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25話
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雪国からの帰路、都会の境界線を越えた瞬間に感じたあの少しの寂しさは、数日が経つ頃には、温かな「活力」へと変わっていた。
僕のアパートの玄関には、まだレオが旅行で履いていたスニーカーの、乾いた泥の跡が微かに残っている。それを掃除してしまうのがもったいなくて、僕は数日の間、その跡を避けるようにして靴を脱ぎ履きしていた。
大学の講義に戻ると、周囲の学生たちは相変わらず『GALAXY』のドーム公演の熱狂や、レオの美貌について熱っぽく語り合っている。
「ねえ、見た? レオ様のあのバラード。あれ、絶対に誰か特定の人のことを想って歌ってるよね」
「分かる! あの表情、ただのファンサービスじゃないっていうか……」
食堂で聞こえてくるそんな会話を耳にするたび、僕は口元が緩むのを必死に堪えて、カレーを口に運んだ。
彼らが熱狂しているのは、光の中に立つ『レオ』だ。けれど、僕が知っているのは、車中で肉まんを半分こして、「熱いっ!」と指を振っていた玲央だ。その「秘密」を共有しているという事実が、僕の平凡な日常に、何物にも代えがたい彩りを与えてくれている。
そんなある日の夜。バイトを終えて帰宅した僕のスマホが、小刻みに震えた。
レオからのビデオ通話だった。
「……千秋! 見て見て、これ!」
画面が繋がるなり、レオの興奮した声が響く。画面の向こうの彼は、おそらく雑誌の撮影スタジオかどこかにいるのだろう。派手なジャケットを羽織り、髪もセットされているが、その瞳は旅行の時と同じようにキラキラと輝いていた。
彼がカメラを向けた先には、豪華なケータリングのテーブルではなく、スタッフから贈られたという、小さな雪だるまの形をした置物があった。
「これ、さっきの撮影の小道具なんだけどね、なんだかあの温泉宿を思い出して、思わず笑っちゃったんだ。スタッフさんに『レオくん、今日すごく機嫌がいいね』って言われちゃったよ」
「……あはは、レオは分かりやすいからね。でも、ちゃんと仕事に集中できてるみたいで安心したよ」
「集中してるよ! ……っていうかさ、千秋。次の僕のオフ、いつか覚えてる?」
レオが画面越しに、少しだけ照れたような、けれど期待に満ちた表情で僕を覗き込んできた。
僕はカレンダーを見るまでもなく、その日付を答えた。
「……二月十四日。レオの、二十一歳の誕生日だろ?」
「正解! ……実はね、その日は夜に大きなバースデーライブがあるんだけど、お昼までは自由にしていいって、シオンが許可をくれたんだ。……だから、お昼ごはん、一緒に食べられないかな?」
アイドルの誕生日。それはファンにとっても、事務所にとっても、一年で最も忙しく、そして「レオ」というアイコンを世界に発信する日だ。そんな日の貴重な数時間を、僕に預けたいと言ってくれる。
「いいの? その日は、世界中でレオのお祝いがされる日なのに。……僕なんかが独り占めして」
「千秋。……世界中の人が僕をお祝いしてくれても、千秋がそばにいてくれないと、僕の『本当の誕生日』は始まらないんだよ。……だから、お願い。……予約、してもいい?」
画面越しでも、彼の真剣な想いが伝わってくる。
僕は深く頷いた。
「分かった。……じゃあ、最高に美味しいバースデーランチ、僕が準備しておくよ。レオが好きなもの、全部詰め込んだ特製メニューにするね」
「やった! ……楽しみだな。あ、ケーキは僕が『どうしても食べたいやつ』があるから、僕が用意していくね。……あ、でも、千秋の作った手作りお菓子も食べたいかも……」
わがままを言い始めたレオを笑って宥めながら、僕は通話を切った。
部屋が急に静かになる。
けれど、僕の心の中には、二月十四日に向けた小さなカウントダウンが始まっていた。
それからの数日間、僕はレオの誕生日をどう祝うか、授業中もバイト中も考え続けた。
温泉旅行で「失くした10年分を取り戻したい」と言った彼の言葉が、ずっと胸に残っている。
なら、今年の誕生日は、ただの21歳のお祝いじゃない。
彼がこれまで過ごしてきた、そして僕と一緒に過ごせなかった全ての時間を、優しく包み込むような一日にしたい。
僕は、古びたアルバムを引っ張り出した。
そこには、小学校のグラウンドで笑い合う僕たちの姿や、誕生日にクリームだらけの顔をしてピースをしている玲央くんの姿があった。
「……待っててね、玲央」
冬の夜空を見上げると、オリオン座が堂々と輝いている。
ドームの舞台で何万人を魅了した彼も、僕の隣でうたた寝をしていた彼も、全部、僕の大切な、たった一人の親友だ。
日常のグラデーションは、少しずつ「特別な日」の色へと染まっていく。
僕は、レオへのプレゼントを何にするか考えながら、静かな高揚感とともに眠りについた。
僕のアパートの玄関には、まだレオが旅行で履いていたスニーカーの、乾いた泥の跡が微かに残っている。それを掃除してしまうのがもったいなくて、僕は数日の間、その跡を避けるようにして靴を脱ぎ履きしていた。
大学の講義に戻ると、周囲の学生たちは相変わらず『GALAXY』のドーム公演の熱狂や、レオの美貌について熱っぽく語り合っている。
「ねえ、見た? レオ様のあのバラード。あれ、絶対に誰か特定の人のことを想って歌ってるよね」
「分かる! あの表情、ただのファンサービスじゃないっていうか……」
食堂で聞こえてくるそんな会話を耳にするたび、僕は口元が緩むのを必死に堪えて、カレーを口に運んだ。
彼らが熱狂しているのは、光の中に立つ『レオ』だ。けれど、僕が知っているのは、車中で肉まんを半分こして、「熱いっ!」と指を振っていた玲央だ。その「秘密」を共有しているという事実が、僕の平凡な日常に、何物にも代えがたい彩りを与えてくれている。
そんなある日の夜。バイトを終えて帰宅した僕のスマホが、小刻みに震えた。
レオからのビデオ通話だった。
「……千秋! 見て見て、これ!」
画面が繋がるなり、レオの興奮した声が響く。画面の向こうの彼は、おそらく雑誌の撮影スタジオかどこかにいるのだろう。派手なジャケットを羽織り、髪もセットされているが、その瞳は旅行の時と同じようにキラキラと輝いていた。
彼がカメラを向けた先には、豪華なケータリングのテーブルではなく、スタッフから贈られたという、小さな雪だるまの形をした置物があった。
「これ、さっきの撮影の小道具なんだけどね、なんだかあの温泉宿を思い出して、思わず笑っちゃったんだ。スタッフさんに『レオくん、今日すごく機嫌がいいね』って言われちゃったよ」
「……あはは、レオは分かりやすいからね。でも、ちゃんと仕事に集中できてるみたいで安心したよ」
「集中してるよ! ……っていうかさ、千秋。次の僕のオフ、いつか覚えてる?」
レオが画面越しに、少しだけ照れたような、けれど期待に満ちた表情で僕を覗き込んできた。
僕はカレンダーを見るまでもなく、その日付を答えた。
「……二月十四日。レオの、二十一歳の誕生日だろ?」
「正解! ……実はね、その日は夜に大きなバースデーライブがあるんだけど、お昼までは自由にしていいって、シオンが許可をくれたんだ。……だから、お昼ごはん、一緒に食べられないかな?」
アイドルの誕生日。それはファンにとっても、事務所にとっても、一年で最も忙しく、そして「レオ」というアイコンを世界に発信する日だ。そんな日の貴重な数時間を、僕に預けたいと言ってくれる。
「いいの? その日は、世界中でレオのお祝いがされる日なのに。……僕なんかが独り占めして」
「千秋。……世界中の人が僕をお祝いしてくれても、千秋がそばにいてくれないと、僕の『本当の誕生日』は始まらないんだよ。……だから、お願い。……予約、してもいい?」
画面越しでも、彼の真剣な想いが伝わってくる。
僕は深く頷いた。
「分かった。……じゃあ、最高に美味しいバースデーランチ、僕が準備しておくよ。レオが好きなもの、全部詰め込んだ特製メニューにするね」
「やった! ……楽しみだな。あ、ケーキは僕が『どうしても食べたいやつ』があるから、僕が用意していくね。……あ、でも、千秋の作った手作りお菓子も食べたいかも……」
わがままを言い始めたレオを笑って宥めながら、僕は通話を切った。
部屋が急に静かになる。
けれど、僕の心の中には、二月十四日に向けた小さなカウントダウンが始まっていた。
それからの数日間、僕はレオの誕生日をどう祝うか、授業中もバイト中も考え続けた。
温泉旅行で「失くした10年分を取り戻したい」と言った彼の言葉が、ずっと胸に残っている。
なら、今年の誕生日は、ただの21歳のお祝いじゃない。
彼がこれまで過ごしてきた、そして僕と一緒に過ごせなかった全ての時間を、優しく包み込むような一日にしたい。
僕は、古びたアルバムを引っ張り出した。
そこには、小学校のグラウンドで笑い合う僕たちの姿や、誕生日にクリームだらけの顔をしてピースをしている玲央くんの姿があった。
「……待っててね、玲央」
冬の夜空を見上げると、オリオン座が堂々と輝いている。
ドームの舞台で何万人を魅了した彼も、僕の隣でうたた寝をしていた彼も、全部、僕の大切な、たった一人の親友だ。
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僕は、レオへのプレゼントを何にするか考えながら、静かな高揚感とともに眠りについた。
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