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27話
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代々のロストック公爵家が守ってきた聖域で、黄金の文字に刻まれた己の名を確認してから数日。ユアンの心からは、長年自分を縛り付けていたマクレーン家という名の重い鎖が、跡形もなく消え去っていた。
朝の光が差し込む寝室で、ユアンはアルヴィスの逞しい腕に抱かれながら目を覚ました。かつては冷え切っていたはずのこの部屋も、今ではユアンの魔法が呼び寄せた柔らかな陽だまりと、アルヴィスの高い体温で、春のような暖かさに満ちている。ユアンが隣で眠るアルヴィスの端正な寝顔をそっと覗き込むと、彼はまだ夢の中にいるようで、いつもより少しだけ幼い表情を浮かべていた。
(……アルヴィス様。もう、「閣下」とか「旦那様」じゃなくて、ただのアルヴィス様なんだ)
ユアンが心の中でその名を反芻し、そっと彼の頬に触れようとした、その時。
「…………ユアン。……逃がさないと言っただろう」
アルヴィスが薄目を開け、瞬時にユアンの手首を優しく捕らえた。起きたばかりの、低く掠れた声。そのまま彼はユアンを自分の上に引き上げると、首筋に深く顔を埋めた。
「逃げようなんてしていません。ただ、寝顔が綺麗だなって思っていただけで……」
「……お前に見つめられているのは夢の中でも分かっていた。……このまま、公務も何もかも放り出してしまいたい。……お前の風に包まれていれば、それだけで十分だ」
独占欲を隠そうともしないアルヴィスの言葉に、ユアンは胸を熱くしながら、彼の背中に手を回した。以前のアルヴィスは、呪いのせいで「生きることに必死」だった。けれど今の彼は、ユアンという光を得て、「二人で生きる幸せ」を心から享受している。
二人がようやく寝室を出て、連れ立って回廊を歩き出すと、そこには既に日常の喧騒が戻っていた。
厨房からはバルトが鼻歌を歌いながら朝食を準備する香ばしい匂いが漂い、中庭の方ではシリルが相変わらず何らかの魔導具を動かしている音が響いている。
「あ、アルヴィス! ユアン君! ちょうど良いところに!」
中庭に面したテラスで、シリルが壊れそうなほど大量の苗木を前にして手招きをしていた。彼の足元には、先日ユアンが咲かせた『風呼びの追憶草』が、穏やかな銀色の光を放ちながら揺れている。
「僕の研究は、この植物で一つの完成を見た。……見てくれ、この苗木たちを。これらは君たちの『血の刻印』の魔力に当てられて、冬の間に驚異的な成長を遂げたんだ。今日、これらを領地中に植えれば、ロストック領は世界で唯一、一年中緑が絶えない『常春の地』になる」
「常春の地……。そんなことが、本当にできるんですか?」
ユアンが目を輝かせて駆け寄ると、シリルは誇らしげに眼鏡を光らせた。
「君の『聖なる緑の指』と、アルヴィスの強力な魔力の守護があれば可能だ。……アルヴィス、君、この地を呪われた黒騎士の領地から、世界で一番豊かな楽園に変えるつもりはないかい? 愛する妻のために」
アルヴィスはユアンの肩を抱き寄せ、並べられた苗木を静かに見下ろした。かつての彼は、この領地を「自分が死ぬ場所」としか考えていなかった。だが、今は違う。
「……私の愛する妻が、緑と風を愛しているのだ。……ならば、この地をそのように変えるのが、領主としての、そして夫としての責務だろう」
「アルヴィス……。嬉しいです。僕、頑張ります。みんなが冬でも凍えずに、お腹いっぱい食べられるような、そんな温かい場所にしたい」
ユアンが力強く頷くと、三人はそのまま領地中の開拓地へと向かう準備を始めた。
城の騎士たちも総出で、苗木を運び出す作業に加わる。そこにはかつての「呪いへの恐怖」など微塵もなく、誰もが新しいロストック領の未来に胸を躍らせていた。
城門を出たところで、ユアンは足を止めた。
視線の先には、見渡す限りの銀世界が広がっている。けれど、その雪の下には、ユアンの魔法とアルヴィスの愛情が育んだ、数え切れないほどの命の芽が眠っている。
「『そよ風さん。……雪の下で眠っているみんなに、伝えて。……もうすぐ、春が来るよ。みんなで一緒に、この地を笑顔でいっぱいにしようね』」
ユアンが祈るように両手を広げると、彼の指先から放たれた金色の風が、波のように大地を駆けていった。風が触れた場所から雪がふわりと舞い上がり、その下から鮮やかな緑の芽が次々と顔を覗かせる。
「……見事だ、ユアン」
アルヴィスが背後からユアンを包み込むように抱きしめた。
「お前という風が、私の凍てついた心を溶かし、今度はこの領地すべてを救おうとしている。……お前は本当に、私の誇りだ」
「……アルヴィスが僕を見捨てないでいてくれたから、できたことです。……これからも、ずっと隣で支えてくださいね」
二人は、芽吹き始めた大地の上で、静かに唇を重ねた。
王都の策略も、実家の影も、今の二人にはもう届かない。
空には一点の曇りもなく、ユアンが呼び寄せた温かな風が、二人の門出を祝福するようにどこまでも高く吹き抜けていた。
契約という形だけの繋がりから始まった、不器用な二人の物語。
けれど今、この風の中に「嘘」は何一つない。
二人の本当の新婚生活は、この鮮やかな春の訪れと共に、永遠へと続く第一歩を刻み始めていた。
朝の光が差し込む寝室で、ユアンはアルヴィスの逞しい腕に抱かれながら目を覚ました。かつては冷え切っていたはずのこの部屋も、今ではユアンの魔法が呼び寄せた柔らかな陽だまりと、アルヴィスの高い体温で、春のような暖かさに満ちている。ユアンが隣で眠るアルヴィスの端正な寝顔をそっと覗き込むと、彼はまだ夢の中にいるようで、いつもより少しだけ幼い表情を浮かべていた。
(……アルヴィス様。もう、「閣下」とか「旦那様」じゃなくて、ただのアルヴィス様なんだ)
ユアンが心の中でその名を反芻し、そっと彼の頬に触れようとした、その時。
「…………ユアン。……逃がさないと言っただろう」
アルヴィスが薄目を開け、瞬時にユアンの手首を優しく捕らえた。起きたばかりの、低く掠れた声。そのまま彼はユアンを自分の上に引き上げると、首筋に深く顔を埋めた。
「逃げようなんてしていません。ただ、寝顔が綺麗だなって思っていただけで……」
「……お前に見つめられているのは夢の中でも分かっていた。……このまま、公務も何もかも放り出してしまいたい。……お前の風に包まれていれば、それだけで十分だ」
独占欲を隠そうともしないアルヴィスの言葉に、ユアンは胸を熱くしながら、彼の背中に手を回した。以前のアルヴィスは、呪いのせいで「生きることに必死」だった。けれど今の彼は、ユアンという光を得て、「二人で生きる幸せ」を心から享受している。
二人がようやく寝室を出て、連れ立って回廊を歩き出すと、そこには既に日常の喧騒が戻っていた。
厨房からはバルトが鼻歌を歌いながら朝食を準備する香ばしい匂いが漂い、中庭の方ではシリルが相変わらず何らかの魔導具を動かしている音が響いている。
「あ、アルヴィス! ユアン君! ちょうど良いところに!」
中庭に面したテラスで、シリルが壊れそうなほど大量の苗木を前にして手招きをしていた。彼の足元には、先日ユアンが咲かせた『風呼びの追憶草』が、穏やかな銀色の光を放ちながら揺れている。
「僕の研究は、この植物で一つの完成を見た。……見てくれ、この苗木たちを。これらは君たちの『血の刻印』の魔力に当てられて、冬の間に驚異的な成長を遂げたんだ。今日、これらを領地中に植えれば、ロストック領は世界で唯一、一年中緑が絶えない『常春の地』になる」
「常春の地……。そんなことが、本当にできるんですか?」
ユアンが目を輝かせて駆け寄ると、シリルは誇らしげに眼鏡を光らせた。
「君の『聖なる緑の指』と、アルヴィスの強力な魔力の守護があれば可能だ。……アルヴィス、君、この地を呪われた黒騎士の領地から、世界で一番豊かな楽園に変えるつもりはないかい? 愛する妻のために」
アルヴィスはユアンの肩を抱き寄せ、並べられた苗木を静かに見下ろした。かつての彼は、この領地を「自分が死ぬ場所」としか考えていなかった。だが、今は違う。
「……私の愛する妻が、緑と風を愛しているのだ。……ならば、この地をそのように変えるのが、領主としての、そして夫としての責務だろう」
「アルヴィス……。嬉しいです。僕、頑張ります。みんなが冬でも凍えずに、お腹いっぱい食べられるような、そんな温かい場所にしたい」
ユアンが力強く頷くと、三人はそのまま領地中の開拓地へと向かう準備を始めた。
城の騎士たちも総出で、苗木を運び出す作業に加わる。そこにはかつての「呪いへの恐怖」など微塵もなく、誰もが新しいロストック領の未来に胸を躍らせていた。
城門を出たところで、ユアンは足を止めた。
視線の先には、見渡す限りの銀世界が広がっている。けれど、その雪の下には、ユアンの魔法とアルヴィスの愛情が育んだ、数え切れないほどの命の芽が眠っている。
「『そよ風さん。……雪の下で眠っているみんなに、伝えて。……もうすぐ、春が来るよ。みんなで一緒に、この地を笑顔でいっぱいにしようね』」
ユアンが祈るように両手を広げると、彼の指先から放たれた金色の風が、波のように大地を駆けていった。風が触れた場所から雪がふわりと舞い上がり、その下から鮮やかな緑の芽が次々と顔を覗かせる。
「……見事だ、ユアン」
アルヴィスが背後からユアンを包み込むように抱きしめた。
「お前という風が、私の凍てついた心を溶かし、今度はこの領地すべてを救おうとしている。……お前は本当に、私の誇りだ」
「……アルヴィスが僕を見捨てないでいてくれたから、できたことです。……これからも、ずっと隣で支えてくださいね」
二人は、芽吹き始めた大地の上で、静かに唇を重ねた。
王都の策略も、実家の影も、今の二人にはもう届かない。
空には一点の曇りもなく、ユアンが呼び寄せた温かな風が、二人の門出を祝福するようにどこまでも高く吹き抜けていた。
契約という形だけの繋がりから始まった、不器用な二人の物語。
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