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15話
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ロロが「愛してる」と告げてから、どれほどの時間が経っただろうか。
午後の柔らかな光は少しずつその色を濃くし、サンルームにはオレンジ色の夕刻が忍び寄っていた。
ヴァルは、ロロを膝の上に乗せたまま、一向に離そうとしなかった。
大きな手が、ロロの背中をゆっくりと往復する。そのリズムは、まるで小さな子供を寝かしつける親のように優しく、同時に「二度と手放さない」という強い意志に満ちていた。
「……ねえ、ヴァル。ずっとこうしてたら、カインさんがまた怒鳴り込んでくるよ?」
ロロはわざと冗談めかして、ヴァルの胸元に指先で円を描いた。
いつもの「あざとい演技」だが、今のロロの心臓は、いつもより少しだけ騒がしかった。先ほどの告白に対するヴァルの、あの壊れそうなほど幸せで、かつ悲痛な表情が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「構わん。あいつには今、帝都中の広場の草むしりを追加で命じておいた。当分は戻ってこないだろう」
「……本気だったの、あれ!?」
ロロは思わずヴァルの顔を見上げた。ヴァルは真顔だった。
この皇帝は、ロロのことになると本当に理性のブレーキがどこかへ飛んでいってしまうらしい。
「ロロ。……お前は、俺のことを『優しい』と言うが。……俺は、ずっとそんな人間ではなかったんだ」
ヴァルの視線が、ふと遠くを見つめるように彷徨った。
碧眼の中に、いつもの情熱とは違う、冷たくて深い「寂寥感」が浮かび上がる。
「俺は……この国の、望まれぬ皇子だった。母は早くに亡くなり、父である先帝は俺を、ただの政治的な道具、あるいは邪魔な競争相手としか見ていなかった。……俺の周りには、俺の命を狙う刺客か、あるいは俺を利用しようとする者しかいなかったんだ」
(……あ、これ、ガチなやつだ。捏造じゃない、本物の過去だ)
ロロは、背中を撫でるヴァルの手の動きが少しだけ早くなったのを感じた。
「俺にとって、世界はモノクロだった。美しい庭園も、豪華な食事も、俺にとってはただの『記号』に過ぎなかった。……誰かを愛するとか、誰かに愛されるとか……そんな概念は、俺の辞書には一行も書かれていなかったんだよ。……あの日、お前に出会うまでは」
ロロの身体が、びくりと跳ねた。
(出会うまで……? それって、僕が捕まった時のこと?)
「お前は、暗い地下牢の中で……、泥に汚れ、手足に鎖を繋がれていても。……その瞳だけは、死んでいなかった。俺を睨みつけるその強い光を見たとき、俺の世界に初めて『色』がついた気がしたんだ」
ヴァルはロロの頬を、慈しむように手のひらで包み込んだ。
「俺は、お前を殺さなければならなかった。この国の掟に従えば、間諜(スパイ)に生路はない。……だが、俺にはできなかった。お前という光を消してしまえば、俺の世界はまた、あの死んだような灰色に戻ってしまう。……だから、俺は……」
ヴァルの声が微かに震える。
彼は、ロロが「記憶を失っている」という前提で話している。だからこそ、自分の犯した「嘘」という名の罪を、告白するかのように吐露していた。
「……お前の記憶が消えたのは、俺が命じた移送中の事故だった。……俺はそれを、好機だと思ってしまったんだ。お前の記憶を俺の都合のいいように書き換えれば、お前は俺を憎まなくなる。俺を愛してくれるかもしれない……。……俺は、最低の男だな、ロロ」
(…………え)
ロロは、ヴァルの告白に衝撃を受けていた。
ヴァルは、ロロに記憶がないことを利用して「嘘の婚約者」を演じさせていることに、これほどまでの罪悪感を抱いていたのか。
そして何より。
(この人……僕が捕まったその瞬間に、僕に一目惚れしてたってこと……!?)
