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6話
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深夜の離宮。
本来であれば、静寂が支配し、古びた洋館の軋む音だけが聞こえるはずの時間帯だ。
しかし今、昴が手塩にかけて磨き上げた一階のリビングは、煮えたぎるような魔力と、鋭利な殺気、そして隠しきれない独占欲によって、息が詰まるほどの緊張感に包まれていた。
「……それで? シオン、貴様はいつまでそこに座っているつもりだ」
低く、重厚な声。
ソファの主のようにどっしりと腰を下ろしたアルフレートが、目の前の少年に向けて氷のような視線を送る。
その隣では、ヴィンセントが細い指先で片眼鏡を弄びながら、これ以上ないほど不快そうな笑みを浮かべていた。
「本当だね。王子の身分で、夜中に他人の家のバルコニーから不法侵入なんて……。行儀が悪いどころか、犯罪(ギルティ)じゃないかな?」
二人の圧力を正面から受けていながら、シオンは優雅に紅茶を啜り、小首を傾げた。
その首元には、昴が「掃除の邪魔だから」と一時的に外してテーブルに置いた、あの青いサファイアのチョーカーが置かれている。
「ひどいなぁ、二人とも。僕はスバルが心配で見に来ただけだよ。彼、こんな埃っぽい場所に一人で置かれて、寂しくて泣いているんじゃないかと思ってね」
「……あ、あの。俺、全然泣いてないですし、寂しくもないですよ。むしろ掃除する場所がいっぱいあって、やりがいを感じてるくらいで……」
昴がおずおずと口を挟むが、男たちの視線が交差するたびに火花が散り、その声は空しくかき消された。
すると、今まで黙って状況を見守っていたレオンが、豪快に腕を組んで鼻を鳴らす。
「まあ待てよ、お前ら! シオンが来たのはいいとして、なんで俺までこんな夜中に呼び出されたんだ? 『スバルに危険が迫っている』ってヴィンセントの使いが来たから、寝間着のまま走ってきたんだぞ!」
見れば、レオンは確かに隊服を雑に羽織っただけで、胸元が大胆に開いた格好だ。
ヴィンセントはわざとらしく溜息をついた。
「脳筋の騎士団長殿を呼んだのは、万が一シオンが暴れた時に、力ずくで追い出してもらうためだよ。ゴミ掃除はゴミ掃除の専門家に任せようと思ってね」
「誰がゴミ掃除だ、このメガネ魔導師が!!」
「……黙れ。騒がしい。スバルが怯えているだろう」
アルフレートが一喝すると、部屋は一瞬だけ静まり返った。
黄金の瞳が、所在なげに立っている昴を捉える。その視線は、先ほどシオンに向けていたものとは対照的に、熱く、ねっとりとした執着を孕んでいた。
「スバル。シオンが着けたその石は、明日、私が責任を持って破壊させる。代わりに、ベルンハルト家に伝わる『不落の守護石』を君に贈る。……それを肌身離さず着けていれば、誰も君を害することはできない」
「あ、いや、そんな高いものいらないです。重いし……」
「重いのが嫌なら、僕の魔法で羽のように軽くしてあげよう。ついでに、僕以外の人間が君に触れたら、その部位が腐り落ちる呪いもかけてあげようか?」
ヴィンセントが甘い声で提案するが、それは提案という名の脅迫にしか聞こえない。
昴は一歩、また一歩と、自分を囲む四人の男たちから後ずさった。
「あの……皆さん。俺、さっきからずっと言おうと思ってたんですけど」
昴の言葉に、四人が同時に動きを止めた。
「なんですか? スバル。欲しいものがあるなら何でも言ってごらん?」
シオンが天使のような微笑みで促す。
昴は大きく深呼吸をし、手に持っていた新しい雑巾を力いっぱい握りしめた。
「平和な掃除タイムを返してください!!」
「……は?」
四人の顔に、一様に困惑の色が広がる。
「あのですね! 皆さんがここで火花を散らしているせいで、魔力がパチパチして空気が汚れるんですよ! さっき磨いたばかりのテーブルにも、アルフレート様の威圧感で細かいヒビが入ってるし、レオンさんが土足で上がったから床が泥だらけです!」
「……あ。す、すまん」
レオンが慌てて自分の足元を見る。そこには確かに、庭から持ち込んだ泥の足跡が、ピカピカの床を無惨に汚していた。
