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28話
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ロストック領を覆っていた重い雪が完全に消え去り、初めての「真実の春」が訪れた。
かつて『黒い岩の城』と呼ばれたロストック城は、今や城壁を這う瑞々しい蔦と、ユアンが慈しんできた色とりどりの花々に包まれ、遠目には森の中に浮かぶ緑の宝石のように見えた。
朝の柔らかな光がバルコニーに差し込む中、ユアンは手すりに身を乗り出し、眼下に広がる黄金色の麦畑と、その間を縫うように咲き誇る銀色の花――『風呼びの追憶草』を眺めていた。ユアンが指先を小さく動かせば、春の風がその想いに応えるようにふわりと舞い上がり、甘い花の香りを城中へと運んでいく。
「……あ、あそこにも新しい芽が出てる。みんな、本当に元気に育ってくれたんだな」
ユアンが独り言を呟き、幸せそうに目を細めたその瞬間、背後から音もなく伸びてきた逞しい腕が、吸い寄せられるように彼の腰を引き寄せた。
「……ユアン。朝の風はまだ冷たいと言っただろう。マントを羽織らずに出るなど、私に心配をかけたいのか」
低く、少しだけ不機嫌を装った愛おしげな声。アルヴィスはユアンを自分の広い胸に閉じ込めるように抱きしめると、持ってきた毛皮の肩掛けをユアンの肩に丁寧にかけ直した。呪いの熱を失った今の彼は、かつての冷酷な騎士王というよりは、最愛の宝物を守ることに全神経を注ぐ、美しくも執着心の強い「番」そのものだ。
「アルヴィス様、おはようございます。でも、見てください。あんなに遠くまで、僕たちの風が届いているんですよ」
「……ああ、見事なものだ。だが見るなら私の腕の中で見ろ。……お前が少しでも震えれば、私はこの春の陽気さえも敵と見なしてしまいそうだ」
アルヴィスはユアンの首筋に顔を埋め、深く、満足そうに息を吸い込んだ。ユアンはくすくすと笑いながら、アルヴィスの手のひらに自分の手を重ねる。二人の指には、あの日誓い合った絆の証である指輪が、朝日に反射して眩い光を放っていた。
二人がバルコニーでそんな穏やかな時間を過ごしていると、回廊から元気な足音が響き、弟子のレオが鉢植えを抱えて駆け込んできた。
「ユアン先生! アルヴィスおじさん! 見てください、実験農場の『太陽の雫』が今朝一斉に花を咲かせました!」
レオの背後からは、呆れた顔のリアムと、出来立てのハニーベリー・タルトを盆に乗せたバルトが続いて現れる。
「レオ、廊下を走るなと言っているだろう。……閣下、奥様。朝食の準備が整いましたよ。今日は領地で初収穫された小麦のパンです」
「ははは! 奥様、レオのやつ、この花が咲くのを待ちきれなくて温室で寝てたんですよ。……さあ、冷めないうちに召し上がってください」
バルトがテーブルに料理を並べると、テラスは一気に賑やかな空気に包まれた。
そこには、かつての「冷徹な公爵」と「売られてきたお飾りの番」という、悲しい肩書きを持つ者はいなかった。ただ、一人の愛すべき魔法使いと、彼を誰よりも深く愛する騎士、そして彼らを慕う家族のような仲間たちがいるだけだ。
ユアンは、バルトの焼いたパンを一口食べ、その温かさに瞳を潤ませた。
「……バルトさん、とっても美味しいです。……僕、本当に幸せだな」
「何を言っているんだ。お前が幸せでいることが、この城の……いや、この領地すべての『平和』の条件なのだぞ、ユアン」
アルヴィスはユアンの頬に付いたパン屑を、親指で愛おしげに拭い取った。その仕草一つに込められた深い執着と慈しみに、ユアンは真っ赤になりながらも、幸せそうに微笑み返した。
ふと、ユアンの脳裏に、この城に来たばかりの頃の記憶が過ぎった。
熱を冷ます道具として、期限付きの契約で、名前通りの「お飾り」になるはずだったあの日。けれど、アルヴィスの不器用な優しさに触れ、自分の魔法が誰かを救えると気づいた時から、運命は大きく変わり始めたのだ。
「……アルヴィス様。……僕、あの時、ここに来て良かったです」
「…………」
唐突なユアンの告白に、アルヴィスは一瞬驚いたように目を見開いたが、やがて優しく目を細め、ユアンの手を強く握りしめた。
「……私の方こそ、あの日、お前という風を掴み取れて良かった。……契約などという言葉を盾にしていた自分を殴ってやりたいが、その結果お前が私の側にいてくれるなら、すべては必要な道程だったのだろう」
アルヴィスは、椅子から立ち上がると、ユアンを正面から抱き上げた。
「ユアン。……春が巡り、夏が来ても、再び冬が訪れてもお前の隣には私がいる。……お前の風が止むことはあっても、私の愛がお前を離すことはない。……一生、いや、来世まで覚悟しておけ」
「ふふ、それ……何度目かの契約、ですか?」
「いいや。……永遠という名の、ただの事実だ」
二人は、春の風が吹き抜けるテラスで、家族たちの温かな眼差しに見守られながら、静かに唇を重ねた。
窓の外では、ユアンの魔法に導かれた緑の波が、どこまでも遠くへと広がっていく。
お飾りから始まった物語は、今、本物の「愛」という翼を得て、誰も見たことのない輝かしい未来へと吹き抜けていく。