睨みつける目が「光」に見えたとか、世界に「色」がついたとか。
冷酷皇帝の正体は、とんでもない「ロマンチスト」で「独りよがりな溺愛男」だったのだ。
ロロは、胸の奥がギュウ……と締め付けられるのを感じた。
自分は、生き残るために彼を騙している。
彼は、自分を離さないために、自分を騙している。
どちらの嘘がより深いのか。
どちらの孤独がより切実なのか。
「……ヴァル」
ロロは、自分を抱きしめるヴァルの首に、自分から腕を回した。
「……僕、難しいことはよくわかんない。……でも、ヴァルが僕を助けてくれたのは、本当でしょ?」
「……ああ。そうだ」
「ヴァルが僕を大切にしてくれているのも、本当でしょ?」
「……命に代えてもだ」
ロロは、ヴァルの耳元で、くすぐるように小さく笑った。
「だったら、いいよ。……過去の僕がどうだったかなんて、関係ない。……今の僕は、こうしてヴァルの温かさを知ってる。……ヴァルは、もう独りじゃないよ」
――嘘だ。
自分はスパイだ。記憶は全部ある。
けれど、この言葉だけは、演技だけではない「何か」が混ざっていた。
自分をここまで真っ直ぐに、狂おしいほどに必要としてくれる存在を、ロロは生まれて初めて知ったのだ。
「ロロ…………っ!」
ヴァルは呻くような声を上げ、ロロを押し潰さんばかりの力で抱きしめた。
その体温が、夕闇のサンルームで、二人の境界線を曖昧にしていく。
「……お前が、俺を許してくれるというのか。……ああ、ロロ。愛している。本当に……、何があっても、お前だけは離さない」
「ん……。わかったから、ヴァル、苦しいよぅ……」
ロロは笑って誤魔化しながら、ヴァルの広い背中をポンポンと叩いた。
その仕草は、もう「あざとい演技」というには、あまりに自然で、温かかった。
(……まいったな。この皇帝、重いだけじゃなくて、不器用すぎて放っておけないよ)
寄り道だらけの関係。
ヴァルの孤独な過去を知ってしまったことで、ロロの「嘘」という名の防壁は、音を立てて崩れ始めていた。
サンルームに完全に夜が訪れる頃。
二人は、どちらがどちらを「飼っている」のかわからないほど、深く、密接に寄り添い合っていた。
ロロは、ヴァルの心音を聴きながら、ふと思った。
いつか、すべての嘘が暴かれる日が来る。
その時、自分はこの腕の中から、逃げ出せるのだろうか……と。
午後の柔らかな光は少しずつその色を濃くし、サンルームにはオレンジ色の夕刻が忍び寄っていた。
ヴァルは、ロロを膝の上に乗せたまま、一向に離そうとしなかった。
大きな手が、ロロの背中をゆっくりと往復する。そのリズムは、まるで小さな子供を寝かしつける親のように優しく、同時に「二度と手放さない」という強い意志に満ちていた。
「……ねえ、ヴァル。ずっとこうしてたら、カインさんがまた怒鳴り込んでくるよ?」
ロロはわざと冗談めかして、ヴァルの胸元に指先で円を描いた。
いつもの「あざとい演技」だが、今のロロの心臓は、いつもより少しだけ騒がしかった。先ほどの告白に対するヴァルの、あの壊れそうなほど幸せで、かつ悲痛な表情が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
「構わん。あいつには今、帝都中の広場の草むしりを追加で命じておいた。当分は戻ってこないだろう」
「……本気だったの、あれ!?」
ロロは思わずヴァルの顔を見上げた。ヴァルは真顔だった。
この皇帝は、ロロのことになると本当に理性のブレーキがどこかへ飛んでいってしまうらしい。
「ロロ。……お前は、俺のことを『優しい』と言うが。……俺は、ずっとそんな人間ではなかったんだ」
ヴァルの視線が、ふと遠くを見つめるように彷徨った。
碧眼の中に、いつもの情熱とは違う、冷たくて深い「寂寥感」が浮かび上がる。
「俺は……この国の、望まれぬ皇子だった。母は早くに亡くなり、父である先帝は俺を、ただの政治的な道具、あるいは邪魔な競争相手としか見ていなかった。……俺の周りには、俺の命を狙う刺客か、あるいは俺を利用しようとする者しかいなかったんだ」
(……あ、これ、ガチなやつだ。捏造じゃない、本物の過去だ)
ロロは、背中を撫でるヴァルの手の動きが少しだけ早くなったのを感じた。
「俺にとって、世界はモノクロだった。美しい庭園も、豪華な食事も、俺にとってはただの『記号』に過ぎなかった。……誰かを愛するとか、誰かに愛されるとか……そんな概念は、俺の辞書には一行も書かれていなかったんだよ。……あの日、お前に出会うまでは」
ロロの身体が、びくりと跳ねた。
(出会うまで……? それって、僕が捕まった時のこと?)
