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23話
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「……坊や。少し見ない間に、ずいぶんと『甘い』男になったわね。その鋭かった剣筋が、まるで砂糖菓子のようにふやけているわよ」
魔王城の訓練場に、凛とした、だがどこか嘲弄を含んだ女性の声が響いた。
声の主は、銀色の甲冑に身を包み、身の丈ほどもある大剣を軽々と肩に担いだ女性――シグリッド。ゼノス様がまだ「幼き魔王」だった頃、その剣術を叩き込んだ伝説の騎士であり、彼の数少ない「師匠」だ。
彼女は、ゼノス様の隣で所在なげに立っていた僕の存在を認めると、不敵な笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「あら、これが噂の『魔王を骨抜きにした人間』? ……確かに、いい匂いがするわね。魔族にはない、蕩けるような甘い魔力。……ちょっと味見させてもらってもいいかしら?」
シグリッドが僕の顎を指先で持ち上げようとした瞬間、凄まじい衝撃波が訓練場を駆け抜けた。
「……シグリッド。貴様でも許さんと言ったはずだ。俺のエルヴィンに指一本でも触れてみろ。その首を今すぐ城門に吊るしてやる」
ゼノス様が、僕を背後に隠すようにしてシグリッドの前に立ちはだかった。
二人の間に火花が散る。だが、シグリッドは全く動じる様子もなく、ケラケラと笑いながらゼノス様の肩をパンパンと叩いた。
「相変わらずねぇ、坊や。昔、私が稽古で泣かせていた頃が懐かしいわ。……あの時はもっと可愛げがあったのに」
「昔の話だ。……それに、馴れ馴れしく触るな」
ゼノス様は不機嫌そうに彼女の手を振り払うが、二人の間に流れる空気は、どこか親密な「戦友」のそれだった。
僕が今まで見てきた、誰も寄せ付けない孤高の魔王とは違う。信頼している相手に向ける、少しだけ砕けた態度。
……その光景を見た瞬間、僕の胸の奥が、氷を飲み込んだように冷たくなった。
自分でも驚くほどの、ドロドロとした暗い感情。
(……何これ。面白くない。全然、面白くない)
「エルヴィン? どうした、顔色が悪いぞ。……まさか、シグリッドの威圧感に当てられたか?」
心配そうに覗き込んでくるゼノス様の顔を見て、僕は思わず、彼の差し出した手をパシッと跳ね除けてしまった。
「……別に。何でもありません。仲が良くて羨ましいですね」
「……は?」
ゼノス様が呆然と固まる。
僕は自分でも制御できないイライラに任せて、そのまま訓練場を後にした。
「あ、エルヴィン! どこへ行く! 待て!」
背後でゼノス様が叫んでいるが、僕は無視して早歩きで自分の部屋へ戻った。
部屋に飛び込み、ベッドに顔を埋める。
(バカ、バカ、僕のバカ! なんであんな態度取っちゃったんだよ。……でも、あの人がゼノス様の過去を知ってて、あんなに親しそうにしてるのが、どうしても許せなかったんだ……!)
