6 / 20
6話
しおりを挟む
レコーダーから流れるレイヴンの声が途切れた瞬間、奏の世界は再び色を失った。
最後に残った甘い余韻さえも、目の前に立つエリオットの存在が、どろどろとした泥水で塗りつぶしていく。
「……あ、……ぁ……」
奏は空になったレコーダーを抱きしめたまま、震えが止まらない。
唯一の救いだった音は消えた。あとに残されたのは、不快な「毒」を撒き散らす男だけだ。
「そんなに絶望しなくてもいいじゃないか。閣下の声が『主食』なら、僕の声はちょっとした『刺激物』として楽しんでよ」
エリオットが、奏の隣に腰を下ろした。
彼が発声するたび、奏の口内には焦げたゴムのような、胸の悪くなる苦味が広がる。
奏は耳を塞ぎ、シーツに顔を押し当てて拒絶を示した。
「やめて……喋らないで……吐き気がする……!」
「へえ、僕の声は吐き気がするほど不味いんだ。それは光栄だね」
エリオットは奏の震える肩を掴み、無理やり自分の方へ向かせた。
眼鏡の奥の瞳が、観察者のそれから、剥き出しの加害者へと変わる。
「共感覚者(シンセステート)……それも、聴覚を味覚に変換するタイプ。君のような希少種が、閣下の手元に置かれているなんて、宝の持ち腐れだ。君を解体して、その脳の回路がどうなっているのか……、直接この目で確かめてみたいよ」
エリオットの声は、徐々に熱を帯びていく。
それは奏にとって、喉の奥に熱い泥を流し込まれるような、耐え難い拷問だった。
「ひ、ぐ……っ、やめ……っ!」
「泣かないで。閣下の声を聞かせてあげたいけれど、あいにく僕はあんな高貴な響きは持っていない。……代わりに、君を肉体的に『調教』して、どんな音でも美味しく感じるように作り替えてあげようか?」
エリオットの指が、奏のパジャマのボタンに手をかけた。
レイヴン以外の男に触れられる恐怖。そして、何よりエリオットが発するすべての音が、奏の精神を汚染していく。
その時。
奏の枕元に置かれていた、レイヴンから支給された専用端末が激しく振動した。
ビデオ通話の着信。
画面に表示されたのは――『RAVEN』。
「……っ!」
奏はエリオットの手を振り払い、必死に端末に飛びついた。
震える指で応答ボタンを押す。
『――奏。私の許可なく、誰と喋っている』
画面越しであっても、その声は圧倒的だった。
一瞬にして、部屋に充満していたエリオットの「泥」が、凍てつくような冷徹な「氷の刃」によって切り裂かれた。
「あ……が、閣下……レイヴン、様……!」
奏は画面に縋り付いた。
レイヴンの声。それは、今や奏にとって生きるための酸素そのものだ。
『……エリオット。貴様、そこにいるな』
画面の中のレイヴンは、氷のように冷たい瞳でこちらを射抜いていた。
背後には戦地のものと思われる硝煙が揺れている。
エリオットは肩をすくめ、わざとらしく溜息をついた。
「おやおや、見つかってしまいましたか。忘れ物を取りに戻ったついでに、小鳥さんの体調を確認していただけですよ」
『二度は言わない。その汚らわしい手を奏から離し、直ちにここへ戻れ。……戻ったあとで、貴様の舌をどうするか、ゆっくりと考えてやる』
「……くく、恐ろしい。承知しました、閣下」
エリオットは奏の耳元で「またね」と、不快な残響を残して部屋を去っていった。
ようやく静寂が戻る。
端末の向こう側で、レイヴンが鋭く鼻を鳴らす音が聞こえた。
その微かな音さえも、奏にとっては極上の、身体の芯まで蕩けるようなスパイスだった。
『奏。お前の耳は、私の声だけを聴くためにある。汚らわしい雑音に、自分を明け渡すな』
「……はい、っ……ごめんなさい……閣下……僕、もう……あなたの声がないと、壊れちゃいます……」
『わかっている。……明日、予定を切り上げて帰る。それまで一言も喋らず、誰の声も聴かずに、私の残響だけを抱いていろ。いいな?』
