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12話
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アルフレートの執務室、レオンの訓練所、そしてヴィンセントの魔塔。
三日間にわたる怒涛の「出張清掃」を終えた昴(スバル)は、心地よい疲労感の中にいた。
「……ふぅ。ようやく、今日は自分の時間が取れそうだな」
離宮の縁側に腰掛け、大きく伸びをする。秋の気配を含んだ風が通り抜け、汗ばんだ肌に心地よい。足元ではウルが「キュゥ」と鳴きながら、どこかへ行こうと昴の裾を熱心に引いている。その様子に誘われ、昴は王宮の敷地のさらに奥、普段は誰も立ち入らない北側の旧庭園へと足を向けた。
そこは、手入れの行き届いた中央庭園とは対照的に、時が止まったような静寂に包まれていた。
生い茂る雑草を掻き分け、古いアーチを潜り抜けた先で、昴は足を止める。
「……これ、泉……なのかな?」
そこには、かつて美しかったであろう広大な円形の泉があった。しかし今では水は完全に枯れ果て、底には何十年分もの腐葉土と泥が堆積し、ひび割れた石造りの彫刻が、無残に泥に埋もれている。
空気は淀み、かつての栄華を感じさせないほどに荒廃していた。
「ウル、ここを綺麗にしたいのか? ……そうだよな。こんなに立派な泉なのに、このままじゃ可哀想だ」
昴のクリーニング魂が、静かに、しかし激しく燃え上がった。
彼は一旦離宮に戻り、自作の洗浄剤をたっぷりと詰め込んだバケツと、長い柄の付いたブラシを持って引き返した。
「よし。まずはこの表面のヘドロを退かさないとな」
昴は躊躇なく、泥の中に足を踏み入れた。
本来、この泉は王都の「魔力の源泉」の一つであり、その詰まりは国全体の魔力循環を滞らせる原因となっていた。だが、そんな国家レベルの事情など、昴には関係ない。ただ目の前の「汚れ」が許せないだけだ。
昴はバケツの洗浄液を泥の上に撒き、無意識に浄化の魔力を込めながらブラシを振るった。
「せーのっ……!」
ブラシが石の表面を撫でるたび、シュワシュワと白い泡が立ち、真っ黒な泥がみるみるうちに分解されていく。
数分前まで茶色く濁っていた泥が、昴の手によって清らかな砂へと変わり、その下から美しい白大理石の底が現れた。
数時間、昴は没頭した。
泥を掻き出し、石壁を磨き、彫刻の隙間に詰まった苔を丁寧に取り除く。
昴の黒髪は汗で額に張り付いていたが、その髪は日光を浴びて、これまで以上に眩しく、透き通った輝きを放っていた。彼が無自覚に放つ膨大な浄化魔力が、掃除という儀式を通じて、泉の底に眠る「核」へと流れ込んでいく。
最後の一拭きを終え、昴が立ち上がったその時。
ゴゴゴ……という、心地よい地鳴りのような音が響いた。
「え、何!? 水の音?」
驚く昴の目の前で、泉の中央にある女神の彫刻の手元から、一条の輝く水が噴き出した。
それは単なる水ではなかった。純白の輝きを放つ、圧倒的な浄化の力を宿した「精霊水」だ。
水は瞬く間に泉を満たし、溢れ出した水は水路を伝って王宮全体へと流れ出していく。
「うわあああ、水が出た! ウル、見てみろよ! めちゃくちゃ綺麗だぞ!」
昴が子供のように喜んで水を跳ね上げていると、背後から複数の足音が近づいてきた。
「……ありえん。伝説の『銀の泉』が、復活したというのか」
最初に現れたのは、アルフレートだった。彼は信じられないものを見るかのように、満々と水を湛えた泉と、その中で泥に汚れながら笑う昴を見つめていた。
続いてヴィンセント、レオン、そしてシオンが、息を切らして駆け込んでくる。
「スバル君、君は一体何をしたんだ……。王都全体の魔力濃度が一気に適正化されたよ。魔塔の観測計が壊れるかと思った」
ヴィンセントが、珍しく興奮を隠せずに声を震わせる。
