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22話
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温かなスープとオムレツで腹を満たし、ユアンが最後の一口のミルクを飲み干すと、隣に座っていたアルヴィスが待ってましたと言わんばかりに立ち上がった。その動作には一糸の乱れもなく、当然のような所作でユアンの椅子の背に手を添えて、エスコートの体勢に入る。
「……さて、ユアン。今日は公務の前に、中庭の様子を見に行くのだろう? 昨日の雪がまだ残っている。足元が危ないから、私が支えよう」
「あ、ありがとうございます、アルヴィス。でも、温室まではすぐそこですし、お仕事が立て込んでいるんじゃ……」
ユアンが遠慮がちに微笑むと、アルヴィスの眉間がわずかに寄った。
「仕事ならリアムが泣きながら片付けている。今の私にとって、妻が雪に足を取られて転ぶのを防ぐこと以上に優先すべき任務など、この世には存在しない」
「……その『泣いているリアム』本人が目の前にいるんですがね」
空になった皿を下げに来た副官リアムが、死んだような目でアルヴィスを見つめたが、騎士王はそれを完全に無視した。
二人は食堂を後にし、ひんやりとした冷気が漂う長い石造りの回廊を歩き出す。
アルヴィスは、ユアンが寒くないよう、自身の厚手のマントを広げてユアンの肩を包み込むように歩調を合わせる。一歩歩くごとに、アルヴィスの高い体温がユアンの脇腹に伝わり、それが昨夜の記憶を呼び起こして、ユアンの頬はいつまでも桃色に染まったままだった。
やがて、中庭へと続く重厚な木製の扉が見えてくる。
アルヴィスが扉の取っ手に手をかけたその時、城門の向こう側から、静寂を切り裂くようなけたたましい怒鳴り声と、車輪が激しく石畳を叩く音が響き渡った。
「なんだ、この騒ぎは」
アルヴィスの声が、一瞬にして戦場の指揮官のような冷徹さを帯びた。
彼は即座にユアンを自分の背後に隠し、扉を力強く押し開ける。
目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。
屋根の上にまで植木鉢や奇妙な魔導具を括り付けた、今にもバラバラに壊れそうな馬車が、城の守備兵たちを蹴散らすような勢いで中庭のど真ん中に突っ込んできたのだ。
「止まれ! 侵入者か!?」
庭に控えていた衛兵たちが槍を構え、馬車を包囲する。
しかし、急ブレーキの音と共に止まった馬車から飛び出してきたのは、金色の髪をボサボサに振り乱し、白衣の裾を泥だらけにした一人の青年だった。
「間に合った! 間に合ったぞ! 伝説の『聖なる緑の指』を持つ者が、この北方の黒い岩塊に嫁いだと聞いて、王都から不眠不休で馬を走らせてきたんだ!」
青年は、衛兵たちが突き出す槍の先などまるで見えていない様子で、手に持ったボロボロのノートを振り回しながら叫んだ。そして、アルヴィスの背後から恐る恐る顔を出したユアンを見つけるなり、獲物を見つけた猛獣のような勢いで駆け寄ってくる。
「君だね!? 君がユアン・ロストック君だね! ああ、なんという澄んだ瞳、そして指先から溢れるこの繊細な魔力の波長……! はじめまして、僕はシリル・ヴィンセント。王立魔導植物研究所の主任教授だ。さあ、今すぐ君の爪の間の土を採取させてくれないか!? 拒否権はないよ、これは人類の進歩のための犠牲なんだ!」
「え、ええっ!? つ、爪の土……?」
ユアンが恐怖に顔を強張らせ、思わずアルヴィスの服の裾をぎゅっと掴んだ。
シリルと名乗った青年が、ユアンの手を無理やり掴もうとさらに身を乗り出した、その瞬間――。
「……死にたいのか、シリル」
地響きのような低い声と共に、空気が一瞬で凍りついた。