ロストックの風は、今日からずっと、幸せな花の香りを運び続けることだろう。
―完―
かつて『黒い岩の城』と呼ばれたロストック城は、今や城壁を這う瑞々しい蔦と、ユアンが慈しんできた色とりどりの花々に包まれ、遠目には森の中に浮かぶ緑の宝石のように見えた。
朝の柔らかな光がバルコニーに差し込む中、ユアンは手すりに身を乗り出し、眼下に広がる黄金色の麦畑と、その間を縫うように咲き誇る銀色の花――『風呼びの追憶草』を眺めていた。ユアンが指先を小さく動かせば、春の風がその想いに応えるようにふわりと舞い上がり、甘い花の香りを城中へと運んでいく。
「……あ、あそこにも新しい芽が出てる。みんな、本当に元気に育ってくれたんだな」
ユアンが独り言を呟き、幸せそうに目を細めたその瞬間、背後から音もなく伸びてきた逞しい腕が、吸い寄せられるように彼の腰を引き寄せた。
「……ユアン。朝の風はまだ冷たいと言っただろう。マントを羽織らずに出るなど、私に心配をかけたいのか」
低く、少しだけ不機嫌を装った愛おしげな声。アルヴィスはユアンを自分の広い胸に閉じ込めるように抱きしめると、持ってきた毛皮の肩掛けをユアンの肩に丁寧にかけ直した。呪いの熱を失った今の彼は、かつての冷酷な騎士王というよりは、最愛の宝物を守ることに全神経を注ぐ、美しくも執着心の強い「番」そのものだ。
「アルヴィス様、おはようございます。でも、見てください。あんなに遠くまで、僕たちの風が届いているんですよ」
「……ああ、見事なものだ。だが見るなら私の腕の中で見ろ。……お前が少しでも震えれば、私はこの春の陽気さえも敵と見なしてしまいそうだ」
アルヴィスはユアンの首筋に顔を埋め、深く、満足そうに息を吸い込んだ。ユアンはくすくすと笑いながら、アルヴィスの手のひらに自分の手を重ねる。二人の指には、あの日誓い合った絆の証である指輪が、朝日に反射して眩い光を放っていた。
二人がバルコニーでそんな穏やかな時間を過ごしていると、回廊から元気な足音が響き、弟子のレオが鉢植えを抱えて駆け込んできた。
「ユアン先生! アルヴィスおじさん! 見てください、実験農場の『太陽の雫』が今朝一斉に花を咲かせました!」
レオの背後からは、呆れた顔のリアムと、出来立てのハニーベリー・タルトを盆に乗せたバルトが続いて現れる。
「レオ、廊下を走るなと言っているだろう。……閣下、奥様。朝食の準備が整いましたよ。今日は領地で初収穫された小麦のパンです」
「ははは! 奥様、レオのやつ、この花が咲くのを待ちきれなくて温室で寝てたんですよ。……さあ、冷めないうちに召し上がってください」
バルトがテーブルに料理を並べると、テラスは一気に賑やかな空気に包まれた。
そこには、かつての「冷徹な公爵」と「売られてきたお飾りの番」という、悲しい肩書きを持つ者はいなかった。ただ、一人の愛すべき魔法使いと、彼を誰よりも深く愛する騎士、そして彼らを慕う家族のような仲間たちがいるだけだ。
ユアンは、バルトの焼いたパンを一口食べ、その温かさに瞳を潤ませた。
「……バルトさん、とっても美味しいです。……僕、本当に幸せだな」
「何を言っているんだ。お前が幸せでいることが、この城の……いや、この領地すべての『平和』の条件なのだぞ、ユアン」
アルヴィスはユアンの頬に付いたパン屑を、親指で愛おしげに拭い取った。その仕草一つに込められた深い執着と慈しみに、ユアンは真っ赤になりながらも、幸せそうに微笑み返した。
ふと、ユアンの脳裏に、この城に来たばかりの頃の記憶が過ぎった。
熱を冷ます道具として、期限付きの契約で、名前通りの「お飾り」になるはずだったあの日。けれど、アルヴィスの不器用な優しさに触れ、自分の魔法が誰かを救えると気づいた時から、運命は大きく変わり始めたのだ。
「……アルヴィス様。……僕、あの時、ここに来て良かったです」
「…………」
唐突なユアンの告白に、アルヴィスは一瞬驚いたように目を見開いたが、やがて優しく目を細め、ユアンの手を強く握りしめた。
「……私の方こそ、あの日、お前という風を掴み取れて良かった。……契約などという言葉を盾にしていた自分を殴ってやりたいが、その結果お前が私の側にいてくれるなら、すべては必要な道程だったのだろう」
アルヴィスは、椅子から立ち上がると、ユアンを正面から抱き上げた。
「ユアン。……春が巡り、夏が来ても、再び冬が訪れてもお前の隣には私がいる。……お前の風が止むことはあっても、私の愛がお前を離すことはない。……一生、いや、来世まで覚悟しておけ」
「ふふ、それ……何度目かの契約、ですか?」
「いいや。……永遠という名の、ただの事実だ」
二人は、春の風が吹き抜けるテラスで、家族たちの温かな眼差しに見守られながら、静かに唇を重ねた。
窓の外では、ユアンの魔法に導かれた緑の波が、どこまでも遠くへと広がっていく。
お飾りから始まった物語は、今、本物の「愛」という翼を得て、誰も見たことのない輝かしい未来へと吹き抜けていく。
ロストックの風は、今日からずっと、幸せな花の香りを運び続けることだろう。
―完―
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