限界社畜の僕がお隣の偏食な天才建築家に「美味しい」を教えることになった件~週末ごはんで育むじれったい恋の味~

たら昆布

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11話

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 一条さんが心血を注いできた「北欧国立美術館コンペ」。その最終審査の結果が、ついに発表された。
 結果は――最優秀賞。世界中の名だたる建築家を抑え、一条慧の名が、建築界の歴史に刻まれた瞬間だった。

 そのニュースは瞬く間に広がり、お隣の406号室には、お祝いの電話や花束が絶え間なく届けられた。
 僕はと言えば、自分のことのように嬉しくて、今夜は一条さんの好きな食材を奮発して「お祝い御膳」を作ろうと、スーパーで一人浮き足立っていた。

「……藤代。今夜だが、急遽、業界の祝賀パーティーに出席することになった」

 夕方、一条さんから届いたメッセージに、僕は少しだけ肩を落とした。
 そうだよね。あんなにすごい賞を取ったんだ。僕が作る家のごはんよりも、もっと豪華な場所で、もっとすごい人たちに囲まれて祝われるべき人なんだ。

「了解しました! 素晴らしいですね、本当におめでとうございます。今夜のごはんはまた後日、落ち着いた時に」

 そう返信して、買い物カゴに入れた高級な牛肉をそっと棚に戻そうとした時。
 スマホが震えた。一条さんからの着信だった。

「……藤代か。今、どこにいる」

「あ、スーパーです。お祝いの準備をしようと思って」

「そうか。なら、肉を買うのはやめて、すぐに家に戻ってきてくれ。……佐々木を向かわせた。君にも、そのパーティーに同伴してほしい」

「えっ……!? ぼ、僕がですか? でも、あんな華やかな場所、僕みたいな一般人が行っても……」

「俺が、君に来てほしいと言っているんだ。……頼めるか?」

 一条さんの、低く、どこか切実な声。
 僕は断ることができず、気づけば佐々木さんが用意した高級な車に乗り込み、一流のサロンで髪を整えられ、袖を通したこともないような上質なダークスーツを纏っていた。

 ◇

 会場は、都内の五つ星ホテルの大宴会場だった。
 クリスタルのシャンデリアが眩い光を放ち、会場にはタキシードやドレスを纏った有名人や実業家たちがひしめき合っている。
 
「……一条さん、やっぱり場違いです。僕、帰ったほうがいいんじゃ……」

 隣に立つ一条さんは、完璧に仕立てられたタキシードを纏い、まるで神話の神様のような神々しさを放っていた。
 彼は不安に震える僕の手を、大勢の視線があるのも構わずに、ぐいと引き寄せた。

「……俺の隣にいろ。俺が今、一番見てほしいのは、加賀美でも、名誉会長でもない。君だ」

 一条さんはそう言うと、僕を連れて会場の中央へと歩き出した。
 次から次へと挨拶に来る人々。一条さんは彼らと冷徹なまでに完璧な社交辞令を交わしていくが、その左手は、僕の背中を支えるように常に添えられていた。

 やがて、以前事務所で見かけた加賀美さんが、豪華なドレス姿で近づいてきた。

「慧くん、本当におめでとう! 世界一の建築家ね。……あら、そちらの彼は……?」

 加賀美さんの視線が、場違いなほど緊張している僕に向けられる。
 その瞳には、隠しきれない好奇心と、少しの皮肉が混じっていた。

「藤代凪くんだ。……俺の、一番大切なパートナーだ」

 一条さんは、迷いもなくそう言い切った。
 『パートナー』。その言葉の響きに、僕の心臓が跳ね上がる。
 建築のパートナーでもなく、ただの隣人でもなく、彼は僕を、対等な「人生の同行者」として紹介してくれたのだ。

「……ふうん。慧くんをここまで変えたのが、あのお料理上手な彼なのね。……納得したわ。貴方の建築に足りなかった『温度』は、彼からもらっていたのね」

 加賀美さんは少しだけ寂しそうに笑うと、グラスを掲げて去っていった。
 
 パーティーの中盤。一条さんはスピーチのために壇上に上がった。
 眩いスポットライトを浴びる彼は、間違いなく世界の中心にいた。
 
「……今回の受賞は、私一人の力ではありません」

 マイクを通した一条さんの声が、静まり返った会場に響く。

「建築とは、人が生きていくための器です。私は長い間、その器を美しく飾ることばかりを考えていました。……ですが、ある人の存在が、私に教えてくれました。その器の中に何を満たすべきか。温かな湯気、包丁の音、そして共に食べる時間の尊さを」

 一条さんの視線が、真っ直ぐに、会場の隅にいる僕を捉えた。

「彼が作ってくれた『日常』こそが、私の設計図に命を吹き込んでくれました。この賞は、彼と共に勝ち取ったものです」

 会場から割れんばかりの拍手が沸き起こる。
 僕は、視界が涙で滲んでいくのを止められなかった。
 
 自分を「重い」と、価値がないと決めつけていた日々。
 でも、一条さんは僕の小さな、けれど精一杯の献身を、世界で一番価値のあるものとして肯定してくれた。

 パーティーが終わった後。
 ホテルのバルコニーで、夜風に当たりながら、一条さんは僕の隣に立った。
 
「……疲れたか」

「いえ。……一条さん、あんなスピーチ、僕、もったいなくて……」

「事実だ。……藤代、俺は今日、確信した」

 一条さんは僕の方を向き、僕の頬を両手で優しく挟み込んだ。
 
「どんなに華やかな賞賛も、君が『美味しい』と笑ってくれる瞬間の幸福には敵わない。……俺は、これからも君の料理を食べ続けたい。……いや。君の隣で、生きていきたい」

 これは、二人の人間が、お互いの魂の欠片を補い合い、寄り添っていくための「愛」だ。

「……僕もです。一条さん。……お家へ帰りましょう。僕、一条さんのために、とっておきのお祝いごはん、作りたいんです」

「ああ。……帰ろう。俺たちの、家に」

 一条さんの唇が、僕の額にそっと触れた。
 それは、どんな宝石よりも価値のある、僕への最初のご褒美だった。
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