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9話
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賑やかな目覚めから一区切り。ハルが寝癖のついた髪を直そうとしていると、寝室の扉が三回、正確なリズムでノックされた。
「失礼いたします。ハル様、お目覚めの準備が整いました」
静かだが、深く心地よい低音。
現れたのは、漆黒の髪を後ろに撫で付け、一切の皺もない燕尾服を纏った青年だった。
王宮侍従長、黒豹のジークである。
彼は音もなくハルの前まで進み出ると、流麗な所作で深く頭を下げた。
頭上には艶やかな黒い耳があり、背後では細長くしなやかな尾が、ゆったりとした弧を描いている。
「おはようございます、ハル様。今日から貴方の身の回りのお世話を担当させていただきます、ジークと申します。何なりとお申し付けください」
「あ、おはようございます、ジークさん。よろしくお願いします」
ハルが丁寧に応じると、ジークの細められた双眸が、一瞬だけ鋭く光った。
黒豹の獣人は、夜目が利き、獲物を逃さない「観察眼」に秀でている。
だが今の彼は、ハルの「癒やし香」を鼻腔の奥まで取り込み、その瑞々しい生命力を観察していた。
「……素晴らしい。ハル様、貴方の存在そのものが、この王宮に欠けていた最後のピースのようだ」
ジークは手袋をはめた手で、ハルに差し出すための最高級シルクのガウンを広げた。
この世界において、侍従長という役職は、ただの世話係ではない。主の安全を守り、その威光を演出する「影の支配者」とも呼ばれる重職だ。
「さあ、まずは洗顔を。温度は貴方の肌に最も馴染む三十六度に調整してあります。その後、私が全身のケアをさせていただきます」
「えっ、全身!? あ、いや、顔くらい自分で洗いますよ!」
「いけません。貴方の指先一つ、私の管理下に置かせてください。それが侍従としての悦びなのですから」
ジークはクールな無表情を崩さないが、その鼻の穴が微かに膨らんでいるのをハルは見逃さなかった。
彼はハルを大理石の洗面台へと導き、まるで赤ん坊を扱うような手つきで、温かいタオルをハルの顔に当てた。
「……ふぅ。……良い香りだ」
タオル越しにハルの匂いをおもいっきり吸い込むジーク。
その瞬間、彼の喉の奥から「グルル……」と、野性的な鳴き声が漏れる。
豹の獣人は、獲物を慈しむ際に喉を鳴らす習性があるのだ。
「あ、あの、ジークさん? 大丈夫ですか?」
「……失礼。あまりの尊さに、少々、血圧が上がったようです」
ジークがスッとハンカチで鼻を拭う。
どうやら、ハルの無防備な姿に興奮しすぎて、密かに鼻血を出しそうになったらしい。
しかし、彼はあくまで「完璧な侍従」を装い、次は着替えの準備に取り掛かった。
「本日の衣装は、こちらの『白魔羊のウール』を使用したセットアップを。通気性が良く、貴方の柔らかい肌を傷つけることはありません」
ジークが用意したのは、ハルの可愛らしさを最大限に引き立てる、淡いクリーム色の衣装だった。
彼がハルのボタンを一つずつ留めていくたび、部屋の隅では「俺がやりたかった……」とギルバートとカイルが悔しそうに唸っている。
「……よし、完璧です。ハル様、鏡をご覧ください」
鏡の中にいたのは、社畜時代の面影が消え、まるでどこかの国の王子様のように大切に磨き上げられたハルの姿だった。
「うわぁ、すごい……。俺じゃないみたいです。ジークさん、ありがとうございます」
ハルが感謝を込めてジークの黒い耳を軽く撫でると、ジークの背筋がピンと伸びた。
彼は一切表情を変えないが、長い尻尾が「パシッ!パシッ!」と激しく床を叩き、喜びを隠しきれていない。
「……お気に召して光栄です。では、朝食の席へ。今日はハル様の健康を考えた、特製の『森の恵みプレート』をご用意しております」
ジークはハルのエスコートを開始した。
ライオンの騎士、銀狼の双子、モモンガの魔導師、さらに影に控える隠密。
ハルの周りには、いつのまにか個性豊かなもふもふたちが集結し、彼を全方位から見守る「ハル専属チーム」が出来上がっていた。
ハルは、彼らと共に廊下を歩きながら、ふと思った。
(……なんだか、これから毎日がすごく賑やかになりそうだな)
ハルの異世界愛されライフは、まだ始まったばかり。