それが「嫉妬」という醜い感情であることに気づいた時、恥ずかしさで死にそうになった。
……すると、部屋の扉がノックもなしに爆破――ではなく、珍しく静かに開かれた。
「……エルヴィン。怒っているのか?」
ゼノス様が、捨てられた子犬のような顔で部屋に入ってきた。
僕は枕に顔を埋めたまま、籠もった声で答える。
「怒ってません」
「嘘だ。お前は今、俺の手を拒絶した。……シグリッドのことが気に入らないのか? あいつはただの師匠だ。俺にとっては、口うるさい老婆のようなもので――」
「老婆じゃないでしょ! 綺麗で、かっこよくて、ゼノス様を『坊や』なんて呼べるくらい特別な人で……っ」
僕は勢いよく起き上がり、叫んでいた。
「……僕は、あの人が知らないゼノス様の過去も、あの人が知ってるゼノス様の顔も、全部僕だけのものにしたいって思っちゃったんです! ……重いでしょ。キモいですよね。だから放っておいてください!」
一気に捲し立てて、再び枕に沈もうとした僕の肩を、ゼノス様の大きな手がガッシリと掴んだ。
恐る恐る顔を上げると、そこには――。
これまでに見たことがないほど、幸せそうに、歓喜に震え、頬を赤らめた魔王様がいた。
「……エルヴィン。……今、何と言った? 『僕だけのものにしたい』……? ……お前が、俺を、独占したいと言ったのか?」
「え、あ、いや……それは勢いで……」
「――ああ!! ついに、ついにこの日が来たか!!」
ゼノス様は僕を抱きしめると、そのままベッドの上で転げ回った。
「聞いたかカイン! エルヴィンが俺に嫉妬したぞ! 俺を独占したいと言ったんだ! ……ああ、もう死んでもいい。いや死なん! この喜びを供給に変換せねば、魔力炉が爆発する!!」
「魔王様! 落ち着いてください! 喜ぶところじゃないでしょ!」
「喜ぶ以外に何がある! お前の愛が、ようやく俺の独占欲に追いついたのだ! ……エルヴィン、お前という奴は、なんて罪な男だ……。俺をおかしくさせるのも大概にしろ!」
ゼノス様の瞳は、もはや理性の欠片もないほどに熱く、潤んでいた。
彼は僕をベッドに押し倒すと、僕の首筋に何度も、何度も、狂ったように愛の言葉を刻み込んだ。
「……シグリッドなどどうでもいい。俺の過去も未来も、この心も体も、すべてお前のものだ。……だから、もっと俺を独占しろ。俺以外の奴を視界に入れるな。お前の中に、俺以外の感情を残すな……!」
嫉妬が火種となり、ゼノス様の溺愛は臨界点を突破した。
その夜、僕が「もう嫉妬してごめんなさい、許してください」と泣いて謝るまで、魔王様の狂おしいほどの「上書き供給」が止まることはなかった。
(……もう、二度とこの人の前で嫉妬なんて見せない。命がいくつあっても足りないよ……!)
翌朝、腰の感覚が完全に消え失せた僕は、窓から見える訓練場でシグリッドが「陛下、今日は一段と魔力が荒ぶってるわね」と笑っているのを見て、遠い目になるのだった。
魔王城の訓練場に、凛とした、だがどこか嘲弄を含んだ女性の声が響いた。
声の主は、銀色の甲冑に身を包み、身の丈ほどもある大剣を軽々と肩に担いだ女性――シグリッド。ゼノス様がまだ「幼き魔王」だった頃、その剣術を叩き込んだ伝説の騎士であり、彼の数少ない「師匠」だ。
彼女は、ゼノス様の隣で所在なげに立っていた僕の存在を認めると、不敵な笑みを浮かべて歩み寄ってきた。
「あら、これが噂の『魔王を骨抜きにした人間』? ……確かに、いい匂いがするわね。魔族にはない、蕩けるような甘い魔力。……ちょっと味見させてもらってもいいかしら?」
シグリッドが僕の顎を指先で持ち上げようとした瞬間、凄まじい衝撃波が訓練場を駆け抜けた。
「……シグリッド。貴様でも許さんと言ったはずだ。俺のエルヴィンに指一本でも触れてみろ。その首を今すぐ城門に吊るしてやる」
ゼノス様が、僕を背後に隠すようにしてシグリッドの前に立ちはだかった。
二人の間に火花が散る。だが、シグリッドは全く動じる様子もなく、ケラケラと笑いながらゼノス様の肩をパンパンと叩いた。
「相変わらずねぇ、坊や。昔、私が稽古で泣かせていた頃が懐かしいわ。……あの時はもっと可愛げがあったのに」
「昔の話だ。……それに、馴れ馴れしく触るな」
ゼノス様は不機嫌そうに彼女の手を振り払うが、二人の間に流れる空気は、どこか親密な「戦友」のそれだった。
僕が今まで見てきた、誰も寄せ付けない孤高の魔王とは違う。信頼している相手に向ける、少しだけ砕けた態度。
……その光景を見た瞬間、僕の胸の奥が、氷を飲み込んだように冷たくなった。
自分でも驚くほどの、ドロドロとした暗い感情。
(……何これ。面白くない。全然、面白くない)
「エルヴィン? どうした、顔色が悪いぞ。……まさか、シグリッドの威圧感に当てられたか?」
心配そうに覗き込んでくるゼノス様の顔を見て、僕は思わず、彼の差し出した手をパシッと跳ね除けてしまった。
「……別に。何でもありません。仲が良くて羨ましいですね」
「……は?」
ゼノス様が呆然と固まる。
僕は自分でも制御できないイライラに任せて、そのまま訓練場を後にした。
「あ、エルヴィン! どこへ行く! 待て!」
背後でゼノス様が叫んでいるが、僕は無視して早歩きで自分の部屋へ戻った。
部屋に飛び込み、ベッドに顔を埋める。
(バカ、バカ、僕のバカ! なんであんな態度取っちゃったんだよ。……でも、あの人がゼノス様の過去を知ってて、あんなに親しそうにしてるのが、どうしても許せなかったんだ……!)
