身代わり婚相手が「最推し」だった件。~無表情な副社長の過剰な愛が限界オタクの俺には刺激が強すぎます!~

たら昆布

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4話

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 朝の光は、無慈悲なほど透明だった。
 天井まで届く大きな窓から差し込む日光が、寝室の隅々を照らし出す。
 旭は、シルクのシーツの中で、冷え切った指先を擦り合わせた。
 
(……生きている。昨夜、推しの『あーん』を食らった俺の心臓は、まだ動いている。奇跡だ。人類の進化の神秘だ。でも、ここからが本番だ。ボロが出る前に、あの『核爆弾級の荷物』を隠蔽しなきゃならない)
 
 旭は、音を立てずにベッドから這い出した。
 視線の先にあるのは、クローゼットの奥に押し込んだ、もう一つのボストンバッグ。
 中身は、姉の着替えではない。
 『REN』の限定写真集、ライブの銀テープ、そして、非売品のアクリルキーホルダー。
 
 これらは旭にとっての精神安定剤(サプリメント)であり、この過酷な身代わり生活を生き抜くための必須装備だった。
 
「……よし、今のうちに」
 
 ジッパーを引き上げる音が、静かな部屋に微かに響く。
 その時だった。
 
 コンコン、とドアが規則正しく叩かれる。
 
「あゆみさん。起きているか」
 
「ひっ……!」
 
 旭は、反射的にバッグの上に飛び乗った。
 
「は、はい! 起きております、一条様!」
 
 扉が開く。
 現れたのは、磨き上げられた革靴を履き、完璧にノットの整ったネクタイを締めた蓮だ。
 
 朝から完成されている。
 毛先の一本、シャツの皺ひとつに至るまで、黄金比に基づいているかのような美しさ。
 
(……待って。朝からそのビジュアルは、網膜への負荷が強すぎる。せめて低画質モードで来てほしい)
 
「……どうした。その、床でうずくまって」
 
 蓮が、怪訝そうに眉を寄せる。
 旭は、必死にスカートの裾を整え、バッグを背後へ隠した。
 
「あ、いえ! 素晴らしい朝の光に、思わず感謝を捧げていたところでございます!」
 
「……感謝?」
 
「はい。この、窓の、サッシの輝き……。一条様のように、一点の曇りもないな、と」
 
 苦しすぎる言い訳に、旭の背中を冷や汗が伝う。
 蓮はしばし沈黙したが、やがてため息をつき、手に持っていたものを差し出した。
 
 白い湯気を立てる、陶器のカップ。
 そこから漂ってくるのは、目が覚めるような、深く香ばしい豆の匂い。
 
「コーヒーだ。豆は今朝、私が挽いた」
 
「えっ、一条様自ら……?」
 
「私は、朝のルーティンを他人に乱されるのが嫌いでね。……熱いから気をつけろ」
 
 旭は、恭しくカップを受け取った。
 指先に伝わる、確かな熱。
 
(推しの、手挽きコーヒー。……これ、オークションに出したら数百万は下らない代物だ。それを、俺なんかが飲んでいいのか? 胃の粘膜が畏れ多さで溶けるんじゃないか?)
 
 一口、含む。
 苦味の後に広がる、爽やかな酸味。
 
「……美味しい、です」
 
「そうか。……ならいい。ところで」
 
 蓮の視線が、旭の背後に固定される。
 
「その、後ろにあるバッグ。……何か、はみ出していないか?」
 
 旭の心臓が、跳ねた。
 
 慌てて振り返ると、バッグの隙間から、銀色のチェーンが一本、キラリと顔を覗かせている。
 その先にあるのは――『REN』が微笑む、限定のアクリルキーホルダー。
 
(終わった。バレる。この『REN』への熱い情熱が。そうすれば、俺がただの限界オタクだということが、そして男だということも……!)
 
 蓮が、ゆっくりと手を伸ばす。
 
「これ、は……」
 
 旭は、目を瞑った。
 
「待ってください! それは、その、私のお守りなんです!」
 
 蓮の指が、アクリルキーホルダーに触れる。
 
「……モデルの、RENか」
 
 蓮の声が、少しだけ低くなった。
 
「……はい。あの、大ファン、でして……。いつも、元気を、いただいているんです」
 
 旭は、消え入りそうな声で白状した。
 蓮は、そのキーホルダーを指先で弾き、じっと見つめている。
 
(……怒るだろうか。自分の写真を持ち歩いている身代わりなんて、気持ち悪いと思うだろうか)
 
 だが、蓮の口から漏れたのは、意外な言葉だった。
 
「……趣味が悪いな。このモデルは、性格に難があるぞ」
 
「えっ?」
 
「愛想は悪いし、理屈っぽい。……こんなものより、もっと実用的なものを守りにするといい」
 
 蓮はそう言うと、キーホルダーをバッグの中へ押し戻した。
 
「……一条様は、彼(REN)をご存知なのですか?」
 
「……まあ、仕事で少しな。……とにかく。朝食は十五分後だ。遅れないように」
 
 蓮は、どことなく居心地悪そうに背を向け、部屋を出て行った。
 
 バタン、とドアが閉まる。
 
「……ふぅーーーーーっ」
 
 旭は、一気に肺の中の空気を吐き出した。
 
「……助かった。……のか?」
 
 バッグの中の『REN』と、今、部屋を出て行った副社長。
 
 旭は、熱いコーヒーを飲み干し、まだガタガタと震える膝を押さえた。
 
 推しに、推しのグッズを見つかり、推しが自分のことを「性格が悪い」と評した。
 
 情報の供給過多に、旭の脳内CPUは、朝からオーバーヒート寸前だった。
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