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9話
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一条さんのコンペは無事に通過したものの、次は詳細設計というさらなる激務が待っていた。
ここ数日の一条さんは、食事を摂るのさえ惜しんでデスクにかじりついている。佐々木さんからも「一条が限界を超えそうです。藤代様、どうか……」と泣きつかれ、僕は決意した。
「一条さん。今週、コンペの山場を越えるまで、僕、ここに泊まり込みます」
その言葉を聞いた瞬間、一条さんの万年筆が止まった。
眼鏡の奥の瞳が、驚いたように僕を捉える。
「……泊まる? 君の仕事はどうするんだ」
「ちゃんとここから通います。一条さんが『あと一口』を食べるのを、僕が見届けるためです。……ダメ、ですか?」
一条さんはしばらく黙っていたが、やがて小さく溜息をつき、視線をデスクに戻した。
「……勝手にしろ。ただし、ベッドは一つしかない」
「あ、それは……ソファで大丈夫ですから!」
そうして始まった、三日間の「特別合宿」。
仕事から帰ってきた僕が夕飯を作り、深夜まで作業を続ける一条さんの横で、僕も読書をしたり明日の献立を考えたりして過ごす。
同じ空間に誰かがいる。それだけのことが、これほどまでに部屋の空気を柔らかくするなんて知らなかった。
二日目の夜。
日付が変わった頃、一条さんがようやくキーボードを叩く手を止めた。
「藤代。……もう、限界だ」
一条さんは椅子から崩れ落ちるように立ち上がり、フラフラと寝室へ向かった。
僕は慌てて、温めたホットミルクを持って後を追う。
「一条さん、これを飲んでから寝てくださ……わっ!」
寝室の入り口で、足をもつれさせた一条さんの体が、僕の方へ倒れ込んできた。
慌てて支えようとしたけれど、彼との体格差には勝てず、僕たちは二人揃ってベッドの上へ倒れ込んだ。
「……痛たた……。大丈夫ですか、一条さん」
「…………」
返事がない。見ると、一条さんは僕の肩に顔を埋めたまま、深い眠りに落ちていた。
規則的な寝息が、僕の鎖骨あたりをくすぐる。
至近距離で感じる、一条さんの体温。石鹸と、微かなタバコと、インクの混じった彼の匂い。
……あ。動けない。
一条さんの長い腕が、無意識に僕の腰に回された。
それは逃がさないための拘束ではなく、まるで大切な抱き枕を抱くような、穏やかで切実な重みだった。
暗い部屋の中で、僕の心臓の音だけがうるさいほど響く。
月明かりが窓から差し込み、一条さんの端正な寝顔を照らしていた。
普段の厳しい表情が消えた彼は、まるで無垢な子供のようで――僕は気づけば、そっと彼の髪に指を伸ばしていた。
……一条さんは、僕のごはんが「救済だ」って言ってくれた。
でも、僕の方こそ救われてる。
誰かにこうして、ただ真っ直ぐに必要とされることが、こんなに心地いいなんて。
ただ、この人が明日も元気に笑って、美味しいと言ってくれるなら。
その隣に僕がいることが許されるなら、それだけでいい。
「……おやすみなさい、一条さん」
僕は逃げ出すのを諦め、彼に抱き寄せられたまま、ゆっくりと目を閉じた。
翌朝、先に目を覚ました一条さんが、驚きと――それから、見たこともないような優しい眼差しで僕を見つめていることに、僕はまだ気づいていなかった。
ここ数日の一条さんは、食事を摂るのさえ惜しんでデスクにかじりついている。佐々木さんからも「一条が限界を超えそうです。藤代様、どうか……」と泣きつかれ、僕は決意した。
「一条さん。今週、コンペの山場を越えるまで、僕、ここに泊まり込みます」
その言葉を聞いた瞬間、一条さんの万年筆が止まった。
眼鏡の奥の瞳が、驚いたように僕を捉える。
「……泊まる? 君の仕事はどうするんだ」
「ちゃんとここから通います。一条さんが『あと一口』を食べるのを、僕が見届けるためです。……ダメ、ですか?」
一条さんはしばらく黙っていたが、やがて小さく溜息をつき、視線をデスクに戻した。
「……勝手にしろ。ただし、ベッドは一つしかない」
「あ、それは……ソファで大丈夫ですから!」
そうして始まった、三日間の「特別合宿」。
仕事から帰ってきた僕が夕飯を作り、深夜まで作業を続ける一条さんの横で、僕も読書をしたり明日の献立を考えたりして過ごす。
同じ空間に誰かがいる。それだけのことが、これほどまでに部屋の空気を柔らかくするなんて知らなかった。
二日目の夜。
日付が変わった頃、一条さんがようやくキーボードを叩く手を止めた。
「藤代。……もう、限界だ」
一条さんは椅子から崩れ落ちるように立ち上がり、フラフラと寝室へ向かった。
僕は慌てて、温めたホットミルクを持って後を追う。
「一条さん、これを飲んでから寝てくださ……わっ!」
寝室の入り口で、足をもつれさせた一条さんの体が、僕の方へ倒れ込んできた。
慌てて支えようとしたけれど、彼との体格差には勝てず、僕たちは二人揃ってベッドの上へ倒れ込んだ。
「……痛たた……。大丈夫ですか、一条さん」
「…………」
返事がない。見ると、一条さんは僕の肩に顔を埋めたまま、深い眠りに落ちていた。
規則的な寝息が、僕の鎖骨あたりをくすぐる。
至近距離で感じる、一条さんの体温。石鹸と、微かなタバコと、インクの混じった彼の匂い。
……あ。動けない。
一条さんの長い腕が、無意識に僕の腰に回された。
それは逃がさないための拘束ではなく、まるで大切な抱き枕を抱くような、穏やかで切実な重みだった。
暗い部屋の中で、僕の心臓の音だけがうるさいほど響く。
月明かりが窓から差し込み、一条さんの端正な寝顔を照らしていた。
普段の厳しい表情が消えた彼は、まるで無垢な子供のようで――僕は気づけば、そっと彼の髪に指を伸ばしていた。
……一条さんは、僕のごはんが「救済だ」って言ってくれた。
でも、僕の方こそ救われてる。
誰かにこうして、ただ真っ直ぐに必要とされることが、こんなに心地いいなんて。
ただ、この人が明日も元気に笑って、美味しいと言ってくれるなら。
その隣に僕がいることが許されるなら、それだけでいい。
「……おやすみなさい、一条さん」
僕は逃げ出すのを諦め、彼に抱き寄せられたまま、ゆっくりと目を閉じた。
翌朝、先に目を覚ました一条さんが、驚きと――それから、見たこともないような優しい眼差しで僕を見つめていることに、僕はまだ気づいていなかった。
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