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16話
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銀色に輝く『月光の息吹草』の花が、ついに薬として調合された。
ユアンは料理長バルトの助けを借りて、丁寧にその花弁を煮出し、透明なエメラルド色の雫へと変えた。それは、見るだけでも心が洗われるような、清涼な香りを放っている。
「閣下、できました。……さあ、飲んでください」
アルヴィスの寝室。ユアンは緊張で少し指先を震わせながら、小さな銀の杯を差し出した。
アルヴィスは無言でそれを受け取ると、ユアンの期待に満ちた瞳を真っ直ぐに見つめ、一気にその薬を飲み干した。
「…………」
沈黙が流れる。
数秒後、アルヴィスの全身を淡い銀色の光が包み込んだ。
これまで彼の周囲で陽炎のように揺らめいていた「呪いの熱」が、まるで雪解け水に流されるように、静かに、そして確実に引いていく。
「……あ。閣下、お顔の赤みが……」
ユアンが驚いて声を上げた。
常に微熱を帯びていたアルヴィスの肌が、本来の健康的な白さを取り戻していく。刺すような威圧感のあった魔力の奔流が、穏やかな湖面のように凪いでいた。
「……信じられん。体が、驚くほど軽い。……意識が、これほど鮮明なのは数年ぶりだ」
アルヴィスは自身の大きな手を見つめ、ゆっくりと握りしめた。
熱に浮かされることがなくなったことで、彼の五感はこれまで以上に研ぎ澄まされていた。だが、それは同時に、予想外の「変化」をもたらした。
「閣下! よかった……本当によかった……っ」
ユアンはこらえきれず、アルヴィスの大きな手に自分の手を重ねた。
安堵と喜びに胸を熱くし、心からの笑顔を向ける。
――ドクン。
その瞬間、アルヴィスの脳内に、物理的な衝撃のような「声」が流れ込んできた。
(ああ、よかった。アルヴィス様が苦しくなくなって本当によかった。大好き。ずっとこうして、笑っていてほしい。この大きな手が、温かくて、優しくて、本当に大好き……!)
「…………っ!?」
アルヴィスは弾かれたように、ユアンの手を振り払って後退した。
あまりの勢いに、ユアンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まる。
「か、閣下? やっぱりどこか痛いんですか?」
「ち、違う! そうではない! ただ、今……お前、何か言ったか?」
「えっ? 『よかった』って言いましたけど……」
「そうではなく! もっと、その……『大好き』だの『温かい』だの……」
アルヴィスは真っ赤な顔をして、自身の胸を押さえた。
ユアンは不思議そうに首を傾げる。
「そんなこと、口には出してませんけど……。でも、心の中ではいっぱい思ってました。あはは、伝わっちゃいました?」
冗談めかして笑うユアン。だが、アルヴィスの表情は真剣そのものだった。
彼は恐る恐る、再びユアンの指先に触れてみた。
(あ、また触れてくれた。閣下の手、少し冷たくなって心地いいな。さっきの薬、本当に効いたんだ。嬉しい。格好いいな、やっぱり僕の旦那様は世界一だ……)
「………………っ!」
アルヴィスは今度こそ、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
伝わっている。筒抜けだ。
どうやら『月光の息吹草』には、呪いの熱を浄化する過程で、魔力の回路を極限まで敏感にする副反応があるらしい。
特に、魔力の波長が完全に一致している「番」であるユアンの感情が、触れるたびにダイレクトに流れ込んでくるのだ。
「閣下!? 本当にどうしたんですか、しゃがみ込んだりして。具合が悪いなら、僕の風で……」
「来るな! ……いや、来ないでくれ。……頼むから、今は静かにしていてくれ」
「ええっ、そんな。心配ですよ!」
ユアンは良かれと思って、しゃがみ込むアルヴィスの背中にそっと寄り添い、背中をさすった。
(よしよし。閣下、大丈夫ですよ。僕がついてますからね。大好きですよ。愛しいですよ。一生離れませんよ。早く顔を見せてください、あの格好いいお顔を……)
「うぐっ……、ぐあああああっ!!」
アルヴィスは、これまでに戦場で受けたどんな重傷よりも深い「精神的ダメージ」にのたうち回った。
ユアンの無自覚な、そして純度百パーセントの「愛情」が、怒涛の勢いで心に流れ込んでくる。
あまりの気恥ずかしさと幸福感の濁流に、冷徹な騎士王の理性が今にも決壊しそうだった。
「ユアン……お前、自分があまりに……無防備だという自覚はないのか……っ」
「えっ? 何がですか?」
「……お前が今、何を考えているか、私にすべて聞こえているんだぞ!」
アルヴィスが叫ぶように告げると、ユアンは一瞬、ポカンと口を開けた。
そして数秒後。
「…………へ?」
状況を理解したユアンの顔が、みるみるうちに沸騰したように赤くなっていく。
「えっ……。き、聞こえて……。全部?」
「ああ、全部だ! 『格好いい』だの『世界一』だの……っ、そんなことを平然と思われては、私が正気でいられん!」
二人は、寝室の真ん中で真っ赤な顔をして見つめ合った。
ユアンは慌てて自分の口を両手で塞いだが、心拍数は上がる一方で、想いは止まらない。
(あわわわ、どうしよう! 恥ずかしい! でも、聞こえてるならもう隠せない! 閣下のことが好きです! 大好きです! 耳が赤くなってる閣下も、困ってる閣下も、全部愛おしいです!)
「やめろ……。聞こえていると言っているだろう……っ」
アルヴィスはついに力尽きたように、ユアンの膝の上に頭を預けた。
感情が伝わるということは、相手の愛の深さを疑いようもなく知るということだ。
これまで「お飾り」だの「契約」だのと自分に言い聞かせてきた壁が、音を立てて崩れ去っていく。
「……ユアン」
「は、はい」
「……私もだ」
「えっ?」
アルヴィスは、ユアンの手をしっかりと握りしめた。
今度は、アルヴィスの想いがユアンへと逆流していく。
(愛している。契約など、もうどうでもいい。お前を、誰にも渡したくない。この先、何年経っても、お前の風の中にいたい。……私だけの、ユアン)
言葉よりも鮮明に、情熱的なアルヴィスの想いが心に流れ込み、ユアンの目から大粒の涙が溢れ出した。
「閣下……。僕も、僕もです……!」
二人は、月明かりが差し込む寝室で、初めて互いの「本当の心」に触れ、強く抱き合った。
契約終了まで、残り230日。
お飾りの関係は終わりを告げ、二人は今、言葉を超えた「心」で結ばれる、本物の番(つがい)へと歩み始めた。
ユアンは料理長バルトの助けを借りて、丁寧にその花弁を煮出し、透明なエメラルド色の雫へと変えた。それは、見るだけでも心が洗われるような、清涼な香りを放っている。
「閣下、できました。……さあ、飲んでください」
アルヴィスの寝室。ユアンは緊張で少し指先を震わせながら、小さな銀の杯を差し出した。
アルヴィスは無言でそれを受け取ると、ユアンの期待に満ちた瞳を真っ直ぐに見つめ、一気にその薬を飲み干した。
「…………」
沈黙が流れる。
数秒後、アルヴィスの全身を淡い銀色の光が包み込んだ。
これまで彼の周囲で陽炎のように揺らめいていた「呪いの熱」が、まるで雪解け水に流されるように、静かに、そして確実に引いていく。
「……あ。閣下、お顔の赤みが……」
ユアンが驚いて声を上げた。
常に微熱を帯びていたアルヴィスの肌が、本来の健康的な白さを取り戻していく。刺すような威圧感のあった魔力の奔流が、穏やかな湖面のように凪いでいた。
「……信じられん。体が、驚くほど軽い。……意識が、これほど鮮明なのは数年ぶりだ」
アルヴィスは自身の大きな手を見つめ、ゆっくりと握りしめた。
熱に浮かされることがなくなったことで、彼の五感はこれまで以上に研ぎ澄まされていた。だが、それは同時に、予想外の「変化」をもたらした。
「閣下! よかった……本当によかった……っ」
ユアンはこらえきれず、アルヴィスの大きな手に自分の手を重ねた。
安堵と喜びに胸を熱くし、心からの笑顔を向ける。
――ドクン。
その瞬間、アルヴィスの脳内に、物理的な衝撃のような「声」が流れ込んできた。
(ああ、よかった。アルヴィス様が苦しくなくなって本当によかった。大好き。ずっとこうして、笑っていてほしい。この大きな手が、温かくて、優しくて、本当に大好き……!)
