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番外編3
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深い闇を切り裂くように、巨大な鉄製の門が重厚な音を立てて左右に開かれた。
隣国の軍事拠点である紅蓮の砦へと馬車が足を踏み入れた瞬間、車内に流れ込んできたのは、冬の夜風を瞬時に蒸発させるほどの苛烈な熱気だった。そこら中で焚かれた篝火の爆ぜる音と、深夜まで訓練に励む騎士たちの威勢の良い掛け声が、高くそびえる石壁に反響して不気味な地鳴りのように響いている。
ユリアンは、窓から見える我が国の光景に満足げに鼻を鳴らすと、隣の座席で再び膝を震わせ始めたトビーを力任せに小突いた。
「おい、小僧!いつまで震えてやがる。ここが俺の誇る炎の騎士団の本拠地だ。王都の軟弱者どもには一生拝めない、真の勇者が集う場所だぞ!」
ユリアンの分厚い掌が背中を叩くたび、トビーの体は座席の上でぽよんと跳ねる。
トビーは短く刈り込んだ黒髪をわしゃわしゃと掻き乱し、冷や汗を拭いながら窓の外を眺めた。視界に入るのは、自分よりも二回りは大きい巨漢たちが、燃え盛る炎のような赤いマントを翻して行き交う姿だ。
「……うわ。すごいっていうか、これ、軍隊っていうより猛獣の檻ですよ。団長様、ここの人たちは冬でも裸で過ごせそうですね。……っていうか、俺、本当にここに放り込まれるんですか?」
「当たり前だ。貴様は俺が金貨を払って買い取った従者だからな。今さら逃げようなんて思うなよ」
「逃げませんよ、逃げても一秒で捕まるに決まってるじゃないですか!……はぁ、俺の人生、どうしてこうなったんだ。ニルス、今頃あったかいベッドで寝てるんだろうなぁ……」
トビーは自嘲気味に笑い、震える足を必死に手で押さえた。彼はユリアンの熱気に当てられ、極限の緊張状態にある。だが、それでも持ち前のお節介な性分が、独りで寂しく酒を煽っていたこの男を放っておくことを許さなかった。
馬車が中庭の中央で停車すると、整列していた騎士たちが一斉に敬礼をして主の帰還を待っていた。ユリアンは馬車の扉を開けると、足の竦んでいるトビーの襟首を掴み、強引に外へと引き摺り下ろした。
「団長閣下、お帰りなさいませ!」
屈強な騎士たちの野太い声が、大気を震わせる。
深紅の鎧を纏った副官の男が、ユリアンの背後に隠れるように立ち、怯えた猫のように周囲を伺っている黒髪の少年に怪訝そうな視線を向けた。
「……閣下。そちらの少年は?今回の外交任務に、随行員を増やす予定はなかったはずですが」
「こいつか?こいつは今日から俺の直属の従者だ。名前はトビー。……王都で見初め、俺が直々に連れてきた。いわば、戦利品のようなものだ!」
ユリアンが豪快に胸を張って宣言すると、広場に微妙な沈黙が流れた。
戦利品という言葉の響きに、騎士たちが「まさか、あの閣下が少年に手を……?」とあらぬ想像を巡らせたのを察知したのか、トビーはひょいとユリアンの影から顔を出した。
「どうもー!魔導院から来ました、トビーです!団長様があまりにも寂しそうに独りで酒飲んでたんで、賑やかしとしてスカウトされてきました!あ、その、変な趣味とかじゃないんで、皆さん、怖い顔しないでくださいね!」
トビーは引き攣った笑顔を浮かべ、騎士たちに向かって必死に手を振って挨拶をした。
その物怖じしない、それでいて死ぬほど震えている小動物のような態度に、騎士団の男たちは呆気にとられて剣を握る手から力が抜けていく。
「賑やかしだと?閣下、この少年は一体……」
「お、おい!トビー、貴様!余計なことを言うなと言っただろうが!こいつはただの従者だ、俺の身の回りの世話をさせるために連れてきたんだ!」
「えっ、団長様、お世話係って言ってたじゃないですか。いいですよ、俺、お調子者だってニルスによく怒られますから。団長様が夜中に寂しくなって枕を濡らさないように、面白い小話でも何でも披露してあげますって!」