アルヴィスが、シリルとユアンの間に割って入り、シリルの胸元を掴んでそのまま地面から軽々と持ち上げた。アルヴィスの全身から立ち上る威圧感は、かつての呪いの熱よりもなお鋭く、凶悪な殺気を孕んでいた。
「あ、アルヴィス! 苦しい、襟が……! 久しぶりだね、親友に向かってなんて野蛮な挨拶だい!? せっかく君の結婚を祝いに来たというのに!」
「親友だと? 貴様のような、植物のことしか頭にない変人といつ親しくなった覚えがある。……よりによって私のユアンに、許可なく触れようとした罪、万死に値するぞ」
「親友……? アルヴィス、お知り合いなんですか?」
ユアンが恐る恐る問いかけると、シリルは吊るし上げられた状態で、メガネを光らせてパッと顔を輝かせた。
「そうだよユアン君! 僕はこいつと士官学校時代に同じ寮だったんだ。こいつが氷のように冷たかった頃から知っている! それより君、今の魔力の揺らぎをもう一度見せて! 驚いたな、主人の怒りに呼応して、背後の雪どけ草がわずかに熱を帯びたぞ! これは新発見だ、愛による魔力共鳴現象、実に、実に興味深い……っ、ぐふっ」
アルヴィスは、これ以上シリルの戯言を聞きたくないと言わんばかりに、彼を近くの雪山へと放り投げた。
「……ユアン、部屋に戻る。あのような狂人と一秒たりとも同じ空気を吸わせるわけにはいかない」
「で、でも、アルヴィス。あの人、王都の教授なんですよね? 放っておくわけには……それに、あの馬車の上にある植木鉢、珍しいお花が植わっていますよ!」
ユアンの言葉に、雪の中から「冷たーい! でもこの雪質も素晴らしい魔力を含んでいるね!」と叫びながら這い出してくるシリルが反応した。
「おや、わかるのかいユアン君! そう、これは王都でも滅多に見られない『幻影のバラ』の苗さ。君の力でどう変化するか、今すぐ実験したくてたまらないんだ!」
「シリル。次、ユアンに三歩以上近づけば、その首を物理的に切り離して研究所へ送り返すぞ」
アルヴィスの過保護ぶりが、初対面の外敵(?)の登場により、かつてないほど暴走を始めていた。
ユアンの穏やかな新婚生活は、こうして一人の変人教授の来襲により、爆笑と困惑、そしてアルヴィスの凄まじい嫉妬が渦巻くドタバタ劇へと、一気に飲み込まれていったのである。
「……さて、ユアン。今日は公務の前に、中庭の様子を見に行くのだろう? 昨日の雪がまだ残っている。足元が危ないから、私が支えよう」
「あ、ありがとうございます、アルヴィス。でも、温室まではすぐそこですし、お仕事が立て込んでいるんじゃ……」
ユアンが遠慮がちに微笑むと、アルヴィスの眉間がわずかに寄った。
「仕事ならリアムが泣きながら片付けている。今の私にとって、妻が雪に足を取られて転ぶのを防ぐこと以上に優先すべき任務など、この世には存在しない」
「……その『泣いているリアム』本人が目の前にいるんですがね」
空になった皿を下げに来た副官リアムが、死んだような目でアルヴィスを見つめたが、騎士王はそれを完全に無視した。
二人は食堂を後にし、ひんやりとした冷気が漂う長い石造りの回廊を歩き出す。
アルヴィスは、ユアンが寒くないよう、自身の厚手のマントを広げてユアンの肩を包み込むように歩調を合わせる。一歩歩くごとに、アルヴィスの高い体温がユアンの脇腹に伝わり、それが昨夜の記憶を呼び起こして、ユアンの頬はいつまでも桃色に染まったままだった。
やがて、中庭へと続く重厚な木製の扉が見えてくる。
アルヴィスが扉の取っ手に手をかけたその時、城門の向こう側から、静寂を切り裂くようなけたたましい怒鳴り声と、車輪が激しく石畳を叩く音が響き渡った。
「なんだ、この騒ぎは」
アルヴィスの声が、一瞬にして戦場の指揮官のような冷徹さを帯びた。
彼は即座にユアンを自分の背後に隠し、扉を力強く押し開ける。
目の前に広がっていたのは、信じられない光景だった。
