10 / 22
10話
しおりを挟む
「……なんだ。この、胸が締め付けられるような『美味そうな』感覚は」
その日の朝、タクミが目覚めるより先に、ガイはベッドの中で呻いていた。
タクミから漂う香りは、昨日までの「野花」からさらに変化を遂げていた。
それは、特定の料理の匂いではない。
あえて例えるなら――「冬の寒い日に、一番好きな人が作ってくれた、世界で一番温かいスープ」のような、理屈を超えて魂が安らぐ香りだった。
「ん……。ガイさん、また朝から唸ってる……」
タクミが寝返りを打ち、無防備にガイの胸元に顔を寄せた。
その瞬間、ガイの全身に雷が走ったような衝撃が走った。
(……アカン。これは、アカンやつだ)
今までなら「白米持ってこい!」と叫んでいたはずの脳内回路が、今は「このままこいつを布団に包んで、一生外に出したくない」という、極めて危険で非生産的な独占欲に塗りつぶされていく。
「タクミ。……お前、今日は一歩も部屋から出るな」
「えぇっ!? また監禁ですか? せっかくルウェリンさんが『新作のティーセットが届いた』って言ってたのに」
「あの眼鏡野郎の名前を出すな! ……いいか、今日の俺は、いつになく理性が空腹なのだ」
ガイはそう言い残すと、逃げるように部屋を飛び出した。
* * *
だが、ガイがいくら隠そうとしても、タクミの「誘惑(飯テロ)」スキルは城壁さえ突き抜ける。
その日の騎士団演習場では、あちこちで騎士たちが虚空を見つめて立ち尽くしていた。
「……なぁ。今日の風に乗ってくる匂い……なんだか、田舎の母ちゃんを思い出すなぁ」
「俺は、初恋の人が焼いてくれたクッキーを思い出した……。なんだろう、胃袋じゃなくて、心がギュッとする匂いだ……」
屈強な男たちが、武器を置いて黄昏れている。
もはや食欲を超えて、精神的な「癒やし」の領域に到達してしまったタクミの香りに、騎士団全体が骨抜きにされていた。
そこへ、我慢できなくなったカシアン副団長が、ガイのもとへ詰め寄った。
「団長! もう限界です! 団員たちが『タクミ君を拝まないと午後からの訓練ができない』と泣きついてきています! さあ、今すぐタクミ君をバルコニーへ!」
「断る。……あいつは今、療養中だ」
「嘘おっしゃい! さっき窓から、元気にストレッチしてる姿が見えましたよ! 団長、独占は禁止です。タクミ君はみんなの『活力(おかず)』なんですから!」
『みんなのおかず』。
その言葉が、ガイの逆鱗に触れた。
「……カシアン。貴様に一つ、教えてやる」
ガイがゆっくりと立ち上がり、愛剣の柄を握る。
その瞳には、魔物を討伐する時以上の、冷徹で、かつ燃え上がるような執念が宿っていた。
「タクミの匂いは……誰のものでもない。ましてや『みんなのおかず』などという、安い扱いは許さん」
「え……? だ、団長? 顔が怖いですよ?」
「あいつの香りは……俺だけの『隠し味』だ。俺だけが知り、俺だけが味わい、俺だけがその温かさに浸る。……他の奴らに嗅がせるなど、一滴たりとも、一嗅ぎたりとも、我慢ならん!!」
「それ、完全に恋じゃないですか!! 食欲の言い訳が苦しすぎますよ!!」
カシアンの正論を無視し、ガイは嵐のような勢いで自室へと引き返した。
部屋の扉を乱暴に開けると、そこには暇を持て余して「牛のロゴ」を刺繍していたタクミがいた。
「わっ、ガイさん!? おかえりなさい……って、どうしたんですか、その形相」
「タクミ!!」
ガイはタクミに詰め寄ると、その華奢な体を、壊れ物を扱うような、けれど決して離さないという強い力で抱きしめた。
「ぐえっ、苦しい……。何ですか、またお腹減ったんですか?」
「……ああ、腹が減って死にそうだ。だが、もうパンも肉もいらん。……お前を、俺の視界の届く場所に、永遠に繋いでおきたい。……これは、何なんだ。何という料理の呪いだ!」
「(……ガイさん、それ、料理関係ないです。……たぶん、世界で一番ありふれた、恋っていう名前の不治の病ですよ)」
タクミは苦笑しながら、ガイの広い背中にそっと手を回した。
漂ってくるのは、タクミ自身の優しい香りと、ガイの焦れたような熱い吐息。
「……じっくりでいいですよ、ガイさん。……俺、逃げませんから」
「……当たり前だ。逃げたら……地の果てまで追って、完食してやる」
「……最後がやっぱり物騒だな!」
二人の距離は、ようやく「お互いしか見ていない」状態へと、一歩だけ進んだ。
