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12話
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空の機嫌は、あまりに唐突に損なわれた。
王都外縁の巡回任務中、先ほどまで穏やかに晴れていた空が、瞬く間に鉛色に塗りつぶされた。激しい風が草原をなでつけ、大粒の雨が地面を叩き始める。
「冷たっ……! 団長さん、急に降ってきましたね」
フィノは頭の上に台帳を掲げて雨を避けようとしたが、風が強く、みるみるうちに髪が濡れて重くなっていく。
すぐ隣を歩いていたウォルターは、空を一瞥すると、迷いのない手つきでフィノの細い肩を引き寄せた。
「……あそこに古い建物がある。走れ」
指し示されたのは、丘の上にひっそりと佇む古い教会だった。
二人は雨を突き抜けるように走り、重厚な木の扉を押し開けて中に飛び込んだ。
堂内は、ひんやりとした静寂に包まれていた。
高い天井に、雨音が激しく反響している。ステンドグラスから差し込む光は弱く、埃が舞う空間はどこか神聖で、それでいてひどく孤独だった。
「ひえぇ、一気に降られましたね。団長さん、大丈夫ですか? ずぶ濡れじゃないですか」
「俺はいい。……それよりお前だ。顔色が悪いぞ」
ウォルターは、自分の濡れたマントを無造作に脱ぎ捨てると、フィノの前に膝をついた。
フィノは、魔法生物としての特性上、濡れて体温が奪われると魔力の循環が極端に悪くなる。今も、震えを止めようと肩をすぼめていた。
「……空間から、乾いた布を出せ」
「あ、はい……。ええと、整理棚の三段目に……よいしょ」
フィノが虚空から厚手のタオルを取り出すと、ウォルターはそれを奪うようにして受け取った。
そして、まるで壊れ物を扱うような慎重さで、フィノの頭を包み込み、わしゃわしゃと水分を拭い始める。
「団長さん、自分でできますよ」
「黙っていろ。……お前は自分を『箱』だと思っているから、手入れを怠る。主がやるのが筋だ」
不器用な言葉。
けれど、タオルの上から伝わるウォルターの手の熱が、フィノの冷えた芯をじわりと溶かしていく。
ウォルターはフィノの濡れた前髪を指先で分けると、その灰色の瞳でじっとフィノの顔を見つめた。
「……お腹、空いたか」
「……少しだけ」
フィノが気まずそうに笑うと、ウォルターは小さく溜息を吐いた。
彼はそのまま、近くの礼拝堂の椅子に腰を下ろすと、自分の隣をぽんぽんと叩く。
「……こい。体温を分ける。魔力供給の代わりだ」
フィノは、おずおずと彼の隣に座った。
ウォルターの逞しい腕がフィノの背中に回され、ぐいと引き寄せられる。
分厚い胸板の熱、革の装備の匂い、そして雨の冷たさが混ざり合い、フィノの五感を支配した。
「あったかい……。団長さん、やっぱり暖炉みたいです」
「……やかましい」
ぶっきらぼうな返事だが、フィノを抱き寄せる力は、先ほどよりも少しだけ強くなった気がした。
外の雨音はますます激しくなり、まるで世界に二人きりしかいないような錯覚に陥る。
フィノは、ウォルターの胸元に顔を埋めたまま、トクン、トクンと規則正しく刻まれる音を聞いていた。
「……ねえ、団長さん。心臓の音、聞こえます」
「…………」
「すごく速いですよ? 団長さんも、雨にびっくりしましたか?」
フィノが無垢な瞳で見上げると、ウォルターは顔を背けた。
けれど、フィノの肩に置かれた彼の指先が、微かに震えているのが伝わってきた。
「……お前のせいだ」
「えっ、私のせい? 重かったですか? 中身を整理しなきゃ……」
「そうじゃない。……お前が、あまりにも無防備だからだ」
ウォルターの声は、雨音に消されそうなほど低かった。
彼はそのまま、自由な方の手でフィノの頬を包み込んだ。
親指の腹が、フィノの唇の端を優しくなぞる。
その眼差しには、厳しい騎士団長の仮面の下に隠された、熱を孕んだ「男」の独占欲が、ほんのわずかだけ溢れ出していた。
「……俺の箱なら、もっと大切に扱え。……中身も、外見も、全部俺が守る。分かったか」
「……はい。全部、ウォルターさんに預けます」
フィノが真っ直ぐに答えると、ウォルターは呻くように溜息を吐き、そのままフィノの額に自分の額をこつんと預けた。
重なる鼓動。交じり合う吐息。
あと数センチ顔を寄せれば、触れ合ってしまいそうな距離。
フィノの体内空間は、今やかつてないほどの熱量で満たされ、爆発してしまいそうなほどだった。
……けれど。
「あの……団長さん。一つ、出していいですか?」
「……なんだ。この空気で、何を出すつもりだ」
ウォルターが少しだけ掠れた声で問う。
フィノは、空間からひょいと「小さな紙包み」を取り出した。
「さっきの露店で見つけた、限定のイチゴ大福です。雨が止むまで、一緒に食べませんか?」
「…………」
ウォルターは、フィノの掌に乗った白くて丸い物体を見て、しばし絶句した。
張り詰めていた甘い緊張感が、イチゴの甘い香りと共に、ぷつりと切れる。
「……貴様。……今の流れで、なぜそれを出す」
「だって、美味しいものを食べれば元気が出ますから! あ、団長さんの分は特別にイチゴ二個入りです!」
「…………。……半分、よこせ」
ウォルターは脱力したように笑うと、フィノの差し出した大福を、不器用な手つきで口にした。
甘酸っぱい味が口の中に広がり、先ほどまでの熱っぽさが、穏やかな幸福感へと変わっていく。
雨は、まだ止みそうにない。
けれど、古い教会の中に満ちた温かな空気は、どんな魔法よりも二人を優しく包み込んでいた。
「団長さん、美味しいですか?」
「……ああ。……甘すぎる」
そう言って笑うウォルターの目は、やっぱり優しくて。
フィノの空間には、イチゴ大福の甘さと、彼に抱きしめられた時の熱い鼓動が、大切な思い出として新しく収納された。
王都外縁の巡回任務中、先ほどまで穏やかに晴れていた空が、瞬く間に鉛色に塗りつぶされた。激しい風が草原をなでつけ、大粒の雨が地面を叩き始める。
「冷たっ……! 団長さん、急に降ってきましたね」
フィノは頭の上に台帳を掲げて雨を避けようとしたが、風が強く、みるみるうちに髪が濡れて重くなっていく。
すぐ隣を歩いていたウォルターは、空を一瞥すると、迷いのない手つきでフィノの細い肩を引き寄せた。
「……あそこに古い建物がある。走れ」
指し示されたのは、丘の上にひっそりと佇む古い教会だった。
二人は雨を突き抜けるように走り、重厚な木の扉を押し開けて中に飛び込んだ。
堂内は、ひんやりとした静寂に包まれていた。
高い天井に、雨音が激しく反響している。ステンドグラスから差し込む光は弱く、埃が舞う空間はどこか神聖で、それでいてひどく孤独だった。
「ひえぇ、一気に降られましたね。団長さん、大丈夫ですか? ずぶ濡れじゃないですか」
「俺はいい。……それよりお前だ。顔色が悪いぞ」
ウォルターは、自分の濡れたマントを無造作に脱ぎ捨てると、フィノの前に膝をついた。
フィノは、魔法生物としての特性上、濡れて体温が奪われると魔力の循環が極端に悪くなる。今も、震えを止めようと肩をすぼめていた。
「……空間から、乾いた布を出せ」
「あ、はい……。ええと、整理棚の三段目に……よいしょ」
フィノが虚空から厚手のタオルを取り出すと、ウォルターはそれを奪うようにして受け取った。
そして、まるで壊れ物を扱うような慎重さで、フィノの頭を包み込み、わしゃわしゃと水分を拭い始める。
「団長さん、自分でできますよ」
「黙っていろ。……お前は自分を『箱』だと思っているから、手入れを怠る。主がやるのが筋だ」
不器用な言葉。
けれど、タオルの上から伝わるウォルターの手の熱が、フィノの冷えた芯をじわりと溶かしていく。
ウォルターはフィノの濡れた前髪を指先で分けると、その灰色の瞳でじっとフィノの顔を見つめた。
「……お腹、空いたか」
「……少しだけ」
フィノが気まずそうに笑うと、ウォルターは小さく溜息を吐いた。
彼はそのまま、近くの礼拝堂の椅子に腰を下ろすと、自分の隣をぽんぽんと叩く。
「……こい。体温を分ける。魔力供給の代わりだ」
フィノは、おずおずと彼の隣に座った。
ウォルターの逞しい腕がフィノの背中に回され、ぐいと引き寄せられる。
分厚い胸板の熱、革の装備の匂い、そして雨の冷たさが混ざり合い、フィノの五感を支配した。
「あったかい……。団長さん、やっぱり暖炉みたいです」
「……やかましい」
ぶっきらぼうな返事だが、フィノを抱き寄せる力は、先ほどよりも少しだけ強くなった気がした。
外の雨音はますます激しくなり、まるで世界に二人きりしかいないような錯覚に陥る。
フィノは、ウォルターの胸元に顔を埋めたまま、トクン、トクンと規則正しく刻まれる音を聞いていた。
「……ねえ、団長さん。心臓の音、聞こえます」
「…………」
「すごく速いですよ? 団長さんも、雨にびっくりしましたか?」
フィノが無垢な瞳で見上げると、ウォルターは顔を背けた。
けれど、フィノの肩に置かれた彼の指先が、微かに震えているのが伝わってきた。
「……お前のせいだ」
「えっ、私のせい? 重かったですか? 中身を整理しなきゃ……」
「そうじゃない。……お前が、あまりにも無防備だからだ」
ウォルターの声は、雨音に消されそうなほど低かった。
彼はそのまま、自由な方の手でフィノの頬を包み込んだ。
親指の腹が、フィノの唇の端を優しくなぞる。
その眼差しには、厳しい騎士団長の仮面の下に隠された、熱を孕んだ「男」の独占欲が、ほんのわずかだけ溢れ出していた。
「……俺の箱なら、もっと大切に扱え。……中身も、外見も、全部俺が守る。分かったか」
「……はい。全部、ウォルターさんに預けます」
フィノが真っ直ぐに答えると、ウォルターは呻くように溜息を吐き、そのままフィノの額に自分の額をこつんと預けた。
重なる鼓動。交じり合う吐息。
あと数センチ顔を寄せれば、触れ合ってしまいそうな距離。
フィノの体内空間は、今やかつてないほどの熱量で満たされ、爆発してしまいそうなほどだった。
……けれど。
「あの……団長さん。一つ、出していいですか?」
「……なんだ。この空気で、何を出すつもりだ」
ウォルターが少しだけ掠れた声で問う。
フィノは、空間からひょいと「小さな紙包み」を取り出した。
「さっきの露店で見つけた、限定のイチゴ大福です。雨が止むまで、一緒に食べませんか?」
「…………」
ウォルターは、フィノの掌に乗った白くて丸い物体を見て、しばし絶句した。
張り詰めていた甘い緊張感が、イチゴの甘い香りと共に、ぷつりと切れる。
「……貴様。……今の流れで、なぜそれを出す」
「だって、美味しいものを食べれば元気が出ますから! あ、団長さんの分は特別にイチゴ二個入りです!」
「…………。……半分、よこせ」
ウォルターは脱力したように笑うと、フィノの差し出した大福を、不器用な手つきで口にした。
甘酸っぱい味が口の中に広がり、先ほどまでの熱っぽさが、穏やかな幸福感へと変わっていく。
雨は、まだ止みそうにない。
けれど、古い教会の中に満ちた温かな空気は、どんな魔法よりも二人を優しく包み込んでいた。
「団長さん、美味しいですか?」
「……ああ。……甘すぎる」
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