「はい……っ、待っています……愛して、います……レイヴン様……」
奏は端末を胸に抱きしめ、レイヴンの「冷たい熱」に包まれながら、ようやく深い眠りへと落ちていった。
自分の愛が、もはや正常なものではないと自覚しながら。
最後に残った甘い余韻さえも、目の前に立つエリオットの存在が、どろどろとした泥水で塗りつぶしていく。
「……あ、……ぁ……」
奏は空になったレコーダーを抱きしめたまま、震えが止まらない。
唯一の救いだった音は消えた。あとに残されたのは、不快な「毒」を撒き散らす男だけだ。
「そんなに絶望しなくてもいいじゃないか。閣下の声が『主食』なら、僕の声はちょっとした『刺激物』として楽しんでよ」
エリオットが、奏の隣に腰を下ろした。
彼が発声するたび、奏の口内には焦げたゴムのような、胸の悪くなる苦味が広がる。
奏は耳を塞ぎ、シーツに顔を押し当てて拒絶を示した。
「やめて……喋らないで……吐き気がする……!」
「へえ、僕の声は吐き気がするほど不味いんだ。それは光栄だね」
エリオットは奏の震える肩を掴み、無理やり自分の方へ向かせた。
眼鏡の奥の瞳が、観察者のそれから、剥き出しの加害者へと変わる。
「共感覚者(シンセステート)……それも、聴覚を味覚に変換するタイプ。君のような希少種が、閣下の手元に置かれているなんて、宝の持ち腐れだ。君を解体して、その脳の回路がどうなっているのか……、直接この目で確かめてみたいよ」
エリオットの声は、徐々に熱を帯びていく。
それは奏にとって、喉の奥に熱い泥を流し込まれるような、耐え難い拷問だった。
「ひ、ぐ……っ、やめ……っ!」
「泣かないで。閣下の声を聞かせてあげたいけれど、あいにく僕はあんな高貴な響きは持っていない。……代わりに、君を肉体的に『調教』して、どんな音でも美味しく感じるように作り替えてあげようか?」
エリオットの指が、奏のパジャマのボタンに手をかけた。
レイヴン以外の男に触れられる恐怖。そして、何よりエリオットが発するすべての音が、奏の精神を汚染していく。
その時。
奏の枕元に置かれていた、レイヴンから支給された専用端末が激しく振動した。
ビデオ通話の着信。
画面に表示されたのは――『RAVEN』。
「……っ!」
奏はエリオットの手を振り払い、必死に端末に飛びついた。
震える指で応答ボタンを押す。
『――奏。私の許可なく、誰と喋っている』
画面越しであっても、その声は圧倒的だった。
一瞬にして、部屋に充満していたエリオットの「泥」が、凍てつくような冷徹な「氷の刃」によって切り裂かれた。
「あ……が、閣下……レイヴン、様……!」
奏は画面に縋り付いた。
レイヴンの声。それは、今や奏にとって生きるための酸素そのものだ。
『……エリオット。貴様、そこにいるな』
画面の中のレイヴンは、氷のように冷たい瞳でこちらを射抜いていた。
背後には戦地のものと思われる硝煙が揺れている。
エリオットは肩をすくめ、わざとらしく溜息をついた。
「おやおや、見つかってしまいましたか。忘れ物を取りに戻ったついでに、小鳥さんの体調を確認していただけですよ」
『二度は言わない。その汚らわしい手を奏から離し、直ちにここへ戻れ。……戻ったあとで、貴様の舌をどうするか、ゆっくりと考えてやる』
「……くく、恐ろしい。承知しました、閣下」
エリオットは奏の耳元で「またね」と、不快な残響を残して部屋を去っていった。
ようやく静寂が戻る。
端末の向こう側で、レイヴンが鋭く鼻を鳴らす音が聞こえた。
その微かな音さえも、奏にとっては極上の、身体の芯まで蕩けるようなスパイスだった。
『奏。お前の耳は、私の声だけを聴くためにある。汚らわしい雑音に、自分を明け渡すな』
「……はい、っ……ごめんなさい……閣下……僕、もう……あなたの声がないと、壊れちゃいます……」
