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20話
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城全体を包み込んでいた真っ白な薔薇の花弁が、淡い光の粒子となって夕闇に溶けていく。執務室の窓からは、騒乱の終わりを告げる穏やかな残照が差し込み、革張りのソファで身を縮めるニルスを赤く染めていた。
ニルスは自分の掌を見つめたまま、微かに震えていた。先ほど、隣に座るギデオンへすべての真実を白状したばかりだ。トビーがその場のノリで口走った「高潔な騎士であるギデオンに可愛いと言われ続けなければ死ぬ」という呪いの条件が、救いようのない大嘘であったことを。
「……ギデオン様。俺、トビーがあんなことを言ったとき、すぐに否定すればよかったんです。でも、ギデオン様に触れられるのが嬉しくて、怖いのに離れたくなくて。死ぬなんて嘘だったのに、俺、最低です。あの日浴びた師匠の薬のせいでキラキラが止まらないのをいいことに、ずっと甘えていました」
ニルスの瞳から溢れた涙が床に落ちると、小さなクリスタルの蝶となって虚空へと消えた。罪悪感で押し潰されそうな胸の奥から、ヒュウと冷たい風が吹き抜ける。
沈黙が部屋を支配した。ギデオンは椅子から立ち上がると、ニルスの前に歩み寄り、その細い手を厚い掌で包み込んだ。
「トビー殿があの日言った条件が嘘であることなど、少し前から気づいていた」
静かだが断固とした声。ニルスは驚きに顔を上げた。
「気づいて、いたんですか? それなのに、なんで……」
「私は騎士だ。守るべき対象の呼吸も、心音も、命の灯火も、常に観察している。君のそれは、死に向かう者の影ではなく、生への歓喜に満ちた輝きだった。……だが、それでも私は救命活動を止めなかった。君を傍に置くための口実として、私もまた、その嘘を利用していたのだ」
ギデオンの瑠璃色の瞳に、自嘲気味な、けれどどこまでも深い慈愛の色が宿る。彼はニルスの頬に触れ、親指で涙を拭った。
「嘘に縋らなければならないほど、私は君との接点を求めていた。卑怯なのは私の方だ、ニルス」
「でも、あの瓶……。俺、あの日本当にカスパール様の部屋を掃除中に、クシャミをして青い小瓶を割っちゃったんです。それで、この変なキラキラが出るようになって」
ニルスがおずおずと「始まりの事故」について口にすると、ギデオンは意外そうに眉を跳ねさせた。
「瓶だと?ニルス、今なんと言った。そのキラキラは、あの日浴びた薬液によるものだったのか」
「え、あ、はい。感情感応型エフェクト増幅薬とかいう……」
「私はてっきり、君の固有魔力が暴走しているだけだと思っていた。……カスパール閣下、そこにいるのだろう。ニルスにかけたその薬の真実を、今すぐ説明してもらおうか」
ギデオンが部屋の影に向かって鋭い声を上げると、ふわりと紫の煙が立ち込め、カスパールが姿を現した。
「おやおや。ついにバレてしまったか。そうだよ閣下、ニルス君はただの事故で私の試作薬を被っただけだ。……君には死ぬほどの呪いだと思わせておいた方が、必死になって彼を愛でると思ったのさ」
「師匠!俺を実験台にして楽しんでたんですね!これ、いつになったら治るんですか!」
ニルスが詰め寄ると、カスパールは鼻を鳴らして、呆れたように言い放った。
「治すも何も、あの日、私が言った条件を覚えているかい?『強固な聖なる力を持つ者に触れられる』こと。王国最強の聖騎士にこれだけ毎日、四六時中ベタベタと触れられて、浄化されない魔力なんてこの世に存在しないよ。……今の君を見てごらんよ」
カスパールに言われ、ニルスが自分の手元を確認する。
すると、あんなに四六時中噴き出していたラメや花びらが、嘘のように霧散していた。ギデオンの掌が触れている部分から、清涼な魔力が全身に広がり、内側で暴れていた成分が静かに浄化されていく。
「消えた。キラキラが、止まってます……!」
「当たり前だ。これだけ閣下に愛されて、浄化されない薬なんて私の辞書にはないよ。……ただ、君が嘘をついているという罪悪感で常にパニックになって、自分でエフェクトを供給し続けていただけだ。心の平穏を取り戻せば、その薬の効果なんてとっくに切れているのさ」