「…………っ!?」
アルヴィスは弾かれたように、ユアンの手を振り払って後退した。
あまりの勢いに、ユアンは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で固まる。
「か、閣下? やっぱりどこか痛いんですか?」
「ち、違う! そうではない! ただ、今……お前、何か言ったか?」
「えっ? 『よかった』って言いましたけど……」
「そうではなく! もっと、その……『大好き』だの『温かい』だの……」
アルヴィスは真っ赤な顔をして、自身の胸を押さえた。
ユアンは不思議そうに首を傾げる。
「そんなこと、口には出してませんけど……。でも、心の中ではいっぱい思ってました。あはは、伝わっちゃいました?」
冗談めかして笑うユアン。だが、アルヴィスの表情は真剣そのものだった。
彼は恐る恐る、再びユアンの指先に触れてみた。
(あ、また触れてくれた。閣下の手、少し冷たくなって心地いいな。さっきの薬、本当に効いたんだ。嬉しい。格好いいな、やっぱり僕の旦那様は世界一だ……)
「………………っ!」
アルヴィスは今度こそ、顔を覆ってしゃがみ込んだ。
伝わっている。筒抜けだ。
どうやら『月光の息吹草』には、呪いの熱を浄化する過程で、魔力の回路を極限まで敏感にする副反応があるらしい。
特に、魔力の波長が完全に一致している「番」であるユアンの感情が、触れるたびにダイレクトに流れ込んでくるのだ。
「閣下!? 本当にどうしたんですか、しゃがみ込んだりして。具合が悪いなら、僕の風で……」
「来るな! ……いや、来ないでくれ。……頼むから、今は静かにしていてくれ」
「ええっ、そんな。心配ですよ!」
ユアンは良かれと思って、しゃがみ込むアルヴィスの背中にそっと寄り添い、背中をさすった。
(よしよし。閣下、大丈夫ですよ。僕がついてますからね。大好きですよ。愛しいですよ。一生離れませんよ。早く顔を見せてください、あの格好いいお顔を……)
「うぐっ……、ぐあああああっ!!」
アルヴィスは、これまでに戦場で受けたどんな重傷よりも深い「精神的ダメージ」にのたうち回った。
ユアンの無自覚な、そして純度百パーセントの「愛情」が、怒涛の勢いで心に流れ込んでくる。
あまりの気恥ずかしさと幸福感の濁流に、冷徹な騎士王の理性が今にも決壊しそうだった。
「ユアン……お前、自分があまりに……無防備だという自覚はないのか……っ」
「えっ? 何がですか?」
「……お前が今、何を考えているか、私にすべて聞こえているんだぞ!」
アルヴィスが叫ぶように告げると、ユアンは一瞬、ポカンと口を開けた。
そして数秒後。
「…………へ?」
状況を理解したユアンの顔が、みるみるうちに沸騰したように赤くなっていく。
「えっ……。き、聞こえて……。全部?」
「ああ、全部だ! 『格好いい』だの『世界一』だの……っ、そんなことを平然と思われては、私が正気でいられん!」
二人は、寝室の真ん中で真っ赤な顔をして見つめ合った。
ユアンは慌てて自分の口を両手で塞いだが、心拍数は上がる一方で、想いは止まらない。
(あわわわ、どうしよう! 恥ずかしい! でも、聞こえてるならもう隠せない! 閣下のことが好きです! 大好きです! 耳が赤くなってる閣下も、困ってる閣下も、全部愛おしいです!)
「やめろ……。聞こえていると言っているだろう……っ」
アルヴィスはついに力尽きたように、ユアンの膝の上に頭を預けた。
感情が伝わるということは、相手の愛の深さを疑いようもなく知るということだ。
これまで「お飾り」だの「契約」だのと自分に言い聞かせてきた壁が、音を立てて崩れ去っていく。
「……ユアン」
「は、はい」
「……私もだ」
「えっ?」
アルヴィスは、ユアンの手をしっかりと握りしめた。
今度は、アルヴィスの想いがユアンへと逆流していく。
(愛している。契約など、もうどうでもいい。お前を、誰にも渡したくない。この先、何年経っても、お前の風の中にいたい。……私だけの、ユアン)
言葉よりも鮮明に、情熱的なアルヴィスの想いが心に流れ込み、ユアンの目から大粒の涙が溢れ出した。
「閣下……。僕も、僕もです……!」
二人は、月明かりが差し込む寝室で、初めて互いの「本当の心」に触れ、強く抱き合った。
契約終了まで、残り230日。
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