けれど、彼を囲む獣人たちの絆は、ハルの香りに導かれるように、静かに、そして熱く深まっていた。
「失礼いたします。ハル様、お目覚めの準備が整いました」
静かだが、深く心地よい低音。
現れたのは、漆黒の髪を後ろに撫で付け、一切の皺もない燕尾服を纏った青年だった。
王宮侍従長、黒豹のジークである。
彼は音もなくハルの前まで進み出ると、流麗な所作で深く頭を下げた。
頭上には艶やかな黒い耳があり、背後では細長くしなやかな尾が、ゆったりとした弧を描いている。
「おはようございます、ハル様。今日から貴方の身の回りのお世話を担当させていただきます、ジークと申します。何なりとお申し付けください」
「あ、おはようございます、ジークさん。よろしくお願いします」
ハルが丁寧に応じると、ジークの細められた双眸が、一瞬だけ鋭く光った。
黒豹の獣人は、夜目が利き、獲物を逃さない「観察眼」に秀でている。
だが今の彼は、ハルの「癒やし香」を鼻腔の奥まで取り込み、その瑞々しい生命力を観察していた。
「……素晴らしい。ハル様、貴方の存在そのものが、この王宮に欠けていた最後のピースのようだ」
ジークは手袋をはめた手で、ハルに差し出すための最高級シルクのガウンを広げた。
この世界において、侍従長という役職は、ただの世話係ではない。主の安全を守り、その威光を演出する「影の支配者」とも呼ばれる重職だ。
「さあ、まずは洗顔を。温度は貴方の肌に最も馴染む三十六度に調整してあります。その後、私が全身のケアをさせていただきます」
「えっ、全身!? あ、いや、顔くらい自分で洗いますよ!」
「いけません。貴方の指先一つ、私の管理下に置かせてください。それが侍従としての悦びなのですから」
ジークはクールな無表情を崩さないが、その鼻の穴が微かに膨らんでいるのをハルは見逃さなかった。
彼はハルを大理石の洗面台へと導き、まるで赤ん坊を扱うような手つきで、温かいタオルをハルの顔に当てた。
「……ふぅ。……良い香りだ」
タオル越しにハルの匂いをおもいっきり吸い込むジーク。
その瞬間、彼の喉の奥から「グルル……」と、野性的な鳴き声が漏れる。
豹の獣人は、獲物を慈しむ際に喉を鳴らす習性があるのだ。
「あ、あの、ジークさん? 大丈夫ですか?」
「……失礼。あまりの尊さに、少々、血圧が上がったようです」
ジークがスッとハンカチで鼻を拭う。
どうやら、ハルの無防備な姿に興奮しすぎて、密かに鼻血を出しそうになったらしい。
しかし、彼はあくまで「完璧な侍従」を装い、次は着替えの準備に取り掛かった。
「本日の衣装は、こちらの『白魔羊のウール』を使用したセットアップを。通気性が良く、貴方の柔らかい肌を傷つけることはありません」
ジークが用意したのは、ハルの可愛らしさを最大限に引き立てる、淡いクリーム色の衣装だった。
彼がハルのボタンを一つずつ留めていくたび、部屋の隅では「俺がやりたかった……」とギルバートとカイルが悔しそうに唸っている。
「……よし、完璧です。ハル様、鏡をご覧ください」
鏡の中にいたのは、社畜時代の面影が消え、まるでどこかの国の王子様のように大切に磨き上げられたハルの姿だった。
「うわぁ、すごい……。俺じゃないみたいです。ジークさん、ありがとうございます」
ハルが感謝を込めてジークの黒い耳を軽く撫でると、ジークの背筋がピンと伸びた。
彼は一切表情を変えないが、長い尻尾が「パシッ!パシッ!」と激しく床を叩き、喜びを隠しきれていない。
「……お気に召して光栄です。では、朝食の席へ。今日はハル様の健康を考えた、特製の『森の恵みプレート』をご用意しております」
ジークはハルのエスコートを開始した。
ライオンの騎士、銀狼の双子、モモンガの魔導師、さらに影に控える隠密。
ハルの周りには、いつのまにか個性豊かなもふもふたちが集結し、彼を全方位から見守る「ハル専属チーム」が出来上がっていた。
ハルは、彼らと共に廊下を歩きながら、ふと思った。
(……なんだか、これから毎日がすごく賑やかになりそうだな)
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けれど、彼を囲む獣人たちの絆は、ハルの香りに導かれるように、静かに、そして熱く深まっていた。
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