カスパールはケラケラと笑いながら、煙と共に部屋を去っていった。
残されたのは、静まり返った執務室と、呆然と立ち尽くすニルス、そして彼を優しく見守るギデオンだけだった。
「……よかった、ですね。ギデオン様。俺のキラキラの原因もわかったし、これでやっと、救命活動も終わりです。明日からは、また普通の研究生に戻れます」
ニルスがどこか寂しげに、しかし精一杯の笑顔でそう言った、その時だった。
「……いや。救命活動は終わりだが、私の日課を止めるつもりはないぞ」
ギデオンはニルスの頬を包み込むと、至近距離からその瑠璃色の瞳で彼を射抜いた。そこに宿っているのは、騎士としての義務感ではなく、一人の男としての、真っ直ぐで不器用な情熱だった。
「薬のせいであろうとなかろうと、君が愛らしいという事実に変わりはない。……ニルス。嘘も呪いも関係なく、私は君自身を心から慕っている。これからは救命の名目ではなく、一人の男として、君の隣にいたい」
「え、それって……」
「告白だ。君がよければ、これからも私の傍で、その輝きを私だけに見せてはくれないか」
「ギデオン様……。俺、俺も……ギデオン様の不器用なところとか、優しいところ、全部大好きです。俺でよければ、ずっと一緒にいたいです!」
ドドォォォォォォォォンッ!!!!
ニルスの羞恥心と歓喜が、薬の助けを借りずに爆発した。
執務室の床から、今度はピンク色の巨大なハート型のクッションがポコポコと噴き出し、ギデオンとニルスを柔らかく埋めていく。薬は浄化されたはずなのに、ニルス自身の純粋すぎる魔力が、ギデオンへの溢れんばかりの愛に反応して新たな実体を作り出してしまったのだ。
「師匠のバカー!!全然治ってないじゃないですかぁぁ!」
「いい。これは薬のせいではなく、君の愛の重さだ。私がすべて受け止めよう」
ギデオンはクッションに埋もれながら、幸せそうに叫ぶニルスを力強く抱き寄せた。
嘘から始まった二人の物語は、あまりに眩しい真実の愛へと上書きされ、鳴り止まない祝福の光の中で、最高に賑やかな大団円を迎えた。
不器用な騎士と、愛されすぎた魔導師。
二人の前には、毎日が祝祭のように眩しいハッピーエンドが、どこまでも続いていくのである。
ニルスは自分の掌を見つめたまま、微かに震えていた。先ほど、隣に座るギデオンへすべての真実を白状したばかりだ。トビーがその場のノリで口走った「高潔な騎士であるギデオンに可愛いと言われ続けなければ死ぬ」という呪いの条件が、救いようのない大嘘であったことを。
「……ギデオン様。俺、トビーがあんなことを言ったとき、すぐに否定すればよかったんです。でも、ギデオン様に触れられるのが嬉しくて、怖いのに離れたくなくて。死ぬなんて嘘だったのに、俺、最低です。あの日浴びた師匠の薬のせいでキラキラが止まらないのをいいことに、ずっと甘えていました」
ニルスの瞳から溢れた涙が床に落ちると、小さなクリスタルの蝶となって虚空へと消えた。罪悪感で押し潰されそうな胸の奥から、ヒュウと冷たい風が吹き抜ける。
沈黙が部屋を支配した。ギデオンは椅子から立ち上がると、ニルスの前に歩み寄り、その細い手を厚い掌で包み込んだ。
「トビー殿があの日言った条件が嘘であることなど、少し前から気づいていた」
静かだが断固とした声。ニルスは驚きに顔を上げた。
「気づいて、いたんですか? それなのに、なんで……」
「私は騎士だ。守るべき対象の呼吸も、心音も、命の灯火も、常に観察している。君のそれは、死に向かう者の影ではなく、生への歓喜に満ちた輝きだった。……だが、それでも私は救命活動を止めなかった。君を傍に置くための口実として、私もまた、その嘘を利用していたのだ」
ギデオンの瑠璃色の瞳に、自嘲気味な、けれどどこまでも深い慈愛の色が宿る。彼はニルスの頬に触れ、親指で涙を拭った。
「嘘に縋らなければならないほど、私は君との接点を求めていた。卑怯なのは私の方だ、ニルス」
「でも、あの瓶……。俺、あの日本当にカスパール様の部屋を掃除中に、クシャミをして青い小瓶を割っちゃったんです。それで、この変なキラキラが出るようになって」