「誰が枕を濡らすか!いいからさっさと来い!」
ユリアンは顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、トビーの腕を掴んで奥の塔へと引きずっていった。
トビーは宙に浮いた足でジタバタしながらも、「皆さん、また後でねー!美味しい夜食、期待してますからー!」と騎士たちに愛想を振り撒いている。
自室へと続く廊下を歩きながら、ユリアンは己の掌が異常なほど熱を帯びていることに気づいた。
あの日、ギデオンを失った喪失感を埋めるために衝動的に連れ去ったはずのこの少年。だが、トビーの明るい声が響くたびに、砦を支配していた重苦しい沈黙が嘘のように消えていくのを、ユリアンは認めざるを得なかった。
部屋に入り、ユリアンはトビーをふかふかのソファに放り出した。
トビーは「わあ、隣国のソファは弾力が違いますね!」と跳ねて楽しんでいるが、その指先は依然として微かに震えたままだ。
「……貴様。ここは王都ではないんだぞ。少しは緊張感というものを持て」
「持ってますよー。どのタイミングで逃げ出そうかなって、一秒に一回は考えてます。……なんて、冗談ですよ。それより団長様、背中の鎧外すの手伝いましょうか? 俺、こう見えて結構器用なんです。ニルスの看病もよくやってましたし」
トビーがおどけた調子でユリアンの背後に回り込み、震える指先で鎧の留め金に触れた。
至近距離から伝わるトビーの体温と、短く刈り込んだ黒髪がユリアンの首筋をかすめる。
ユリアンは、自分がかつてないほど激しい動揺に襲われているのを悟った。
「……触るな!自分でできる!」
「つれないなぁ。じゃあ、俺は夕飯が来るまでここで大人しくしてます。団長様。あんた、ここに戻ってくると、王都にいた時よりちょっとだけ顔が怖いです。……でも、少しだけ、安心した顔もしてますね」
トビーの鋭い、しかし温かな指摘に、ユリアンは言葉を失った。
紅蓮の城の夜は、二人を包み込むような、不思議で心地よい熱気と共に更けていく。
ユリアンは、ソファで丸くなろうとするトビーの自由奔放さに溜息を吐きながらも、自分の内側が、徐々に解かされていくのを感じていた。
隣国の軍事拠点である紅蓮の砦へと馬車が足を踏み入れた瞬間、車内に流れ込んできたのは、冬の夜風を瞬時に蒸発させるほどの苛烈な熱気だった。そこら中で焚かれた篝火の爆ぜる音と、深夜まで訓練に励む騎士たちの威勢の良い掛け声が、高くそびえる石壁に反響して不気味な地鳴りのように響いている。
ユリアンは、窓から見える我が国の光景に満足げに鼻を鳴らすと、隣の座席で再び膝を震わせ始めたトビーを力任せに小突いた。
「おい、小僧!いつまで震えてやがる。ここが俺の誇る炎の騎士団の本拠地だ。王都の軟弱者どもには一生拝めない、真の勇者が集う場所だぞ!」
ユリアンの分厚い掌が背中を叩くたび、トビーの体は座席の上でぽよんと跳ねる。
トビーは短く刈り込んだ黒髪をわしゃわしゃと掻き乱し、冷や汗を拭いながら窓の外を眺めた。視界に入るのは、自分よりも二回りは大きい巨漢たちが、燃え盛る炎のような赤いマントを翻して行き交う姿だ。
「……うわ。すごいっていうか、これ、軍隊っていうより猛獣の檻ですよ。団長様、ここの人たちは冬でも裸で過ごせそうですね。……っていうか、俺、本当にここに放り込まれるんですか?」
「当たり前だ。貴様は俺が金貨を払って買い取った従者だからな。今さら逃げようなんて思うなよ」
「逃げませんよ、逃げても一秒で捕まるに決まってるじゃないですか!……はぁ、俺の人生、どうしてこうなったんだ。ニルス、今頃あったかいベッドで寝てるんだろうなぁ……」
トビーは自嘲気味に笑い、震える足を必死に手で押さえた。彼はユリアンの熱気に当てられ、極限の緊張状態にある。だが、それでも持ち前のお節介な性分が、独りで寂しく酒を煽っていたこの男を放っておくことを許さなかった。