「ヴィンセント様も、さっきから変な魔導煙草の煙を吐かないでください。カーテンに匂いがついたらどうするんですか! シオン様も、窓から入るなら網戸――はこの世界にないけど、サッシの溝に砂を落とさないでください!」
昴の怒涛の説教に、最強の騎士、最高の魔導師、冷酷な公爵、そして腹黒い王子が、気圧されるように沈黙した。
「もう深夜の一時ですよ? 明日は裏庭の生い茂った雑草を全部抜いて、ついでに倉庫に眠ってるボロボロの家具を修理したいんです。邪魔するなら、全員出入り禁止にしますからね!」
「出入り禁止」という言葉が、彼らにとっては処刑宣告よりも重く響いた。
アルフレートが静かに立ち上がる。
「……すまなかった。スバル、君の眠りを妨げるつもりはなかったのだ。レオン、泥を拭け。ヴィンセント、換気しろ」
「えぇっ!? 俺が拭くのかよ!?」
「当たり前だ。主の部屋を汚したのだからな。……シオン、貴様も帰れ。次に勝手に忍び込めば、国境の警備に飛ばすぞ」
「ちぇっ……。冷たいなぁ。でも、怒った顔のスバルも可愛いから、今日はこれで我慢するよ」
シオンは名残惜しそうに昴の手の甲に軽くキスを落とすと、窓から闇へと消えていった。
レオンは昴に渡された雑巾で、ブツブツ言いながら必死に床を磨き、ヴィンセントは魔法で部屋の空気を浄化していく。
ようやく静かになった離宮。
最後の一人となったアルフレートが、扉を閉める直前、昴を振り返った。
「……スバル。私は、君に嫌われたいわけではない。……おやすみ」
その声は、驚くほど優しく、そして震えていた。
扉が閉まり、昴は「はぁ……」と深いため息をついて、ベッドに倒れ込んだ。
「掃除の方が、一億倍楽だ……」
だが、昴は気づいていなかった。
自分に厳しく説教をされ、雑用を押し付けられたにもかかわらず、男たちの瞳には、恐怖ではなく、より深く、より甘い「愛着」が宿ってしまったことに。
彼らにとって、自分に物怖じせず立ち向かってくる昴は、この世界のどんな宝物よりも眩しく、手に入れたい存在になっていた。
「キュゥ……」
ウルが昴の胸に乗り、よしよしとなぐさめるように鳴く。
昴の異世界サバイバル(兼・清掃生活)は、まだ始まったばかりだ。
本来であれば、静寂が支配し、古びた洋館の軋む音だけが聞こえるはずの時間帯だ。
しかし今、昴が手塩にかけて磨き上げた一階のリビングは、煮えたぎるような魔力と、鋭利な殺気、そして隠しきれない独占欲によって、息が詰まるほどの緊張感に包まれていた。
「……それで? シオン、貴様はいつまでそこに座っているつもりだ」
低く、重厚な声。
ソファの主のようにどっしりと腰を下ろしたアルフレートが、目の前の少年に向けて氷のような視線を送る。
その隣では、ヴィンセントが細い指先で片眼鏡を弄びながら、これ以上ないほど不快そうな笑みを浮かべていた。
「本当だね。王子の身分で、夜中に他人の家のバルコニーから不法侵入なんて……。行儀が悪いどころか、犯罪(ギルティ)じゃないかな?」
二人の圧力を正面から受けていながら、シオンは優雅に紅茶を啜り、小首を傾げた。
その首元には、昴が「掃除の邪魔だから」と一時的に外してテーブルに置いた、あの青いサファイアのチョーカーが置かれている。
「ひどいなぁ、二人とも。僕はスバルが心配で見に来ただけだよ。彼、こんな埃っぽい場所に一人で置かれて、寂しくて泣いているんじゃないかと思ってね」
「……あ、あの。俺、全然泣いてないですし、寂しくもないですよ。むしろ掃除する場所がいっぱいあって、やりがいを感じてるくらいで……」
昴がおずおずと口を挟むが、男たちの視線が交差するたびに火花が散り、その声は空しくかき消された。
すると、今まで黙って状況を見守っていたレオンが、豪快に腕を組んで鼻を鳴らす。
「まあ待てよ、お前ら! シオンが来たのはいいとして、なんで俺までこんな夜中に呼び出されたんだ? 『スバルに危険が迫っている』ってヴィンセントの使いが来たから、寝間着のまま走ってきたんだぞ!」
見れば、レオンは確かに隊服を雑に羽織っただけで、胸元が大胆に開いた格好だ。
ヴィンセントはわざとらしく溜息をついた。