ニルスがおずおずと「始まりの事故」について口にすると、ギデオンは意外そうに眉を跳ねさせた。
「瓶だと?ニルス、今なんと言った。そのキラキラは、あの日浴びた薬液によるものだったのか」
「え、あ、はい。感情感応型エフェクト増幅薬とかいう……」
「私はてっきり、君の固有魔力が暴走しているだけだと思っていた。……カスパール閣下、そこにいるのだろう。ニルスにかけたその薬の真実を、今すぐ説明してもらおうか」
ギデオンが部屋の影に向かって鋭い声を上げると、ふわりと紫の煙が立ち込め、カスパールが姿を現した。
「おやおや。ついにバレてしまったか。そうだよ閣下、ニルス君はただの事故で私の試作薬を被っただけだ。……君には死ぬほどの呪いだと思わせておいた方が、必死になって彼を愛でると思ったのさ」
「師匠!俺を実験台にして楽しんでたんですね!これ、いつになったら治るんですか!」
ニルスが詰め寄ると、カスパールは鼻を鳴らして、呆れたように言い放った。
「治すも何も、あの日、私が言った条件を覚えているかい?『強固な聖なる力を持つ者に触れられる』こと。王国最強の聖騎士にこれだけ毎日、四六時中ベタベタと触れられて、浄化されない魔力なんてこの世に存在しないよ。……今の君を見てごらんよ」
カスパールに言われ、ニルスが自分の手元を確認する。
すると、あんなに四六時中噴き出していたラメや花びらが、嘘のように霧散していた。ギデオンの掌が触れている部分から、清涼な魔力が全身に広がり、内側で暴れていた成分が静かに浄化されていく。
「消えた。キラキラが、止まってます……!」
「当たり前だ。これだけ閣下に愛されて、浄化されない薬なんて私の辞書にはないよ。……ただ、君が嘘をついているという罪悪感で常にパニックになって、自分でエフェクトを供給し続けていただけだ。心の平穏を取り戻せば、その薬の効果なんてとっくに切れているのさ」
カスパールはケラケラと笑いながら、煙と共に部屋を去っていった。
残されたのは、静まり返った執務室と、呆然と立ち尽くすニルス、そして彼を優しく見守るギデオンだけだった。
「……よかった、ですね。ギデオン様。俺のキラキラの原因もわかったし、これでやっと、救命活動も終わりです。明日からは、また普通の研究生に戻れます」
ニルスがどこか寂しげに、しかし精一杯の笑顔でそう言った、その時だった。
「……いや。救命活動は終わりだが、私の日課を止めるつもりはないぞ」
ギデオンはニルスの頬を包み込むと、至近距離からその瑠璃色の瞳で彼を射抜いた。そこに宿っているのは、騎士としての義務感ではなく、一人の男としての、真っ直ぐで不器用な情熱だった。
「薬のせいであろうとなかろうと、君が愛らしいという事実に変わりはない。……ニルス。嘘も呪いも関係なく、私は君自身を心から慕っている。これからは救命の名目ではなく、一人の男として、君の隣にいたい」
「え、それって……」
「告白だ。君がよければ、これからも私の傍で、その輝きを私だけに見せてはくれないか」
「ギデオン様……。俺、俺も……ギデオン様の不器用なところとか、優しいところ、全部大好きです。俺でよければ、ずっと一緒にいたいです!」
ドドォォォォォォォォンッ!!!!
ニルスの羞恥心と歓喜が、薬の助けを借りずに爆発した。
執務室の床から、今度はピンク色の巨大なハート型のクッションがポコポコと噴き出し、ギデオンとニルスを柔らかく埋めていく。薬は浄化されたはずなのに、ニルス自身の純粋すぎる魔力が、ギデオンへの溢れんばかりの愛に反応して新たな実体を作り出してしまったのだ。
「師匠のバカー!!全然治ってないじゃないですかぁぁ!」
「いい。これは薬のせいではなく、君の愛の重さだ。私がすべて受け止めよう」
ギデオンはクッションに埋もれながら、幸せそうに叫ぶニルスを力強く抱き寄せた。
嘘から始まった二人の物語は、あまりに眩しい真実の愛へと上書きされ、鳴り止まない祝福の光の中で、最高に賑やかな大団円を迎えた。
不器用な騎士と、愛されすぎた魔導師。
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