馬車が中庭の中央で停車すると、整列していた騎士たちが一斉に敬礼をして主の帰還を待っていた。ユリアンは馬車の扉を開けると、足の竦んでいるトビーの襟首を掴み、強引に外へと引き摺り下ろした。
「団長閣下、お帰りなさいませ!」
屈強な騎士たちの野太い声が、大気を震わせる。
深紅の鎧を纏った副官の男が、ユリアンの背後に隠れるように立ち、怯えた猫のように周囲を伺っている黒髪の少年に怪訝そうな視線を向けた。
「……閣下。そちらの少年は?今回の外交任務に、随行員を増やす予定はなかったはずですが」
「こいつか?こいつは今日から俺の直属の従者だ。名前はトビー。……王都で見初め、俺が直々に連れてきた。いわば、戦利品のようなものだ!」
ユリアンが豪快に胸を張って宣言すると、広場に微妙な沈黙が流れた。
戦利品という言葉の響きに、騎士たちが「まさか、あの閣下が少年に手を……?」とあらぬ想像を巡らせたのを察知したのか、トビーはひょいとユリアンの影から顔を出した。
「どうもー!魔導院から来ました、トビーです!団長様があまりにも寂しそうに独りで酒飲んでたんで、賑やかしとしてスカウトされてきました!あ、その、変な趣味とかじゃないんで、皆さん、怖い顔しないでくださいね!」
トビーは引き攣った笑顔を浮かべ、騎士たちに向かって必死に手を振って挨拶をした。
その物怖じしない、それでいて死ぬほど震えている小動物のような態度に、騎士団の男たちは呆気にとられて剣を握る手から力が抜けていく。
「賑やかしだと?閣下、この少年は一体……」
「お、おい!トビー、貴様!余計なことを言うなと言っただろうが!こいつはただの従者だ、俺の身の回りの世話をさせるために連れてきたんだ!」
「えっ、団長様、お世話係って言ってたじゃないですか。いいですよ、俺、お調子者だってニルスによく怒られますから。団長様が夜中に寂しくなって枕を濡らさないように、面白い小話でも何でも披露してあげますって!」
「誰が枕を濡らすか!いいからさっさと来い!」
ユリアンは顔を真っ赤にして怒鳴り散らし、トビーの腕を掴んで奥の塔へと引きずっていった。
トビーは宙に浮いた足でジタバタしながらも、「皆さん、また後でねー!美味しい夜食、期待してますからー!」と騎士たちに愛想を振り撒いている。
自室へと続く廊下を歩きながら、ユリアンは己の掌が異常なほど熱を帯びていることに気づいた。
あの日、ギデオンを失った喪失感を埋めるために衝動的に連れ去ったはずのこの少年。だが、トビーの明るい声が響くたびに、砦を支配していた重苦しい沈黙が嘘のように消えていくのを、ユリアンは認めざるを得なかった。
部屋に入り、ユリアンはトビーをふかふかのソファに放り出した。
トビーは「わあ、隣国のソファは弾力が違いますね!」と跳ねて楽しんでいるが、その指先は依然として微かに震えたままだ。
「……貴様。ここは王都ではないんだぞ。少しは緊張感というものを持て」
「持ってますよー。どのタイミングで逃げ出そうかなって、一秒に一回は考えてます。……なんて、冗談ですよ。それより団長様、背中の鎧外すの手伝いましょうか? 俺、こう見えて結構器用なんです。ニルスの看病もよくやってましたし」
トビーがおどけた調子でユリアンの背後に回り込み、震える指先で鎧の留め金に触れた。
至近距離から伝わるトビーの体温と、短く刈り込んだ黒髪がユリアンの首筋をかすめる。
ユリアンは、自分がかつてないほど激しい動揺に襲われているのを悟った。
「……触るな!自分でできる!」
「つれないなぁ。じゃあ、俺は夕飯が来るまでここで大人しくしてます。団長様。あんた、ここに戻ってくると、王都にいた時よりちょっとだけ顔が怖いです。……でも、少しだけ、安心した顔もしてますね」
トビーの鋭い、しかし温かな指摘に、ユリアンは言葉を失った。
紅蓮の城の夜は、二人を包み込むような、不思議で心地よい熱気と共に更けていく。
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