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5話
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山の夜は、音もなく体温を奪っていく。
雪原に深く突き立てられた騎士団の天幕は、吹きつける強風に震え、時折低い唸り声を上げた。
焚き火の爆ぜる音だけが、この白い世界で唯一の生命の鼓動のように響いている。
「ひ、ひえぇ……。鼻の頭が、とれちゃいそうです」
フィノは毛布を頭から被り、焚き火のすぐそばで小さく丸まっていた。
体内空間に大量の物資を保持し続けるには、常に一定の魔力を消費する。魔力とはすなわち生命力だ。
燃料が少なくなれば、当然、体温を維持する余裕もなくなる。
フィノの指先は白くかじかみ、吐き出す息はダイヤモンドの粉を撒いたように白く輝いていた。
「フィノ、こっちへ来い」
風を遮るように入り口付近に座っていたウォルターが、低く呼んだ。
彼は甲冑の一部を脱ぎ、厚手の革の服に身を包んでいる。
その肩幅は、フィノが二人分すっぽりと隠れてしまいそうなほどに広い。
「でも、団長さんの邪魔になっちゃいます。私、今はただの『冷たい箱』ですから」
「命令だ。……中身が冷えれば、保存している食糧も傷むだろう」
相変わらず、理屈を並べて目的を隠す人だ。
フィノはおずおずと、膝立ちのままウォルターの隣へと這い寄った。
すると、彼が座っている周辺だけ、まるで春の陽だまりのように空気が揺らいでいることに気づく。
騎士団長ともなれば、無意識のうちに溢れ出す魔力が周囲の気温を底上げしているのだ。
「失礼します……」
フィノが彼の腕の隙間に滑り込むと、ウォルターは無言で自分の大きなマントを広げ、フィノを包み込んだ。
さらにその上から、厚手の羊毛毛布を重ねる。
「――っ、あったかい……」
フィノは思わず吐息を漏らした。
ウォルターの体は、まるで暖炉そのものだった。
背中から伝わる心臓の音。ドク、ドク、と、深く、確かなリズム。
硬い筋肉の感触が、自分のような魔法生物とは違う「人間」の力強さを物語っている。
「……少しはマシか」
「はい、とっても。団長さん、すごく熱いです。火の精霊さんでも飼ってるんですか?」
「そんなものはいない。単に、血の気が多いだけだ」
ウォルターはそっけない。
けれど、フィノの肩を抱く腕の力加減は、驚くほど繊細だった。
大きな掌が、フィノの冷え切った手を包み込む。
ごつごつとした節くれだった指。剣を握り続けてきた証である硬いタコ。
その感触が、不思議とフィノの「空間」を落ち着かせていく。
「あの、団長さん。一つ、お願いがあるんですけど……」
「なんだ」
「もう少しだけ、くっついてもいいですか? 魔力が、すごく吸い込まれていくんです。温かいところから」
「…………」
ウォルターは数秒の沈黙の後、フィノを自分の方へ引き寄せた。
今や、フィノの頭はウォルターの胸元にぴったりと収まっている。
鼻をくすぐるのは、焚き火の煙と、彼特有の清涼なハーブの匂い。
フィノの体内空間に溜まっていた「冷気」が、ウォルターの熱によってゆっくりと中和されていく。
お腹の底に溜まっていた重たい感覚が消え、代わりに柔らかな充足感が広がった。
「……お前は、勇者のところでもこうしていたのか」
不意に、ウォルターが問いかけた。
その声は、焚き火の爆ぜる音に混じって、どこか苦々しく響く。
「えっ? いえ、とんでもないです。エリックさんは『荷物に触れるな』って言ってましたし。夜はいつも、外の馬車の下とか、倉庫の隅で寝てました」
「馬車の下だと?」
「はい。私はミミックの亜種ですから、寝る時は箱の姿になれば平気なんです。でも、一度だけ大雪の日に凍りついちゃって、開かなくなった時は怒られましたけど」
フィノにとっては、それは当たり前の「道具」としての日常だった。
けれど、それを聞いたウォルターの体が一瞬、鉄のように硬直した。
彼の胸の奥から、低く唸るような、地響きに似た吐息が漏れる。
「……二度と、そんな場所で寝るな」
「え?」
「俺の目が届く範囲にいろ。箱だろうが何だろうが、俺の部下を凍らせる趣味はない」
ウォルターの腕に、ぐいと力がこもった。
それは執着というよりも、もっと純粋な、大切なものを守ろうとする騎士の矜持に近いものだった。
フィノは、自分の胸がトクンと跳ねるのを感じた。
美味しいものを食べた時とは違う、もっと甘くて、少しだけ痛いような熱。
「はい……。ウォルターさんの隣、とっても居心地がいいので。ずっとここにいたいです」
素直すぎるフィノの言葉に、ウォルターは顔を背けた。
暗がりの中で、彼の耳が火に炙られたように赤くなっているのを、フィノは見逃さなかった。
しばらくして、カミルが「団長、夜食の差し入れ……って、うわお」と、天幕の入り口で固まった。
ウォルターの腕の中で、毛布にくるまってとろけそうな顔をしているフィノ。
そして、それを見せつけるかのように、ますます深くフィノを抱き寄せ、カミルを鋭い眼光で射抜くウォルター。
「……なんだ。言いたいことがあるなら言え」
「いえいえ!『氷壁』の団長が、まさか移動式暖炉になってるとは思いませんでしたよ。あはは、お熱いことで」
「貴様、明日の先遣隊は二倍の距離を歩かせるぞ」
「ひえっ、ごめんなさい!」
カミルが慌てて逃げ出していく。
その賑やかなやり取りに、フィノは小さく吹き出した。
雪山の夜は、まだ長い。
けれど、フィノはもう寒さを感じていなかった。
ウォルターの腕の中でまどろみながら、フィノは確信する。
自分の「中身」は今、世界で一番贅沢な温かさで満たされているのだと。
「……団長さん」
「……なんだ」
「大好きです。……あ、団長さんのご飯も、マントも、ですよ?」
「……寝ろ。バカを言うな」
ぶっきらぼうな返事。
けれど、フィノの頭を撫でる掌は、いつまでもそこを離れようとはしなかった。
雪原に深く突き立てられた騎士団の天幕は、吹きつける強風に震え、時折低い唸り声を上げた。
焚き火の爆ぜる音だけが、この白い世界で唯一の生命の鼓動のように響いている。
「ひ、ひえぇ……。鼻の頭が、とれちゃいそうです」
フィノは毛布を頭から被り、焚き火のすぐそばで小さく丸まっていた。
体内空間に大量の物資を保持し続けるには、常に一定の魔力を消費する。魔力とはすなわち生命力だ。
燃料が少なくなれば、当然、体温を維持する余裕もなくなる。
フィノの指先は白くかじかみ、吐き出す息はダイヤモンドの粉を撒いたように白く輝いていた。
「フィノ、こっちへ来い」
風を遮るように入り口付近に座っていたウォルターが、低く呼んだ。
彼は甲冑の一部を脱ぎ、厚手の革の服に身を包んでいる。
その肩幅は、フィノが二人分すっぽりと隠れてしまいそうなほどに広い。
「でも、団長さんの邪魔になっちゃいます。私、今はただの『冷たい箱』ですから」
「命令だ。……中身が冷えれば、保存している食糧も傷むだろう」
相変わらず、理屈を並べて目的を隠す人だ。
フィノはおずおずと、膝立ちのままウォルターの隣へと這い寄った。
すると、彼が座っている周辺だけ、まるで春の陽だまりのように空気が揺らいでいることに気づく。
騎士団長ともなれば、無意識のうちに溢れ出す魔力が周囲の気温を底上げしているのだ。
「失礼します……」
フィノが彼の腕の隙間に滑り込むと、ウォルターは無言で自分の大きなマントを広げ、フィノを包み込んだ。
さらにその上から、厚手の羊毛毛布を重ねる。
「――っ、あったかい……」
フィノは思わず吐息を漏らした。
ウォルターの体は、まるで暖炉そのものだった。
背中から伝わる心臓の音。ドク、ドク、と、深く、確かなリズム。
硬い筋肉の感触が、自分のような魔法生物とは違う「人間」の力強さを物語っている。