「脳筋の騎士団長殿を呼んだのは、万が一シオンが暴れた時に、力ずくで追い出してもらうためだよ。ゴミ掃除はゴミ掃除の専門家に任せようと思ってね」
「誰がゴミ掃除だ、このメガネ魔導師が!!」
「……黙れ。騒がしい。スバルが怯えているだろう」
アルフレートが一喝すると、部屋は一瞬だけ静まり返った。
黄金の瞳が、所在なげに立っている昴を捉える。その視線は、先ほどシオンに向けていたものとは対照的に、熱く、ねっとりとした執着を孕んでいた。
「スバル。シオンが着けたその石は、明日、私が責任を持って破壊させる。代わりに、ベルンハルト家に伝わる『不落の守護石』を君に贈る。……それを肌身離さず着けていれば、誰も君を害することはできない」
「あ、いや、そんな高いものいらないです。重いし……」
「重いのが嫌なら、僕の魔法で羽のように軽くしてあげよう。ついでに、僕以外の人間が君に触れたら、その部位が腐り落ちる呪いもかけてあげようか?」
ヴィンセントが甘い声で提案するが、それは提案という名の脅迫にしか聞こえない。
昴は一歩、また一歩と、自分を囲む四人の男たちから後ずさった。
「あの……皆さん。俺、さっきからずっと言おうと思ってたんですけど」
昴の言葉に、四人が同時に動きを止めた。
「なんですか? スバル。欲しいものがあるなら何でも言ってごらん?」
シオンが天使のような微笑みで促す。
昴は大きく深呼吸をし、手に持っていた新しい雑巾を力いっぱい握りしめた。
「平和な掃除タイムを返してください!!」
「……は?」
四人の顔に、一様に困惑の色が広がる。
「あのですね! 皆さんがここで火花を散らしているせいで、魔力がパチパチして空気が汚れるんですよ! さっき磨いたばかりのテーブルにも、アルフレート様の威圧感で細かいヒビが入ってるし、レオンさんが土足で上がったから床が泥だらけです!」
「……あ。す、すまん」
レオンが慌てて自分の足元を見る。そこには確かに、庭から持ち込んだ泥の足跡が、ピカピカの床を無惨に汚していた。
「ヴィンセント様も、さっきから変な魔導煙草の煙を吐かないでください。カーテンに匂いがついたらどうするんですか! シオン様も、窓から入るなら網戸――はこの世界にないけど、サッシの溝に砂を落とさないでください!」
昴の怒涛の説教に、最強の騎士、最高の魔導師、冷酷な公爵、そして腹黒い王子が、気圧されるように沈黙した。
「もう深夜の一時ですよ? 明日は裏庭の生い茂った雑草を全部抜いて、ついでに倉庫に眠ってるボロボロの家具を修理したいんです。邪魔するなら、全員出入り禁止にしますからね!」
「出入り禁止」という言葉が、彼らにとっては処刑宣告よりも重く響いた。
アルフレートが静かに立ち上がる。
「……すまなかった。スバル、君の眠りを妨げるつもりはなかったのだ。レオン、泥を拭け。ヴィンセント、換気しろ」
「えぇっ!? 俺が拭くのかよ!?」
「当たり前だ。主の部屋を汚したのだからな。……シオン、貴様も帰れ。次に勝手に忍び込めば、国境の警備に飛ばすぞ」
「ちぇっ……。冷たいなぁ。でも、怒った顔のスバルも可愛いから、今日はこれで我慢するよ」
シオンは名残惜しそうに昴の手の甲に軽くキスを落とすと、窓から闇へと消えていった。
レオンは昴に渡された雑巾で、ブツブツ言いながら必死に床を磨き、ヴィンセントは魔法で部屋の空気を浄化していく。
ようやく静かになった離宮。
最後の一人となったアルフレートが、扉を閉める直前、昴を振り返った。
「……スバル。私は、君に嫌われたいわけではない。……おやすみ」
その声は、驚くほど優しく、そして震えていた。
扉が閉まり、昴は「はぁ……」と深いため息をついて、ベッドに倒れ込んだ。
「掃除の方が、一億倍楽だ……」
だが、昴は気づいていなかった。
自分に厳しく説教をされ、雑用を押し付けられたにもかかわらず、男たちの瞳には、恐怖ではなく、より深く、より甘い「愛着」が宿ってしまったことに。
彼らにとって、自分に物怖じせず立ち向かってくる昴は、この世界のどんな宝物よりも眩しく、手に入れたい存在になっていた。
「キュゥ……」
ウルが昴の胸に乗り、よしよしとなぐさめるように鳴く。
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