「おいスバル! お前、ただの掃除で国の守護結界を再起動させちまったのか!?」
レオンが呆然と叫び、シオンは静かに泉に歩み寄ると、その透き通った水に手を浸した。
「……暖かい。スバルの髪と同じ、優しくて清らかな力だね。……ねえスバル。君がただの『掃除好き』だなんて、もう誰も信じないよ」
シオンの言葉に、昴は首を傾げた。
「え? いや、本当にただ掃除しただけですよ。底に泥が詰まってたから、水が出られなかったみたいで。……あ、そうだ。せっかく綺麗になったんだし、ウルと一緒に水遊びしてもいいですよね?」
昴が屈託なく笑うと、四人の支配者たちは顔を見合わせた。
国を救うような偉業を成し遂げておきながら、少年の関心は「綺麗になった水で遊ぶこと」にしかない。
「……ふっ、そうだな。君の好きにするがいい」
アルフレートが静かに歩み寄り、自分の上着を脱ぐと、濡れた昴の肩に優しくかけた。
「この泉は、今日から君の遊び場だ。誰も邪魔はさせない」
「え、いいんですか? やった! あ、でも、ここが俺の専用プールなら、毎朝掃除しに来ないとですね!」
昴が元気に答えると、レオンが我慢できずに笑い出した。
「ガハハ! 毎朝ここに来るってことは、俺たちも毎朝ここに来ればスバルに会えるってことだな! 俺も混ぜろよ!」
「……。レオン、水遊びなら私が相手になろう。スバルはウルと遊ばせてやれ」
アルフレートが珍しく冗談めかして言い、ヴィンセントとシオンも穏やかに頷く。
王宮の片隅、忘れ去られていた裏庭。
そこは今、この国で最も清らかで、そして四人の支配者たちが最も愛する「聖域」へと生まれ変わった。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く水面。水飛沫を上げてはしゃぐ昴とウル。
その平和な光景を見つめる四人の瞳には、最早隠しきれない、しかし穏やかで温かな慈しみが溢れていた。
王宮全体に流れ出した清浄な水は、人々の心を癒やし、乾いた大地に恵みをもたらしていく。
昴の掃除がもたらした奇跡は、王都にこれまでにない穏やかな安らぎの時間を運んできたのであった。
三日間にわたる怒涛の「出張清掃」を終えた昴(スバル)は、心地よい疲労感の中にいた。
「……ふぅ。ようやく、今日は自分の時間が取れそうだな」
離宮の縁側に腰掛け、大きく伸びをする。秋の気配を含んだ風が通り抜け、汗ばんだ肌に心地よい。足元ではウルが「キュゥ」と鳴きながら、どこかへ行こうと昴の裾を熱心に引いている。その様子に誘われ、昴は王宮の敷地のさらに奥、普段は誰も立ち入らない北側の旧庭園へと足を向けた。
そこは、手入れの行き届いた中央庭園とは対照的に、時が止まったような静寂に包まれていた。
生い茂る雑草を掻き分け、古いアーチを潜り抜けた先で、昴は足を止める。
「……これ、泉……なのかな?」
そこには、かつて美しかったであろう広大な円形の泉があった。しかし今では水は完全に枯れ果て、底には何十年分もの腐葉土と泥が堆積し、ひび割れた石造りの彫刻が、無残に泥に埋もれている。
空気は淀み、かつての栄華を感じさせないほどに荒廃していた。
「ウル、ここを綺麗にしたいのか? ……そうだよな。こんなに立派な泉なのに、このままじゃ可哀想だ」
昴のクリーニング魂が、静かに、しかし激しく燃え上がった。
彼は一旦離宮に戻り、自作の洗浄剤をたっぷりと詰め込んだバケツと、長い柄の付いたブラシを持って引き返した。
「よし。まずはこの表面のヘドロを退かさないとな」
昴は躊躇なく、泥の中に足を踏み入れた。
本来、この泉は王都の「魔力の源泉」の一つであり、その詰まりは国全体の魔力循環を滞らせる原因となっていた。だが、そんな国家レベルの事情など、昴には関係ない。ただ目の前の「汚れ」が許せないだけだ。
昴はバケツの洗浄液を泥の上に撒き、無意識に浄化の魔力を込めながらブラシを振るった。