「……少しはマシか」
「はい、とっても。団長さん、すごく熱いです。火の精霊さんでも飼ってるんですか?」
「そんなものはいない。単に、血の気が多いだけだ」
ウォルターはそっけない。
けれど、フィノの肩を抱く腕の力加減は、驚くほど繊細だった。
大きな掌が、フィノの冷え切った手を包み込む。
ごつごつとした節くれだった指。剣を握り続けてきた証である硬いタコ。
その感触が、不思議とフィノの「空間」を落ち着かせていく。
「あの、団長さん。一つ、お願いがあるんですけど……」
「なんだ」
「もう少しだけ、くっついてもいいですか? 魔力が、すごく吸い込まれていくんです。温かいところから」
「…………」
ウォルターは数秒の沈黙の後、フィノを自分の方へ引き寄せた。
今や、フィノの頭はウォルターの胸元にぴったりと収まっている。
鼻をくすぐるのは、焚き火の煙と、彼特有の清涼なハーブの匂い。
フィノの体内空間に溜まっていた「冷気」が、ウォルターの熱によってゆっくりと中和されていく。
お腹の底に溜まっていた重たい感覚が消え、代わりに柔らかな充足感が広がった。
「……お前は、勇者のところでもこうしていたのか」
不意に、ウォルターが問いかけた。
その声は、焚き火の爆ぜる音に混じって、どこか苦々しく響く。
「えっ? いえ、とんでもないです。エリックさんは『荷物に触れるな』って言ってましたし。夜はいつも、外の馬車の下とか、倉庫の隅で寝てました」
「馬車の下だと?」
「はい。私はミミックの亜種ですから、寝る時は箱の姿になれば平気なんです。でも、一度だけ大雪の日に凍りついちゃって、開かなくなった時は怒られましたけど」
フィノにとっては、それは当たり前の「道具」としての日常だった。
けれど、それを聞いたウォルターの体が一瞬、鉄のように硬直した。
彼の胸の奥から、低く唸るような、地響きに似た吐息が漏れる。
「……二度と、そんな場所で寝るな」
「え?」
「俺の目が届く範囲にいろ。箱だろうが何だろうが、俺の部下を凍らせる趣味はない」
ウォルターの腕に、ぐいと力がこもった。
それは執着というよりも、もっと純粋な、大切なものを守ろうとする騎士の矜持に近いものだった。
フィノは、自分の胸がトクンと跳ねるのを感じた。
美味しいものを食べた時とは違う、もっと甘くて、少しだけ痛いような熱。
「はい……。ウォルターさんの隣、とっても居心地がいいので。ずっとここにいたいです」
素直すぎるフィノの言葉に、ウォルターは顔を背けた。
暗がりの中で、彼の耳が火に炙られたように赤くなっているのを、フィノは見逃さなかった。
しばらくして、カミルが「団長、夜食の差し入れ……って、うわお」と、天幕の入り口で固まった。
ウォルターの腕の中で、毛布にくるまってとろけそうな顔をしているフィノ。
そして、それを見せつけるかのように、ますます深くフィノを抱き寄せ、カミルを鋭い眼光で射抜くウォルター。
「……なんだ。言いたいことがあるなら言え」
「いえいえ!『氷壁』の団長が、まさか移動式暖炉になってるとは思いませんでしたよ。あはは、お熱いことで」
「貴様、明日の先遣隊は二倍の距離を歩かせるぞ」
「ひえっ、ごめんなさい!」
カミルが慌てて逃げ出していく。
その賑やかなやり取りに、フィノは小さく吹き出した。
雪山の夜は、まだ長い。
けれど、フィノはもう寒さを感じていなかった。
ウォルターの腕の中でまどろみながら、フィノは確信する。
自分の「中身」は今、世界で一番贅沢な温かさで満たされているのだと。
「……団長さん」
「……なんだ」
「大好きです。……あ、団長さんのご飯も、マントも、ですよ?」
「……寝ろ。バカを言うな」
ぶっきらぼうな返事。
けれど、フィノの頭を撫でる掌は、いつまでもそこを離れようとはしなかった。
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