『わかっている。……明日、予定を切り上げて帰る。それまで一言も喋らず、誰の声も聴かずに、私の残響だけを抱いていろ。いいな?』
「はい……っ、待っています……愛して、います……レイヴン様……」
奏は端末を胸に抱きしめ、レイヴンの「冷たい熱」に包まれながら、ようやく深い眠りへと落ちていった。
自分の愛が、もはや正常なものではないと自覚しながら。
11
あなたにおすすめの小説
アプリで都合のいい男になろうとした結果、彼氏がバグりました
あと
BL
「目指せ!都合のいい男!」
穏やか完璧モテ男(理性で執着を押さえつけてる)×親しみやすい人たらし可愛い系イケメン
攻めの両親からの別れろと圧力をかけられた受け。関係は秘密なので、友達に相談もできない。悩んでいる中、どうしても別れたくないため、愛人として、「都合のいい男」になることを決意。人生相談アプリを手に入れ、努力することにする。しかし、攻めに約束を破ったと言われ……?
攻め:深海霧矢
受け:清水奏
前にアンケート取ったら、すれ違い・勘違いものが1位だったのでそれ系です。
ハピエンです。
ひよったら消します。
誤字脱字はサイレント修正します。
また、内容もサイレント修正する時もあります。
定期的にタグも整理します。
批判・中傷コメントはお控えください。
見つけ次第削除いたします。
自己判断で消しますので、悪しからず。
僕の番
結城れい
BL
白石湊(しらいし みなと)は、大学生のΩだ。αの番がいて同棲までしている。最近湊は、番である森颯真(もり そうま)の衣服を集めることがやめられない。気づかれないように少しずつ集めていくが――
※他サイトにも掲載
嫌われ者の長男
りんか
BL
学校ではいじめられ、家でも誰からも愛してもらえない少年 岬。彼の家族は弟達だけ母親は幼い時に他界。一つずつ離れた五人の弟がいる。だけど弟達は岬には無関心で岬もそれはわかってるけど弟達の役に立つために頑張ってるそんな時とある事件が起きて.....
のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした
こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。
親に虐げられてきたβが、Ωと偽ってαと婚約してしまった話
さるやま
BL
◆瑞希(受け)語り
□アキ(攻め)語り
攻め→→→→←←受け
眞鍋秋人(攻め)
優秀なα。真鍋家の次期当主。本質は狡くて狡猾だが、それを上手く隠して好青年を演じている。瑞希にはアキさんと呼ばれている。
高宮瑞希(受け)
Ωと偽っている平凡なβ。幼少期の経験からか自己肯定感が低く、自分に自信がない。自己犠牲的。
有栖蕾
花の精のように美しいと名高い美少年のΩ。アキさんの元婚約者(と言っても、正式な婚約関係になく、幼少期の口約束程度)であり、アキさんのことをまだ好いている。瑞希のことを秋人の婚約者として紹介され、許せない相手になった。
どうせ全部、知ってるくせに。
楽川楽
BL
【腹黒美形×単純平凡】
親友と、飲み会の悪ふざけでキスをした。単なる罰ゲームだったのに、どうしてもあのキスが忘れられない…。
飲み会のノリでしたキスで、親友を意識し始めてしまった単純な受けが、まんまと腹黒攻めに捕まるお話。
※fujossyさんの属性コンテスト『ノンケ受け』部門にて優秀賞をいただいた作品です。
俺の体に無数の噛み跡。何度も言うが俺はαだからな?!いくら噛んでも、番にはなれないんだぜ?!
汀
BL
背も小さくて、オメガのようにフェロモンを振りまいてしまうアルファの睟。そんな特異体質のせいで、馬鹿なアルファに体を噛まれまくるある日、クラス委員の落合が………!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる