記憶喪失のフリをしたあざといスパイですが、全部お見通しの皇帝陛下に「嘘の婚約者」として閉じ込められています

たら昆布

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17話

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 知恵熱から一夜明け、ロロの体調は驚くほど回復していた。
 やはり、ヴァルの過剰なまでの看病と、パトリックが「滋養強壮に効く」と豪語して作った、謎の黄金色に輝く特製お粥の効果は絶大だったらしい。

 離宮のバルコニーに差し込む朝日は、昨日までの雨が嘘のように澄み渡っている。
 ロロは、ヴァルが「外気で冷えないように」とこれでもかと言わんばかりに巻き付けた、カシミアの大きなショールに埋もれながら、彼が淹れてくれた紅茶を啜っていた。

「……ふぅ。ヴァル、もう大丈夫だってば。そんなに心配しなくても、熱はすっかり下がったよ」

「ダメだ。病み上がりの体は、硝子(ガラス)の細工よりも脆い。……ロロ、お前は昔から無理をする癖があったからな。こうして俺が目を光らせていないと、すぐにどこかへ消えてしまいそうで……」

(はい、出た。捏造された『昔の僕』の性格設定。僕は無理をする癖なんてないし、むしろ隙あらばサボるタイプだったんだけどな)

 ロロは心の中で苦笑しながらも、「ヴァルってば、心配性だなぁ」とあざとく微笑んで見せた。
 するとヴァルは、ふと思い出したように、上着の内ポケットから小さな銀色のロケットを取り出した。

「ロロ。……体調が良くなったのなら、これを見せたいと思っていたんだ」

 彼の手のひらに乗せられたロケットは、年月を経て少しだけ角が丸くなり、柔らかな光を放っていた。
 ヴァルがその蓋を親指で押し開けると、中には押し花にされた小さな紫色の花びらと、二人の名前――『V&L』という文字が刻まれていた。

「これは……?」

「覚えているか? 三年前の夏だ。お前と二人で、お忍びで帝都の裏山にある『約束の丘』へ登った時のものだ。お前が『この日の幸せを閉じ込めたい』と言って、足元に咲いていた名もなき花を摘んで、俺のロケットに入れたんだ」

(三年前の夏……。その頃の僕は、本国の訓練施設で泥水を這いずり回りながら、ナイフの投げ方を叩き込まれてた時期だよ!)

 ロロの脳裏に、当時の殺伐とした光景がフラッシュバックする。
 しかし、目の前のヴァルが語る物語は、それとは真逆の、砂糖菓子のように甘く、美しいものだった。

「あの日の夕陽は、まるでお前の瞳のように輝いていた。……お前は俺の隣で、将来は小さな家を建てて、庭を銀雪草でいっぱいにしたいと笑っていたんだ。……俺はその時、心の底から誓ったよ。皇帝の地位も権力も、すべてお前を幸せにするために使うのだと」

 ヴァルの声は、どこまでも優しく、どこか遠くを懐かしむような響きを帯びていた。
 彼はロロの指を取り、そのロケットに触れさせる。

「記憶を失ったお前には、ただのガラクタに見えるかもしれない。……だが、俺にとっては、これが唯一の真実なんだ」

(……真実、じゃないんだよね。ヴァルが作り上げた、最高のファンタジーなんだ)

 ロロは、指先に感じるロケットの冷たさに、胸の奥がキュンと締め付けられるのを感じた。
 ヴァルがこのロケットを用意するために、どれほどの手間をかけたのか。わざわざ古いロケットを探し出し、三年前からそこにあったかのように加工し、ロロの偽名(あるいはコードネームの頭文字)を刻ませ、押し花まで用意したのだ。

 それは、執着というにはあまりに献身的で、愛情というにはあまりに狂気的だった。

「……ヴァル。……ごめんね。僕、やっぱり思い出せないや」

 ロロはあえて悲しげな顔をして、視線を落とした。
 ヴァルはすぐに、ロロをロケットごと自分の胸に抱き寄せた。

「謝るな。思い出さなくていい。……お前が今、こうして俺の腕の中にいてくれる。それだけで、俺の三年前からの願いは叶っているのだから」

 ヴァルの心臓の音が、一定のリズムでロロの耳に届く。
 力強くて、温かい、本物の鼓動。
 
 彼が語る過去はすべて「偽物」だ。
 けれど、今、自分を抱きしめているこの「熱」だけは、何よりも「本物」だった。

(……まいったな。この人、僕を幸せにするためなら、世界中の真実を書き換えても平気な顔をしてるんだ)

 ロロは、ヴァルの服の裾をぎゅっと握りしめた。
 自分がスパイとして捕まった時のこと。
 地下牢でヴァルに睨まれた時のこと。
 
 そんな惨めな「本物の過去」よりも。
 ヴァルが必死に作り上げてくれた、この「美しい偽物の思い出」の方が、ずっと価値があるような気がしてしまったのだ。

「ヴァル……。……その丘に、またいつか行けるかな?」

「……! ああ。ああ、もちろんだ。お前の体調が万全になったら、国中の騎士で丘を包囲し、安全を確保した上で、お前を抱えて登ろう」

「……だから、極端だってば! 二人だけで、普通に行きたいの!」

 ロロがくすくすと笑い声を上げると、ヴァルは少しだけ照れたように頬を染め、ロロの額に優しく唇を落とした。

 寄り道だらけの恋路。
 偽りの思い出が一つ増えるたび、二人の間の境界線はさらに曖昧になっていく。
 
 ロロは、手の中のロケットをそっと閉じ、自分の宝物入れ……昨日もらった「木彫りのリス」の隣にそっと置くことに決めた。
 
 それが、嘘つきな自分にできる、精一杯の「誠実さ」だと思ったから。
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