しかし、ガイがこの感情を「食欲」ではなく「愛」だと認めるまでには、まだいくつかの、おかしな献立が必要なようだった。
その日の朝、タクミが目覚めるより先に、ガイはベッドの中で呻いていた。
タクミから漂う香りは、昨日までの「野花」からさらに変化を遂げていた。
それは、特定の料理の匂いではない。
あえて例えるなら――「冬の寒い日に、一番好きな人が作ってくれた、世界で一番温かいスープ」のような、理屈を超えて魂が安らぐ香りだった。
「ん……。ガイさん、また朝から唸ってる……」
タクミが寝返りを打ち、無防備にガイの胸元に顔を寄せた。
その瞬間、ガイの全身に雷が走ったような衝撃が走った。
(……アカン。これは、アカンやつだ)
今までなら「白米持ってこい!」と叫んでいたはずの脳内回路が、今は「このままこいつを布団に包んで、一生外に出したくない」という、極めて危険で非生産的な独占欲に塗りつぶされていく。
「タクミ。……お前、今日は一歩も部屋から出るな」
「えぇっ!? また監禁ですか? せっかくルウェリンさんが『新作のティーセットが届いた』って言ってたのに」
「あの眼鏡野郎の名前を出すな! ……いいか、今日の俺は、いつになく理性が空腹なのだ」
ガイはそう言い残すと、逃げるように部屋を飛び出した。
* * *
だが、ガイがいくら隠そうとしても、タクミの「誘惑(飯テロ)」スキルは城壁さえ突き抜ける。
その日の騎士団演習場では、あちこちで騎士たちが虚空を見つめて立ち尽くしていた。
「……なぁ。今日の風に乗ってくる匂い……なんだか、田舎の母ちゃんを思い出すなぁ」
「俺は、初恋の人が焼いてくれたクッキーを思い出した……。なんだろう、胃袋じゃなくて、心がギュッとする匂いだ……」
屈強な男たちが、武器を置いて黄昏れている。
もはや食欲を超えて、精神的な「癒やし」の領域に到達してしまったタクミの香りに、騎士団全体が骨抜きにされていた。
そこへ、我慢できなくなったカシアン副団長が、ガイのもとへ詰め寄った。
「団長! もう限界です! 団員たちが『タクミ君を拝まないと午後からの訓練ができない』と泣きついてきています! さあ、今すぐタクミ君をバルコニーへ!」
「断る。……あいつは今、療養中だ」
「嘘おっしゃい! さっき窓から、元気にストレッチしてる姿が見えましたよ! 団長、独占は禁止です。タクミ君はみんなの『活力(おかず)』なんですから!」
『みんなのおかず』。
その言葉が、ガイの逆鱗に触れた。
「……カシアン。貴様に一つ、教えてやる」
ガイがゆっくりと立ち上がり、愛剣の柄を握る。
その瞳には、魔物を討伐する時以上の、冷徹で、かつ燃え上がるような執念が宿っていた。
「タクミの匂いは……誰のものでもない。ましてや『みんなのおかず』などという、安い扱いは許さん」
「え……? だ、団長? 顔が怖いですよ?」
「あいつの香りは……俺だけの『隠し味』だ。俺だけが知り、俺だけが味わい、俺だけがその温かさに浸る。……他の奴らに嗅がせるなど、一滴たりとも、一嗅ぎたりとも、我慢ならん!!」
「それ、完全に恋じゃないですか!! 食欲の言い訳が苦しすぎますよ!!」
カシアンの正論を無視し、ガイは嵐のような勢いで自室へと引き返した。
部屋の扉を乱暴に開けると、そこには暇を持て余して「牛のロゴ」を刺繍していたタクミがいた。
「わっ、ガイさん!? おかえりなさい……って、どうしたんですか、その形相」
「タクミ!!」
ガイはタクミに詰め寄ると、その華奢な体を、壊れ物を扱うような、けれど決して離さないという強い力で抱きしめた。
「ぐえっ、苦しい……。何ですか、またお腹減ったんですか?」
「……ああ、腹が減って死にそうだ。だが、もうパンも肉もいらん。……お前を、俺の視界の届く場所に、永遠に繋いでおきたい。……これは、何なんだ。何という料理の呪いだ!」
「(……ガイさん、それ、料理関係ないです。……たぶん、世界で一番ありふれた、恋っていう名前の不治の病ですよ)」
タクミは苦笑しながら、ガイの広い背中にそっと手を回した。
漂ってくるのは、タクミ自身の優しい香りと、ガイの焦れたような熱い吐息。
「……じっくりでいいですよ、ガイさん。……俺、逃げませんから」
「……当たり前だ。逃げたら……地の果てまで追って、完食してやる」
「……最後がやっぱり物騒だな!」
二人の距離は、ようやく「お互いしか見ていない」状態へと、一歩だけ進んだ。
