を銀色に縁取っていた。
――ふと、胸の奥が騒がしくなる。
静寂の中で、自分の心拍数が昨日より少しだけ速いことに気づいてしまう。
膝から伝わるレンの体温。
俺を信頼しきって眠る、その重み。
これは、ただの「友情」という項目で処理できるデータだろうか。
『あの……部長、お邪魔でしたでしょうか……?』
本棚の陰から、クロが申し訳なさそうに顔を出した。
俺は反射的に、レンの顔を帳簿で隠そうとした。
「……クロか。別に、邪魔ではない。……これは、魔王の健康管理の一環だ」
『……はぁ。健康管理というよりは、公共の場での不適切な接触に見えますが……。あと、魔王様、寝言で「カナデの飯がいい」って言ってますよ』
「……。……クロ、次の予算会議、君の分も資料作成を頼んでいいか?」
『ヒッ! 失礼しました! 何も見てません!』
クロが慌てて飛び去っていく。
俺は再び、静寂に戻った図書室で、自分の膝で眠り続ける男を見つめた。
五分なんて、とうに過ぎている。
だが、俺の手は【微弱電撃】を発動させる代わりに、レンの寝癖のついた髪を、そっと直してしまっていた。
「……計算が合わない。……いや、今は計算ミスとして、繰り越しておくか」
俺は眼鏡を少し持ち上げ、再び古文書に目を落とした。
明日にはまた、いつものように「減給だ!」と叫び合う日常に戻る。
だから、今この数分間だけの「未処理の感情」は、誰にも見つからないように、心の帳簿の裏側に隠しておくことにした。
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