屋根の上にまで植木鉢や奇妙な魔導具を括り付けた、今にもバラバラに壊れそうな馬車が、城の守備兵たちを蹴散らすような勢いで中庭のど真ん中に突っ込んできたのだ。
「止まれ! 侵入者か!?」
庭に控えていた衛兵たちが槍を構え、馬車を包囲する。
しかし、急ブレーキの音と共に止まった馬車から飛び出してきたのは、金色の髪をボサボサに振り乱し、白衣の裾を泥だらけにした一人の青年だった。
「間に合った! 間に合ったぞ! 伝説の『聖なる緑の指』を持つ者が、この北方の黒い岩塊に嫁いだと聞いて、王都から不眠不休で馬を走らせてきたんだ!」
青年は、衛兵たちが突き出す槍の先などまるで見えていない様子で、手に持ったボロボロのノートを振り回しながら叫んだ。そして、アルヴィスの背後から恐る恐る顔を出したユアンを見つけるなり、獲物を見つけた猛獣のような勢いで駆け寄ってくる。
「君だね!? 君がユアン・ロストック君だね! ああ、なんという澄んだ瞳、そして指先から溢れるこの繊細な魔力の波長……! はじめまして、僕はシリル・ヴィンセント。王立魔導植物研究所の主任教授だ。さあ、今すぐ君の爪の間の土を採取させてくれないか!? 拒否権はないよ、これは人類の進歩のための犠牲なんだ!」
「え、ええっ!? つ、爪の土……?」
ユアンが恐怖に顔を強張らせ、思わずアルヴィスの服の裾をぎゅっと掴んだ。
シリルと名乗った青年が、ユアンの手を無理やり掴もうとさらに身を乗り出した、その瞬間――。
「……死にたいのか、シリル」
地響きのような低い声と共に、空気が一瞬で凍りついた。
アルヴィスが、シリルとユアンの間に割って入り、シリルの胸元を掴んでそのまま地面から軽々と持ち上げた。アルヴィスの全身から立ち上る威圧感は、かつての呪いの熱よりもなお鋭く、凶悪な殺気を孕んでいた。
「あ、アルヴィス! 苦しい、襟が……! 久しぶりだね、親友に向かってなんて野蛮な挨拶だい!? せっかく君の結婚を祝いに来たというのに!」
「親友だと? 貴様のような、植物のことしか頭にない変人といつ親しくなった覚えがある。……よりによって私のユアンに、許可なく触れようとした罪、万死に値するぞ」
「親友……? アルヴィス、お知り合いなんですか?」
ユアンが恐る恐る問いかけると、シリルは吊るし上げられた状態で、メガネを光らせてパッと顔を輝かせた。
「そうだよユアン君! 僕はこいつと士官学校時代に同じ寮だったんだ。こいつが氷のように冷たかった頃から知っている! それより君、今の魔力の揺らぎをもう一度見せて! 驚いたな、主人の怒りに呼応して、背後の雪どけ草がわずかに熱を帯びたぞ! これは新発見だ、愛による魔力共鳴現象、実に、実に興味深い……っ、ぐふっ」
アルヴィスは、これ以上シリルの戯言を聞きたくないと言わんばかりに、彼を近くの雪山へと放り投げた。
「……ユアン、部屋に戻る。あのような狂人と一秒たりとも同じ空気を吸わせるわけにはいかない」
「で、でも、アルヴィス。あの人、王都の教授なんですよね? 放っておくわけには……それに、あの馬車の上にある植木鉢、珍しいお花が植わっていますよ!」
ユアンの言葉に、雪の中から「冷たーい! でもこの雪質も素晴らしい魔力を含んでいるね!」と叫びながら這い出してくるシリルが反応した。
「おや、わかるのかいユアン君! そう、これは王都でも滅多に見られない『幻影のバラ』の苗さ。君の力でどう変化するか、今すぐ実験したくてたまらないんだ!」
「シリル。次、ユアンに三歩以上近づけば、その首を物理的に切り離して研究所へ送り返すぞ」
アルヴィスの過保護ぶりが、初対面の外敵(?)の登場により、かつてないほど暴走を始めていた。
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