それが「嫉妬」という醜い感情であることに気づいた時、恥ずかしさで死にそうになった。
……すると、部屋の扉がノックもなしに爆破――ではなく、珍しく静かに開かれた。
「……エルヴィン。怒っているのか?」
ゼノス様が、捨てられた子犬のような顔で部屋に入ってきた。
僕は枕に顔を埋めたまま、籠もった声で答える。
「怒ってません」
「嘘だ。お前は今、俺の手を拒絶した。……シグリッドのことが気に入らないのか? あいつはただの師匠だ。俺にとっては、口うるさい老婆のようなもので――」
「老婆じゃないでしょ! 綺麗で、かっこよくて、ゼノス様を『坊や』なんて呼べるくらい特別な人で……っ」
僕は勢いよく起き上がり、叫んでいた。
「……僕は、あの人が知らないゼノス様の過去も、あの人が知ってるゼノス様の顔も、全部僕だけのものにしたいって思っちゃったんです! ……重いでしょ。キモいですよね。だから放っておいてください!」
一気に捲し立てて、再び枕に沈もうとした僕の肩を、ゼノス様の大きな手がガッシリと掴んだ。
恐る恐る顔を上げると、そこには――。
これまでに見たことがないほど、幸せそうに、歓喜に震え、頬を赤らめた魔王様がいた。
「……エルヴィン。……今、何と言った? 『僕だけのものにしたい』……? ……お前が、俺を、独占したいと言ったのか?」
「え、あ、いや……それは勢いで……」
「――ああ!! ついに、ついにこの日が来たか!!」
ゼノス様は僕を抱きしめると、そのままベッドの上で転げ回った。
「聞いたかカイン! エルヴィンが俺に嫉妬したぞ! 俺を独占したいと言ったんだ! ……ああ、もう死んでもいい。いや死なん! この喜びを供給に変換せねば、魔力炉が爆発する!!」
「魔王様! 落ち着いてください! 喜ぶところじゃないでしょ!」
「喜ぶ以外に何がある! お前の愛が、ようやく俺の独占欲に追いついたのだ! ……エルヴィン、お前という奴は、なんて罪な男だ……。俺をおかしくさせるのも大概にしろ!」
ゼノス様の瞳は、もはや理性の欠片もないほどに熱く、潤んでいた。
彼は僕をベッドに押し倒すと、僕の首筋に何度も、何度も、狂ったように愛の言葉を刻み込んだ。
「……シグリッドなどどうでもいい。俺の過去も未来も、この心も体も、すべてお前のものだ。……だから、もっと俺を独占しろ。俺以外の奴を視界に入れるな。お前の中に、俺以外の感情を残すな……!」
嫉妬が火種となり、ゼノス様の溺愛は臨界点を突破した。
その夜、僕が「もう嫉妬してごめんなさい、許してください」と泣いて謝るまで、魔王様の狂おしいほどの「上書き供給」が止まることはなかった。
(……もう、二度とこの人の前で嫉妬なんて見せない。命がいくつあっても足りないよ……!)
翌朝、腰の感覚が完全に消え失せた僕は、窓から見える訓練場でシグリッドが「陛下、今日は一段と魔力が荒ぶってるわね」と笑っているのを見て、遠い目になるのだった。
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