「せーのっ……!」
ブラシが石の表面を撫でるたび、シュワシュワと白い泡が立ち、真っ黒な泥がみるみるうちに分解されていく。
数分前まで茶色く濁っていた泥が、昴の手によって清らかな砂へと変わり、その下から美しい白大理石の底が現れた。
数時間、昴は没頭した。
泥を掻き出し、石壁を磨き、彫刻の隙間に詰まった苔を丁寧に取り除く。
昴の黒髪は汗で額に張り付いていたが、その髪は日光を浴びて、これまで以上に眩しく、透き通った輝きを放っていた。彼が無自覚に放つ膨大な浄化魔力が、掃除という儀式を通じて、泉の底に眠る「核」へと流れ込んでいく。
最後の一拭きを終え、昴が立ち上がったその時。
ゴゴゴ……という、心地よい地鳴りのような音が響いた。
「え、何!? 水の音?」
驚く昴の目の前で、泉の中央にある女神の彫刻の手元から、一条の輝く水が噴き出した。
それは単なる水ではなかった。純白の輝きを放つ、圧倒的な浄化の力を宿した「精霊水」だ。
水は瞬く間に泉を満たし、溢れ出した水は水路を伝って王宮全体へと流れ出していく。
「うわあああ、水が出た! ウル、見てみろよ! めちゃくちゃ綺麗だぞ!」
昴が子供のように喜んで水を跳ね上げていると、背後から複数の足音が近づいてきた。
「……ありえん。伝説の『銀の泉』が、復活したというのか」
最初に現れたのは、アルフレートだった。彼は信じられないものを見るかのように、満々と水を湛えた泉と、その中で泥に汚れながら笑う昴を見つめていた。
続いてヴィンセント、レオン、そしてシオンが、息を切らして駆け込んでくる。
「スバル君、君は一体何をしたんだ……。王都全体の魔力濃度が一気に適正化されたよ。魔塔の観測計が壊れるかと思った」
ヴィンセントが、珍しく興奮を隠せずに声を震わせる。
「おいスバル! お前、ただの掃除で国の守護結界を再起動させちまったのか!?」
レオンが呆然と叫び、シオンは静かに泉に歩み寄ると、その透き通った水に手を浸した。
「……暖かい。スバルの髪と同じ、優しくて清らかな力だね。……ねえスバル。君がただの『掃除好き』だなんて、もう誰も信じないよ」
シオンの言葉に、昴は首を傾げた。
「え? いや、本当にただ掃除しただけですよ。底に泥が詰まってたから、水が出られなかったみたいで。……あ、そうだ。せっかく綺麗になったんだし、ウルと一緒に水遊びしてもいいですよね?」
昴が屈託なく笑うと、四人の支配者たちは顔を見合わせた。
国を救うような偉業を成し遂げておきながら、少年の関心は「綺麗になった水で遊ぶこと」にしかない。
「……ふっ、そうだな。君の好きにするがいい」
アルフレートが静かに歩み寄り、自分の上着を脱ぐと、濡れた昴の肩に優しくかけた。
「この泉は、今日から君の遊び場だ。誰も邪魔はさせない」
「え、いいんですか? やった! あ、でも、ここが俺の専用プールなら、毎朝掃除しに来ないとですね!」
昴が元気に答えると、レオンが我慢できずに笑い出した。
「ガハハ! 毎朝ここに来るってことは、俺たちも毎朝ここに来ればスバルに会えるってことだな! 俺も混ぜろよ!」
「……。レオン、水遊びなら私が相手になろう。スバルはウルと遊ばせてやれ」
アルフレートが珍しく冗談めかして言い、ヴィンセントとシオンも穏やかに頷く。
王宮の片隅、忘れ去られていた裏庭。
そこは今、この国で最も清らかで、そして四人の支配者たちが最も愛する「聖域」へと生まれ変わった。
太陽の光を浴びてキラキラと輝く水面。水飛沫を上げてはしゃぐ昴とウル。
その平和な光景を見つめる四人の瞳には、最早隠しきれない、しかし穏やかで温かな慈しみが溢れていた。
王宮全体に流れ出した清浄な水は、人々の心を癒やし、乾いた大地に恵みをもたらしていく。
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