しかし、ガイがこの感情を「食欲」ではなく「愛」だと認めるまでには、まだいくつかの、おかしな献立が必要なようだった。
11
あなたにおすすめの小説
番に見つからない街で、子供を育てている
はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。
異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。
現世の記憶は失われているが、
この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。
街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、
ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。
だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。
再会は望まない。
今はただ、この子との生活を守りたい。
これは、番から逃げたオメガが、
選び直すまでの物語。
*本編完結しました
聖女召喚の巻き添えで喚ばれた「オマケ」の男子高校生ですが、魔王様の「抱き枕」として重宝されています
八百屋 成美
BL
聖女召喚に巻き込まれて異世界に来た主人公。聖女は優遇されるが、魔力のない主人公は城から追い出され、魔の森へ捨てられる。
そこで出会ったのは、強大な魔力ゆえに不眠症に悩む魔王。なぜか主人公の「匂い」や「体温」だけが魔王を安眠させることができると判明し、魔王城で「生きた抱き枕」として飼われることになる。
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
推しのために自分磨きしていたら、いつの間にか婚約者!
木月月
BL
異世界転生したモブが、前世の推し(アプリゲームの攻略対象者)の幼馴染な側近候補に同担拒否されたので、ファンとして自分磨きしたら推しの婚約者にされる話。
この話は小説家になろうにも投稿しています。
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
とある文官のひとりごと
きりか
BL
貧乏な弱小子爵家出身のノア・マキシム。
アシュリー王国の花形騎士団の文官として、日々頑張っているが、学生の頃からやたらと絡んでくるイケメン部隊長であるアベル・エメを大の苦手というか、天敵認定をしていた。しかし、ある日、父の借金が判明して…。
基本コメディで、少しだけシリアス?
エチシーンところか、チュッどまりで申し訳ございません(土下座)
ムーンライト様でも公開しております。
悪役令息の兄って需要ありますか?
焦げたせんべい
BL
今をときめく悪役による逆転劇、ザマァやらエトセトラ。
その悪役に歳の離れた兄がいても、気が強くなければ豆電球すら光らない。
これは物語の終盤にチラッと出てくる、折衷案を出す兄の話である。
ボロ雑巾な伯爵夫人、やっと『家族』を手に入れました。~旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます2~
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリアは、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていたところ、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
12、3歳ほどに見える彼らとひょんな事から共同生活を始めた彼女は、人々の優しさに触れて少しずつ自身の居場所を確立していく。
====
●本作は「ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。」からの続き作品です。
前作では、二人との出会い~同居を描いています。
順番に読んでくださる方は、目次下にリンクを張っておりますので、そちらからお入りください。
※アプリで閲覧くださっている方は、タイトルで検索いただけますと表示されます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる