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1話
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耳を塞いでも、世界はうるさかった。
僕にとって、音は「味」だ。
街を行き交う車の排気音は泥の味がし、人々の話し声は生ごみの腐敗臭のように鼻を突く。
ヘッドホンで遮断しても、振動として伝わる音の破片が、僕の舌を汚していく。
「……気持ち悪い」
結城奏は、駅のベンチでうずくまっていた。
何も食べていないのに、口の中は不快な味で満たされている。
共感覚。そんな便利な言葉で片付けられるほど、この体質は甘いものじゃない。
僕にとって世界は、毒の詰まったビュッフェ会場のようなものだった。
その時だった。
『――諸君、静粛に』
広場の大型ビジョンから、その「声」が流れたのは。
瞬間、奏の背筋に電流が走った。
脳を直接揺さぶるような、低く、冷徹で、けれど圧倒的な密度を持った響き。
「……っ、ぁ」
口の中に、爆発的な甘みが広がった。
それは最高級のハチミツよりも濃厚で、雪解け水のように澄んでいる。
今まで味わったことのない、清涼感と官能が混ざり合った究極の「味」。
奏は顔を上げ、ビジョンを凝視した。
そこに映っていたのは、漆黒の軍服を纏った冷徹な美貌の男。
この国の経済を掌握する若き支配者、レイヴン・ヴァレンタイン。
『私の言葉に、無駄な反論は不要だ。結果だけを提示しろ』
彼が唇を動かすたび、奏の喉は熱く震えた。
もっと。もっとその声が欲しい。
不快な音で埋め尽くされていた僕の真っ白な世界が、彼の声だけで塗りつぶされていく。
「はぁ、っ……ハ、ぁ……」
指先が震える。
奏は無意識に自分の喉を指でなぞった。
この声があれば、僕は生きていける。
初めて、この地獄のような世界で「生」の悦びを感じた瞬間だった。
――数日後。
奏は、気づけばレイヴンが主催する晩餐会の会場の片隅にいた。
身分不相応な場所。アルバイトで貯めた金をはたき、伝てを辿って手に入れた招待状。
すべては、あの「声」を直接、鼓膜で味わうため。
会場の喧騒は相変わらず吐き気がするほど不快だったが、奏は必死に耐えた。
そして。
「……随分と、妙な視線を送るネズミがいるな」
背後から、心臓を鷲掴みにするような「音」が降ってきた。
奏の膝が、がたがたと震え始める。
映像越しとは比較にならない。
直接耳にする彼の声は、もはや味という概念を超え、甘美な熱となって全身の血を沸騰させた。
「あ、ぁ……」
振り返ると、そこには氷のような瞳で見下ろすレイヴンが立っていた。
「私の顔に何かついているか? それとも、命がいらないのか」
冷たく、鋭い拒絶。
けれど、奏にはそれがとろけるようなチョコレートの香りにしか感じられない。
奏は、こぼれそうになる唾液を飲み込み、夢遊病者のように手を伸ばした。
「……もっと、喋って……ください」
「何?」
「あなたの、声……すごく、おいしいんです……」
レイヴンの眉が、不快げにぴくりと動く。
周囲のSPたちが動こうとしたが、レイヴンはそれを手で制した。
彼は、目の前で顔を真っ赤にし、熱に浮かされた瞳で自分を見上げる青年を、品定めするように眺める。
「おいしい、だと?」
「はい……もっと、ください……っ、お願い、します……」
奏はレイヴンの袖を掴み、その場に崩れ落ちた。
自分でも異常だとは分かっている。
けれど、この「渇望」は、もう誰にも止められなかった。
レイヴンは、跪く奏の顎を乱暴にクイと持ち上げた。
冷徹な瞳の奥に、暗い好奇心が宿る。
「……面白い。私の声を、食いたいと言ったのはお前が初めてだ」
レイヴンは奏の耳元に顔を寄せ、わざと深く、低い声で囁いた。
「いいだろう。望むだけ食わせてやる。……ただし、その対価は、貴様の人生すべてだ」
奏の耳に、極上の蜜が注ぎ込まれる。
それが破滅への入り口だと分かっていても、奏は抗うことなどできなかった。
僕にとって、音は「味」だ。
街を行き交う車の排気音は泥の味がし、人々の話し声は生ごみの腐敗臭のように鼻を突く。
ヘッドホンで遮断しても、振動として伝わる音の破片が、僕の舌を汚していく。
「……気持ち悪い」
結城奏は、駅のベンチでうずくまっていた。
何も食べていないのに、口の中は不快な味で満たされている。
共感覚。そんな便利な言葉で片付けられるほど、この体質は甘いものじゃない。
僕にとって世界は、毒の詰まったビュッフェ会場のようなものだった。
その時だった。
『――諸君、静粛に』
広場の大型ビジョンから、その「声」が流れたのは。
瞬間、奏の背筋に電流が走った。
脳を直接揺さぶるような、低く、冷徹で、けれど圧倒的な密度を持った響き。
「……っ、ぁ」
口の中に、爆発的な甘みが広がった。
それは最高級のハチミツよりも濃厚で、雪解け水のように澄んでいる。
今まで味わったことのない、清涼感と官能が混ざり合った究極の「味」。
奏は顔を上げ、ビジョンを凝視した。
そこに映っていたのは、漆黒の軍服を纏った冷徹な美貌の男。
この国の経済を掌握する若き支配者、レイヴン・ヴァレンタイン。
『私の言葉に、無駄な反論は不要だ。結果だけを提示しろ』
彼が唇を動かすたび、奏の喉は熱く震えた。
もっと。もっとその声が欲しい。
不快な音で埋め尽くされていた僕の真っ白な世界が、彼の声だけで塗りつぶされていく。
「はぁ、っ……ハ、ぁ……」
指先が震える。
奏は無意識に自分の喉を指でなぞった。
この声があれば、僕は生きていける。
初めて、この地獄のような世界で「生」の悦びを感じた瞬間だった。
――数日後。
奏は、気づけばレイヴンが主催する晩餐会の会場の片隅にいた。
身分不相応な場所。アルバイトで貯めた金をはたき、伝てを辿って手に入れた招待状。
すべては、あの「声」を直接、鼓膜で味わうため。
会場の喧騒は相変わらず吐き気がするほど不快だったが、奏は必死に耐えた。
そして。
「……随分と、妙な視線を送るネズミがいるな」
背後から、心臓を鷲掴みにするような「音」が降ってきた。
奏の膝が、がたがたと震え始める。
映像越しとは比較にならない。
直接耳にする彼の声は、もはや味という概念を超え、甘美な熱となって全身の血を沸騰させた。
「あ、ぁ……」
振り返ると、そこには氷のような瞳で見下ろすレイヴンが立っていた。
「私の顔に何かついているか? それとも、命がいらないのか」
冷たく、鋭い拒絶。
けれど、奏にはそれがとろけるようなチョコレートの香りにしか感じられない。
奏は、こぼれそうになる唾液を飲み込み、夢遊病者のように手を伸ばした。
「……もっと、喋って……ください」
「何?」
「あなたの、声……すごく、おいしいんです……」
レイヴンの眉が、不快げにぴくりと動く。
周囲のSPたちが動こうとしたが、レイヴンはそれを手で制した。
彼は、目の前で顔を真っ赤にし、熱に浮かされた瞳で自分を見上げる青年を、品定めするように眺める。
「おいしい、だと?」
「はい……もっと、ください……っ、お願い、します……」
奏はレイヴンの袖を掴み、その場に崩れ落ちた。
自分でも異常だとは分かっている。
けれど、この「渇望」は、もう誰にも止められなかった。
レイヴンは、跪く奏の顎を乱暴にクイと持ち上げた。
冷徹な瞳の奥に、暗い好奇心が宿る。
「……面白い。私の声を、食いたいと言ったのはお前が初めてだ」
レイヴンは奏の耳元に顔を寄せ、わざと深く、低い声で囁いた。
「いいだろう。望むだけ食わせてやる。……ただし、その対価は、貴様の人生すべてだ」
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