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10話
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アルフレートの執務室をピカピカに磨き上げた翌日。
離宮の庭でウルと日向ぼっこをしていた昴(スバル)の前に、凄まじい足音と共に一人の大男が現れた。近衛騎士団長、レオンである。
「スバル! ちょっとツラ貸せ! お前に見せたい場所があるんだ!」
「えっ、ちょ、レオンさん!? 引っ張らないでください、俺は今から裏庭の雑草を……!」
抵抗も虚しく、昴はレオンの強靭な腕にひょいと抱え上げられた。そのまま王宮の裏手に広がる、近衛騎士団専用の訓練所へと連行される。
道中、レオンは「うちの連中、最近たるんでてよ。気合を入れ直してやってくれ!」と鼻息を荒くしていたが、昴は嫌な予感しかしていなかった。
やがて、高い石壁に囲まれた訓練所の正門をくぐった瞬間。
昴は、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。
「……う、嘘だろ……」
そこには、王国の盾と称される精鋭たちが集うはずの「聖域」とは思えない光景が広がっていた。
地面は昨日の雨と激しい足さばきによって、底なしの泥沼と化している。そこら中に壊れた木刀や使い古された防具が放置され、汗と埃が混じり合った独特の異臭が鼻を突く。
さらに最悪なのは、壁際に並べられた休憩用のベンチだ。泥まみれの騎士たちがそのまま座ったせいで、何層にも汚れが積み重なり、もはや元が何色だったのかも分からない。
「どうだスバル! この熱気、この男たちの汗! これぞ騎士の誇り……」
「誇りなわけないだろおおお!!!」
昴の絶叫が訓練場に響き渡った。
あまりの剣幕に、模擬戦をしていた騎士たちが一斉に動きを止める。
「レオンさん! これ、いつから掃除してないんですか!? 泥と汗が放置されて、魔力溜まりと結びついて悪臭を放ってるじゃないですか! こんな場所で訓練してたら、病気になるか、武器が錆びて折れるかのどっちかですよ!」
「えっ……いや、武士の嗜みっていうか、戦場はいつも汚えもんだろ……?」
レオンがたじろぐ中、昴は怒り心頭で一歩前に踏み出した。泥に汚れるのも構わず、放置された防具を一つ拾い上げる。
「戦場が汚いからこそ、日常の整備で武器の機嫌を取るんです! 見てください、この籠手の裏! カビが生えてるじゃないですか! こんなの付けてたら剣筋が鈍ります!」
昴のあまりの正論――というより、プロの清掃員としての「圧」に、並み居る騎士たちが次々と武器を落とし、直立不動になった。
彼らにとって、騎士団長を怒鳴りつける黒髪の少年は、もはや魔王か何かに見えていた。
「レオンさん、今すぐ全員に雑巾とバケツを持たせてください! 訓練は中止、今日は全・員・清・掃です!」
「だ、だがよスバル。今日は陛下への演武の練習が……」
「そんな泥だらけの姿で演武なんて、陛下への不敬罪ですよ! 汚れを落とせない人間に、敵の首を落とせるわけないでしょ!」
昴のその一言が、脳筋を自負するレオンの心にクリティカルヒットした。
「……汚れを落とせない奴に……首は落とせない……。深い。深すぎるぜ、スバル……!」
「いいから早く動いてください!」
こうして、王宮一の精鋭部隊による「泥まみれの特訓」は、急遽「命がけの大掃除」へと変貌した。
昴は昨日完成させた特製洗浄液を、レオンが持ってきた巨大な水樽に惜しみなく投入した。
「いいですか、まずはこの液を撒いて、土砂を浮かせます! レオンさんはその怪力で、あそこの汚いベンチを全部ひっくり返して洗ってください!」
「おう、任せとけ! おりゃあああ!!」
レオンが雄叫びを上げながらベンチを軽々と持ち上げ、水樽に放り込む。
「ヴィンセント様! 見てるなら手伝ってください! その魔法で、水を温めて高圧洗浄機みたいに噴射できませんか!?」
いつの間にか壁の上で観戦していたヴィンセントが、片眼鏡を弄りながら苦笑した。
「やれやれ、宮廷魔導師を掃除屋扱いするなんて、君くらいだよ。……でも、面白そうだから乗ってあげよう」
ヴィンセントが杖を振ると、樽の中の洗浄液が熱を帯び、凄まじい勢いの「水の刃」となって訓練場の壁や床を撃ち抜いていく。
昴の浄化魔力が混ざった洗浄水は、数年分の頑固な汚れを剥ぎ取り、石畳の本来の色を蘇らせていった。
数時間後。
そこには、見違えるほど輝く訓練場があった。
石畳は日光を反射して白く光り、並べられた防具は新品のような光沢を取り戻している。何より、澱んでいた空気が、昴の放つ「浄化の黒」の気配に染まり、驚くほど清々しい。
泥まみれになりながらも、やり遂げた表情の騎士たちが、呆然とその光景を眺めていた。
「……なんだか、体が軽いぞ」
「呼吸がしやすい……。これ、いつもより高く跳べる気がする」
騎士たちが口々に呟く。昴の掃除によって、場所そのものに溜まっていた「負の魔力」が浄化されたのだ。
「スバル……お前、最高だぜ! こんなに気持ちよく剣が振れるのは初めてだ!」
レオンが、汗と水に濡れた髪をかき上げながら、昴の肩を力一杯叩いた。
「あ、痛いですよレオンさん。……でも、これからは毎日やってくださいね。少しでもサボったら、次はここを立ち入り禁止にしますから」
「へいっ、師匠!」
騎士団長以下、数百人の騎士たちが一斉に唱和した。
夕暮れ時。
綺麗になった訓練場の真ん中で、昴は満足そうに腰に手を当てた。
その足元では、いつの間にかレオンに洗われてふわふわになったウルが、誇らしげに「キュゥ!」と鳴いていた。
遠くでその様子を見ていたシオンは、手の中の加護のチョーカーを弄りながら、独り言を漏らした。
「……あんなに大勢を一度に手懐けるなんて。やっぱりスバルは、僕たちが独り占めするには、少し眩しすぎるかもしれないね」
こうして、騎士団の「秘密兵器」は、剣ではなく「洗浄液」であることが証明されたのである。
離宮の庭でウルと日向ぼっこをしていた昴(スバル)の前に、凄まじい足音と共に一人の大男が現れた。近衛騎士団長、レオンである。
「スバル! ちょっとツラ貸せ! お前に見せたい場所があるんだ!」
「えっ、ちょ、レオンさん!? 引っ張らないでください、俺は今から裏庭の雑草を……!」
抵抗も虚しく、昴はレオンの強靭な腕にひょいと抱え上げられた。そのまま王宮の裏手に広がる、近衛騎士団専用の訓練所へと連行される。
道中、レオンは「うちの連中、最近たるんでてよ。気合を入れ直してやってくれ!」と鼻息を荒くしていたが、昴は嫌な予感しかしていなかった。
やがて、高い石壁に囲まれた訓練所の正門をくぐった瞬間。
昴は、その場に縫い付けられたように立ち尽くした。
「……う、嘘だろ……」
そこには、王国の盾と称される精鋭たちが集うはずの「聖域」とは思えない光景が広がっていた。
地面は昨日の雨と激しい足さばきによって、底なしの泥沼と化している。そこら中に壊れた木刀や使い古された防具が放置され、汗と埃が混じり合った独特の異臭が鼻を突く。
さらに最悪なのは、壁際に並べられた休憩用のベンチだ。泥まみれの騎士たちがそのまま座ったせいで、何層にも汚れが積み重なり、もはや元が何色だったのかも分からない。
「どうだスバル! この熱気、この男たちの汗! これぞ騎士の誇り……」
「誇りなわけないだろおおお!!!」
昴の絶叫が訓練場に響き渡った。
あまりの剣幕に、模擬戦をしていた騎士たちが一斉に動きを止める。
「レオンさん! これ、いつから掃除してないんですか!? 泥と汗が放置されて、魔力溜まりと結びついて悪臭を放ってるじゃないですか! こんな場所で訓練してたら、病気になるか、武器が錆びて折れるかのどっちかですよ!」
「えっ……いや、武士の嗜みっていうか、戦場はいつも汚えもんだろ……?」
レオンがたじろぐ中、昴は怒り心頭で一歩前に踏み出した。泥に汚れるのも構わず、放置された防具を一つ拾い上げる。
「戦場が汚いからこそ、日常の整備で武器の機嫌を取るんです! 見てください、この籠手の裏! カビが生えてるじゃないですか! こんなの付けてたら剣筋が鈍ります!」
昴のあまりの正論――というより、プロの清掃員としての「圧」に、並み居る騎士たちが次々と武器を落とし、直立不動になった。
彼らにとって、騎士団長を怒鳴りつける黒髪の少年は、もはや魔王か何かに見えていた。
「レオンさん、今すぐ全員に雑巾とバケツを持たせてください! 訓練は中止、今日は全・員・清・掃です!」
「だ、だがよスバル。今日は陛下への演武の練習が……」
「そんな泥だらけの姿で演武なんて、陛下への不敬罪ですよ! 汚れを落とせない人間に、敵の首を落とせるわけないでしょ!」
昴のその一言が、脳筋を自負するレオンの心にクリティカルヒットした。
「……汚れを落とせない奴に……首は落とせない……。深い。深すぎるぜ、スバル……!」
「いいから早く動いてください!」
こうして、王宮一の精鋭部隊による「泥まみれの特訓」は、急遽「命がけの大掃除」へと変貌した。
昴は昨日完成させた特製洗浄液を、レオンが持ってきた巨大な水樽に惜しみなく投入した。
「いいですか、まずはこの液を撒いて、土砂を浮かせます! レオンさんはその怪力で、あそこの汚いベンチを全部ひっくり返して洗ってください!」
「おう、任せとけ! おりゃあああ!!」
レオンが雄叫びを上げながらベンチを軽々と持ち上げ、水樽に放り込む。
「ヴィンセント様! 見てるなら手伝ってください! その魔法で、水を温めて高圧洗浄機みたいに噴射できませんか!?」
いつの間にか壁の上で観戦していたヴィンセントが、片眼鏡を弄りながら苦笑した。
「やれやれ、宮廷魔導師を掃除屋扱いするなんて、君くらいだよ。……でも、面白そうだから乗ってあげよう」
ヴィンセントが杖を振ると、樽の中の洗浄液が熱を帯び、凄まじい勢いの「水の刃」となって訓練場の壁や床を撃ち抜いていく。
昴の浄化魔力が混ざった洗浄水は、数年分の頑固な汚れを剥ぎ取り、石畳の本来の色を蘇らせていった。
数時間後。
そこには、見違えるほど輝く訓練場があった。
石畳は日光を反射して白く光り、並べられた防具は新品のような光沢を取り戻している。何より、澱んでいた空気が、昴の放つ「浄化の黒」の気配に染まり、驚くほど清々しい。
泥まみれになりながらも、やり遂げた表情の騎士たちが、呆然とその光景を眺めていた。
「……なんだか、体が軽いぞ」
「呼吸がしやすい……。これ、いつもより高く跳べる気がする」
騎士たちが口々に呟く。昴の掃除によって、場所そのものに溜まっていた「負の魔力」が浄化されたのだ。
「スバル……お前、最高だぜ! こんなに気持ちよく剣が振れるのは初めてだ!」
レオンが、汗と水に濡れた髪をかき上げながら、昴の肩を力一杯叩いた。
「あ、痛いですよレオンさん。……でも、これからは毎日やってくださいね。少しでもサボったら、次はここを立ち入り禁止にしますから」
「へいっ、師匠!」
騎士団長以下、数百人の騎士たちが一斉に唱和した。
夕暮れ時。
綺麗になった訓練場の真ん中で、昴は満足そうに腰に手を当てた。
その足元では、いつの間にかレオンに洗われてふわふわになったウルが、誇らしげに「キュゥ!」と鳴いていた。
遠くでその様子を見ていたシオンは、手の中の加護のチョーカーを弄りながら、独り言を漏らした。
「……あんなに大勢を一度に手懐けるなんて。やっぱりスバルは、僕たちが独り占めするには、少し眩しすぎるかもしれないね」
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