記憶喪失のフリをしたあざといスパイですが、全部お見通しの皇帝陛下に「嘘の婚約者」として閉じ込められています

たら昆布

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16話

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 窓の外は、朝からしとしとと降り続く雨の音に包まれていた。
 普段なら「お散歩に行けないなぁ」と残念に思うところだが、今日のロロには、そんな余裕はこれっぽっちもなかった。

「……あ、あつい……。頭が、ぐわんぐわんする……」

 ロロは、寝室の大きなベッドの中で、ぐったりと横たわっていた。
 昨日のサンルームでの出来事。ヴァルの孤独な過去、そして「一目惚れ」という衝撃の告白。それらを受け止めたロロの脳内キャパシティが、ついに限界を超えたらしい。いわゆる「知恵熱」というやつだ。

 そこへ、盆に乗せた白湯を持ったヴァルが、嵐のような勢いで入ってきた。

「ロロ! 容態はどうだ!? 顔がまだ赤い。……パトリック! 帝都中の名医を今すぐここに集めろ! 断るようなら、医学部の建物を離宮の隣に移築させると伝えろ!」

「ヴァル……、しーっ。……声が、響くよぅ……」

 ロロが蚊の鳴くような声で訴えると、ヴァルは一瞬で「借りてきた大型犬」のようにシュンとなり、ベッドの脇に膝をついた。

「すまない、ロロ。……俺のせいで、お前に無理をさせたな。お前の心が、俺の独りよがりな告白に耐えきれなかったのだ。……ああ、俺はなんて愚かなんだ。お前が苦しむくらいなら、俺の心など一生凍りついたままで良かったのに」

(……いや、そこまで深刻じゃないから! ただの知恵熱だから!)

 ロロは内心でツッコミを入れるが、熱のせいで声がうまく出ない。
 ヴァルは震える手で、冷たい水に浸したタオルを絞り、ロロの額にそっと乗せた。

「冷たいか? もし不快なら、俺の魔力で部屋の温度をコンマ一刻単位で調整させよう。……ロロ、何か食べたいものはあるか? それとも、俺の命を削ってお前に精力を分け与える儀式でも……」

「……おかゆ。……おかゆが、いいです……」

 ロロはヴァルの「暴走する献身」を止めるために、一番無難な要求を出した。
 ヴァルは「分かった、最高のおかゆを用意させる!」と叫び(またロロに嗜められた)、自らキッチンへと飛んでいった。

 しばらくして運ばれてきたのは、もはや「おかゆ」という概念を超越した、宝石のように輝くスープ仕立ての粥だった。
 ヴァルはロロの背中に腕を回して抱き上げ、自分の胸に寄りかからせる。

「さあ、あーんだ。熱くないように、俺が三千回ほど息を吹きかけておいた」

「三千回は吹きすぎだよ……。……あむ。……おいしい……」

 トロトロに煮込まれた粥が、弱った胃に優しく染み渡る。
 ヴァルはロロが一口食べるごとに、まるで奇跡でも目撃したかのように瞳を輝かせ、「素晴らしい、ロロが食べたぞ!」と小声で歓喜の声を漏らしている。

 食事を終え、薬を飲んだ後。
 ロロは再び布団の中に潜り込んだが、熱のせいか、それとも雨音のせいか、妙に人肌が恋しくなっていた。

「……ねえ、ヴァル」

「なんだ、ロロ。枕の高さが気に入らないか? すぐに羽毛の産地を変えさせようか?」

「ううん。……行かないで。……お仕事、あるんでしょ?」

 ロロは、布団から細い指先を出し、ヴァルの服の袖をぎゅっと掴んだ。
 あざとい演技――のつもりだったが、熱で潤んだ瞳と、少し震える声は、本物の甘えに限りなく近かった。

 ヴァルは雷に打たれたような顔をして固まった後、おずおずとロロの横に腰を下ろし、その手を両手で包み込んだ。

「……仕事など、どうでもいい。カインが書類を持ってきても、雨樋(あまどい)に流してやると伝えてある。……俺はここにいるよ、ロロ。お前が眠りにつくまで、いや、目覚めて俺の名を呼ぶまで、ずっと隣にいる」

 ヴァルの大きな手は、いつも通り温かかった。
 ロロはその温もりに包まれながら、ぼんやりとヴァルの顔を見上げた。

(この人……僕の嘘がバレても、こうして手を握ってくれるのかな。……もし、僕が『ロロ』じゃなくなっても、こんなに一生懸命に……)

 熱のせいで、普段は隠している「本音」がポロリと漏れそうになる。
 ロロはそれを飲み込むように、ヴァルの手のひらに自分の頬を擦り寄せた。

「……ヴァル。……大好きだよ」

「……っ。……ああ、俺もだ。ロロ、愛している。……お前の熱が、俺に移ればいいのに」

 ヴァルは愛おしそうにロロの指先に口づけを落とした。
 その感触を心地よく感じながら、ロロはゆっくりと深い眠りに落ちていった。

 ――数時間後。
 ロロが目を覚ますと、外はすっかり暗くなっていたが、部屋の中には優しい灯りが灯っていた。
 そして、手の甲には相変わらず、大きな温かい手が添えられている。

 ヴァルは、椅子に座ったまま、ロロの手を握った状態で眠りに落ちていた。
 眉間に少しだけ皺を寄せたその寝顔は、普段の威圧感など微塵もなく、ただ「大切なものを守り抜こうとする騎士」のような、不器用な誠実さに満ちていた。

「…………ばかだなぁ、ほんとに」

 ロロは、ヴァルを起こさないようにそっと微笑み、握られた手を少しだけ強く握り返した。

 寄り道だらけの恋路。
 雨の日の看病は、嘘つきな二人の間に、言葉にならない「本物の絆」を、また一つ静かに刻み込んでいた。

 ロロの熱は、翌朝にはすっかり下がっていた。
 けれど、ヴァルの温もりに絆されてしまった心だけは、いつまでも熱を帯びたままだった。
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