「お前は、暗い地下牢の中で……、泥に汚れ、手足に鎖を繋がれていても。……その瞳だけは、死んでいなかった。俺を睨みつけるその強い光を見たとき、俺の世界に初めて『色』がついた気がしたんだ」
ヴァルはロロの頬を、慈しむように手のひらで包み込んだ。
「俺は、お前を殺さなければならなかった。この国の掟に従えば、間諜(スパイ)に生路はない。……だが、俺にはできなかった。お前という光を消してしまえば、俺の世界はまた、あの死んだような灰色に戻ってしまう。……だから、俺は……」
ヴァルの声が微かに震える。
彼は、ロロが「記憶を失っている」という前提で話している。だからこそ、自分の犯した「嘘」という名の罪を、告白するかのように吐露していた。
「……お前の記憶が消えたのは、俺が命じた移送中の事故だった。……俺はそれを、好機だと思ってしまったんだ。お前の記憶を俺の都合のいいように書き換えれば、お前は俺を憎まなくなる。俺を愛してくれるかもしれない……。……俺は、最低の男だな、ロロ」
(…………え)
ロロは、ヴァルの告白に衝撃を受けていた。
ヴァルは、ロロに記憶がないことを利用して「嘘の婚約者」を演じさせていることに、これほどまでの罪悪感を抱いていたのか。
そして何より。
(この人……僕が捕まったその瞬間に、僕に一目惚れしてたってこと……!?)
睨みつける目が「光」に見えたとか、世界に「色」がついたとか。
冷酷皇帝の正体は、とんでもない「ロマンチスト」で「独りよがりな溺愛男」だったのだ。
ロロは、胸の奥がギュウ……と締め付けられるのを感じた。
自分は、生き残るために彼を騙している。
彼は、自分を離さないために、自分を騙している。
どちらの嘘がより深いのか。
どちらの孤独がより切実なのか。
「……ヴァル」
ロロは、自分を抱きしめるヴァルの首に、自分から腕を回した。
「……僕、難しいことはよくわかんない。……でも、ヴァルが僕を助けてくれたのは、本当でしょ?」
「……ああ。そうだ」
「ヴァルが僕を大切にしてくれているのも、本当でしょ?」
「……命に代えてもだ」
ロロは、ヴァルの耳元で、くすぐるように小さく笑った。
「だったら、いいよ。……過去の僕がどうだったかなんて、関係ない。……今の僕は、こうしてヴァルの温かさを知ってる。……ヴァルは、もう独りじゃないよ」
――嘘だ。
自分はスパイだ。記憶は全部ある。
けれど、この言葉だけは、演技だけではない「何か」が混ざっていた。
自分をここまで真っ直ぐに、狂おしいほどに必要としてくれる存在を、ロロは生まれて初めて知ったのだ。
「ロロ…………っ!」
ヴァルは呻くような声を上げ、ロロを押し潰さんばかりの力で抱きしめた。
その体温が、夕闇のサンルームで、二人の境界線を曖昧にしていく。
「……お前が、俺を許してくれるというのか。……ああ、ロロ。愛している。本当に……、何があっても、お前だけは離さない」
「ん……。わかったから、ヴァル、苦しいよぅ……」
ロロは笑って誤魔化しながら、ヴァルの広い背中をポンポンと叩いた。
その仕草は、もう「あざとい演技」というには、あまりに自然で、温かかった。
(……まいったな。この皇帝、重いだけじゃなくて、不器用すぎて放っておけないよ)
寄り道だらけの関係。
ヴァルの孤独な過去を知ってしまったことで、ロロの「嘘」という名の防壁は、音を立てて崩れ始めていた。
サンルームに完全に夜が訪れる頃。
二人は、どちらがどちらを「飼っている」のかわからないほど、深く、密接に寄り添い合っていた。
ロロは、ヴァルの心音を聴きながら、ふと思った。
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その時、自分はこの腕の中から、逃げ出せるのだろうか……と。
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